
| 通算7枚目のアルバム。ロック界にサイケデリックと言う革命をもたらした傑作。1966年8月29日、サンフランシスコのキャンドルスティック・パーク(現スリーコム・パーク。NFLサンフランシスコ49ersの本拠地)でのライヴを終えたビートルズは、もう二度と4人揃ってステージに立つことはなかった(ゲットバック・セッションにおけるルーフ・トップ・ライヴは除く)。同時にそれはアイドル・グループからの完全脱皮であった。コンサート会場はどこも超満員。しかしそこにはビートルズの音楽を真摯に聴きにくるファンは限られ、その殆どはビートルズの生の姿を見に来るだけ、会場に轟くのはただただ歓声と絶叫。メンバー達も限られた時間の中で流れ作業的にただプレイするだけ。コンディションが悪かろうがミスをしようが関係ない・・・。いつも馬鹿みたいにニッコリ笑って撮影される雑誌記事。どこへ行っても同じ質問されるインタヴュー(ジョージはインタヴューで「欲しいものは」と聞かれ「いつも同じ質問をする君達に答えるオウム」と答えている。)。そんな毎日に、メンバー達のフラストレーションは爆発寸前にまで膨れ上がっていったのは想像に難くない。更にこの年のツアーで不測の事態が起こる。フィリピン・ツアーの際、時の独裁者マルコス大統領夫妻主催のガーデン・パーティーに招待されながらこれをボイコットしたため、マスコミや国民から総スカンを浴び、空港では暴漢に襲われるというハプニングもあった。また、ジョンの所謂キリスト教発言がアメリカで大々的に取り上げられ、ビートルズ排斥騒動まで巻き起こすことになる。そんな一連の騒動の中メンバーの心は、だんだんとコンサートから遠ざかっていく。そして遂に1966年8月29日を最後にライヴ・バンドとしてのTHE BEATLESは終焉を迎えるのである。 ファンの前に姿を見せなくなったビートルズであったが、彼らはここで新たなアイディアを見出す。プロモーション・フィルムの製作である。’66年5月に第1作として「Peperback Writer」と「Rain」が撮影される。この以降、シングル盤の発売に際して、プロモーション・フィルムが撮影され各国のテレビ局から放映されるようになった。’80年代以降MTVが発展し、ミュージシャン達がこぞってプロモーション・フィルムを製作発表するようになるが、この分野でもビートルズが先駆者になったわけである。 レコーディングは'66年4月6日から8月中旬までの2ヶ月半に及んだ。前作「RUBBER SOUL」が1ヶ月弱で制作された事を考えると、いかに彼らがこのアルバムに多大な労力をつぎ込んだかわかる。デヴュー当時、スタジオの使用が制限されていたため、大急ぎでレコーディングしていたが、今や押しも推されぬ世界一の大スター!スタジオも好きな時に好きな時間だけ使えるようになっていた。 本作からエンジニアとして弱冠20歳のジェフ・エメリックが昇格。またADT(アーティフィシャル・ダブル・トラッキング)と呼ばれる人工ダブル・トラッキング方式を考案したケン・タウンゼントもエンジニアとして参加。この様な若者達がビートルズのクリエイティブなひらめきを吸収し、自分達なりの工夫を加え画期的な音作りに貢献した。ジョージ・マーティンが音楽的な知識や経験でビートルズのアイディアをサポートしたように、若きエンジニア達は技術的な面でビートルズのアイディアを具現化したと言えよう。もちろん、そこにはスタジオ機材の発達があったことは忘れてならない。 楽曲の内訳はジョンが5曲、ポール6曲、ジョージ3曲となっている。ここで、初めてポールがジョンの作品数を上回っている。以降すべてのアルバムでポールが主導的立場でグループを引っ張って行く。ポールの作品はいずれも彼の全盛期を思わせるが如く充実していて実に素晴らしい。外部プレイヤーを加えての作品も多く、今までにない純音楽的な拡がりをみせている。楽器も使い慣れたヘフナーのヴァイオリン・ベースからリッケンバッカー4001を導入、自由度の高いプレイを聴かせてくれる。’84年に公開されたポール主演の映画「ヤァー!ブロード・ストリート」ではこのアルバムから4曲が選ばれ、再レコーディングされている。