「えっと……この部屋でいいのかな」

扉に掛けられているネームプレートを何度も目で確認しながら、小早川セナは

つぶやいた。

「ここ個室なんだ。骨折だって聞いてたけど、やっぱり芸能人だからかな」

他の階なら入院患者や看護婦でごった返しているはずの廊下も、ここ最上階

ではとても静かなものだ。それもそのはず、この階には通常よりもちょっと豪華

な個室タイプの病室しか無く、あまり入院患者が入っていない。

「うう、やっぱし緊張するなあ」

胸に手を当て、深く深呼吸する。

それでもまだ心臓の鼓動は、まったく激しさを失わない。

「桜庭さん、怒ってるだろうな……。あんなコメントまでTVで流れちゃったし」

フィールド上での出来事とはいえ、自分がぶつかったせいでひどい怪我を負う

ことになってしまった桜庭。そんな彼を見舞うために、ありったけの勇気を振り絞

って単身城下町病院に乗り込んだセナだが、いざ直に顔を合わせることになると、

とたんに気が引けてしまっていた。

「や、やっぱり、看護婦さんに言付けを頼もうかな」

プレッシャーに耐えかねたセナが扉に背を向け、そのまま立ち去ろうとする。

すると突然後ろの扉が開き、病室の中から人が出てきた。

「じゃあな。骨折ぐらいとっとと直すんだぞ」

「うわあっ!!」

思いもしなかった出来事につい、派手な叫び声を上げて後ろを振り向くセナ。

扉の向こうから現れたのは、縞模様のスーツを纏い、きらきら光る装飾具を全身

の至る所に付けたおじさんだった。

「はああ……。ずいぶん仕事に穴が空いちゃったよ……」

派手なおじさんはそのままセナには脇目もくれず、うなだれながら病室を去って

いった。

(何だろ、あの人。ジャリプロの人かな)

だんだん小さくなっていくおじさんの背中を見つめながら、セナはそんなことを

ぼんやりと考えた。

その時。

「あ、あの……君。僕に何か用?」

「うわあっ!!」

いきなり声をかけられ、再び叫び声を上げるセナ。

あわてて振り向くと、開け放たれたままの扉の向こうでベッドに横たわっている

青年と目が合った。

「あ、あの……桜庭さん……です……か?」

恐る恐る尋ねる。

「そうだけど……」

桜庭が不思議そうに首を傾げる。

「あ! す、すみません。僕、泥門高校のアメフト部で主務をしている小早川セナ

と言います。今日は部を代表してあなたに怪我を負わせてしまったことを謝りに来

ました」

「そう……」

泥門高校の名前が胸中にどういう作用を起こさせたのだろう。桜庭はあいまいに

微笑む。その笑顔が何だか痛々しくて、セナはいたたまれない気持ちになった。

「…………」

「…………」

気まずい沈黙が二人の周囲を支配する。

「……あ、立ってるのも何だから、こっちの椅子にでも座りなよ」

重い空気に耐えかねた桜庭が、努めて明るくセナに声をかける。

「あ……はい」

(よ、よかった。あんまり怒ってないかも……)

想像していたよりも友好的な桜庭の態度に、幾らか気持ちの軽くなったセナは

ゆっくり病室の中へ歩み入る。そして勧められるまま椅子に腰掛けようとすると、

突然、何か甘ったるくてきつい芳香に襲われる。

「うぐっ!」

たまらず鼻を手で覆い、じたばた足掻く。

「大丈夫?」

「え、ええ……」

心配そうに見つめてくる桜庭に、そんな返事を返したものの、何せ想像を

絶する香りのために目に涙を滲ませながらの発言だ。セナのその言葉には、

説得力が全くといっていいほど無かった。

「うーん……。この香りは馴れないとけっこうキツいよね」

桜庭は頭を右手で軽く掻きながら、気まずそうに周囲を見回す。

その動作に釣られて振り向くセナの目に飛び込んできた物は、ものすごい数の

花束だ。よくよく見ると、6畳ほどはあろうかという病室の、およそ3分の2を花が

埋め尽くしている。

「試合の時も思いましたけど、すごい人気ですね」

「まあ、TVに出てると、どうしても……」

セナの率直な賞賛の言葉に、桜庭は思わず苦笑する。

「花をくれる子の気持ちはうれしいんだけど、これだけあると取り替えるのも

大変で……」

「た、確かに……」

天井に届くほどうずたかく積まれた花の山を眺めながら、二人は同時にため息を

ついた。

「あ、そうだ。これお見舞いの品です」

手に下げている重い荷物のことを思い出したセナは、フルーツがぎっしり詰まった

バスケットを桜庭に差し出す。

「ああ、ありがとう。そこのテーブルにでも置いておいて」

「あ……はい」

バスケットを置こうとベッド脇のテーブルへ目を向けたセナがふと、あることに

気が付く。

「そう言えば、花はいっぱいあるのに差し入れはあまり無いんですね」

ベッドの周囲は花があふれているのに比べ、テーブルの上にはあまり物自体が

置かれていない。口に出来るようなものといえば、吸呑みに入っている水ぐらいな

ものだ。

「ああ、差し入れとか直接口にするものは事務所が禁止してるからね」

「えっ、どうしてですか?」

「……まあ、色々と」

「ふーん……。って、じゃあ、もしかしてこの果物もまずいですか?」

どうしよう、とあたふたするセナ。

「そんなこと気にしなくていいよ。中、別に変なものじゃないだろ?」

「あ、当たり前ですよ!!」

ちょっと不安げな顔つきでそんなことを聞いてくる桜庭に、セナは思わずムキに

なって叫ぶ。

(でも、わざわざ桜庭さんがあんな風に聞いてくるってことは……変なものが入っ

てることがあるってことかな)

例えば髪の毛とか、(*気持ち悪い言葉のため自粛*)とか、(*聞くと鬱になる

言葉のため自粛*)とかが混じってたり……。いや、もしかして(*あまりにもひどい

犯罪のため自粛*)かも……。

色々とイヤなことを思い浮かべてしまったセナは、ついまじまじと桜庭の顔を見つ

めてしまう。

「どうしたの?」

「いえ……何でもありません」

桜庭の顔に貼りついた愛想笑いに、彼の置かれている境遇を生々しく感じずには

いられないセナだった。

(……芸能人って、大変なんだな)

心の中でそっと同情のため息をつく。

「えっと、セナくん……だっけ?」

「あ、は、はいっ」

芸能界の恐怖について思いを巡らせている最中にいきなり声を掛けられ、また

またあわてるセナ。

「今日、一人だけで来たのかな」

「ええ……そうですけど……」

「そうなんだ……」

桜庭が残念そうに肩を落とす。

「あの、それが何か?」

「あ……いや、もしアイシールド君が来てるなら、ちょっと話をしてみたかっただけ

なんだけど」

突然桜庭の口から飛び出したアイシールドの名前に、セナの体がビクリと反応

する。

「す、すみません。本当なら怪我をさせた本人が謝りに来るべきなんですけど……」

全身冷や汗まみれになりながら答える。

(ホントは目の前にいるんですけど……)

しかしこんな所で正体を明かす度胸などセナが持ち合わせているはずもなく、

ただ、心の中でひたすら恐縮するのみだ。

「あ、君が気にすることじゃないから、そんなに緊張しなくてもいいよ」

何故かカチンコチンに固まっているセナに、桜庭はやさしく声をかける。

(いえ……思いっきり気にしなくちゃいけない身の上なんです)

セナは思わず、心の中でそんなツッコミを入れてしまう。

「ただ、一度彼に聞いてみたいことがあってね」

桜庭はそう言うとセナから視線を逸らし、どこか遠い所を見るような目で正面の

花山を眺める。

(どうして、あんなにひたむきに、あの進に立ち向かっていけるんだろう……彼は)

思い出すのは、フィールドへと向かう40番の後ろ姿。

そして見た目よりも遥かに強靭な腕が繰り出すタックル。

初めて出会ってから五年。あいつのプレーを見るたびにいつも、こう思い知ら

されてきた。

敵う訳が無い、と。

現に、今まであいつに勝負を挑んだ相手は、ことごとく敗れ去っていった。

それなのに……。

それなのに、あのアイシールドは、吹けば飛びそうなほどの小さな体で、無敵の

はずのあいつに一矢報いたのだ。

(もし彼と会う機会があったら、あの時のことを聞いてみよう。そうすれば、俺にも

何か掴めるかもしれない。挫けずにがんばれる、あの強い意思のことが……)

と、桜庭が自分の世界に入り込んでいる横で、一人取り残されたセナ。

こちらはこちらで、急に真剣な顔で黙り込んでしまった桜庭の様子に不安を感じ、

かなり見当違いのことを考えていた。

(ど、どうしよう……。やっぱり桜庭さん、怪我のこと、ものすごく怒ってるんじゃ

……)

襲い来るプレッシャーに耐え切れないセナの体が、椅子の脚をカタカタ揺らす。

(そうだ……。骨折までしたし、怒ってないわけないよね……。やっぱり、ちゃんと

話したほうがいいのかな……。いや、でも、やっぱり怖い……)

そんな心のすれ違いに気づくこともなく、しばらく2人はそれぞれ物思いにふける

のだった。
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