いかにポールがこのアルバムに収録されている作品に自信を持っていたかが分かる。この時期のジョンは実験的な録音方法の研究に強い興味を示している。その成果はアルバム中の彼の作品に十分反映されており、本作のサイケデリック部分の多くはジョンの作品が担っていると言ってもいい。詩作の面では「朝食の代わりにドラッグを飲んでいた」と言われるほど麻薬類を大量に服用しており、その影響が露骨に現れている。初めて3曲を提供したジョージはこの時期、シタールの練習に本格的に取り組みインド音楽とロックを融合した”ラーガ・ロック”の立役者になった。作品にもインド音楽の影響が強く感じられる。リンゴのドラミングは相変わらず素晴らしく、今やロック界随一と言ってもよい。時には”キース・ムーン”並の激しいドラムを聴かせてくれる。 アルバムは全英チャート9週連続No1。しかし売り上げそのものは、これまでのアルバムに比べて少なかったようだ。これは、あまりのサウンドの変化にファンが付いて行けなかったのが原因。印象的なイラストによるアルバム・ジャケットのデザインはハンブルク時代からの友人”クラウス・ヴアマン”。ハンブルクでは美術大学の学生だったが、ビートルズに魅せられ、その後ミュージシャンに転向。イギリスに渡ってマンフレッド・マンにベーシストとして参加している。’70年代にはジョン、ジョージ、リンゴのソロ・アルバムのセッションにも参加した。彼はこの作品により、1966年度のグラミー賞でアルバム・デザイン賞を獲得している。 先頃発表されたアメリカのロック専門誌”ローリング・ストーン”の「500 GREATEST ALBUM OF ALL TIME」ではこの「REVOLVER」が堂々と第3位にランクされている。この企画は、時代、ジャンルは関係なく、これまで発売された全てのアルバムを対象にベスト500位までランク付けしようというもの。選考はミュージシャン、音楽評論家、音楽学者、業界の有識者、計273人が好きなアルバム50枚をランク付け、それを元に点数制で集計した。ミュージシャンはベック、U2のジ・エッジ、アート・ガーファンクル、レッド・ホット・チリ・ペパーズなどが参加。対象タイトルは1,600に上った。因みにTOP10は1位ビートルズ「サージェント・ペパーズ」、2位ビーチ・ボーイズ「ペット・サウンズ」、3位「リボルバー」、4位ボブ・ディラン「追憶のハイウェイ61」、5位ビートルズ「ラバー・ソウル」、6位マービン・ゲイ「ホワッツ・ゴーイン・オン」、7位ローリング・ストーンズ「メイン・ストリートのならず者」、8位クラッシュ「ロンドン・コーリング」、9位ボブ・ディラン「ブロンド・オン・ブロンド」、10位ビートルズ「ホワイト・アルバム」となっている。ここでもビートルズの作品が際立っているのがよくわかる。女性ソロの最上位はジョニ・ミッチェルの「ブルー」(30位)、もっとも最近のアーティストはホワイトストライプスの「エレファント」(390位)、上位20位の最新アルバムは17位ニルヴァーナの「ネバーマインド」となっている。 アルバム「REVOLVER」は1966年8月5日にリリースされ、全英No1を9週連続で獲得。同月29日のサンフランシスコでの最後のコンサートを終えたビートルズは、その後のグループとしてのスケジュールは空白。ジョンは髪を切り、映画「ハウ・アイ・ウォン・ザ・ウォー」のロケへ、リンゴは家族旅行、ポールはサントラやアンダー・グラウンド・ムーヴメントにのめり込み、ジョージはインドへ向かった。この様に各自思い思いの活動で英気を養い、再び集合したその時、世紀の名盤「サージェント・ペパーズ」が待ち受けていた。 |
| 一人よがりの曲解説 1、Taxman ジョージの作品。ジョージが1枚のアルバムに3曲も提供するのが初めてなら、アルバムのオープニングを飾るのも初めて。自分が高額所得特別付加税の対象となったことを知ったジョージが皮肉を込めて書いた曲。コーラス部分に当時のイギリス政府与党労働党党首ハロルド・ウィルソンと野党保守党党首のエドワード・ヒースの名が出てくるのが、いかにもブラック・ユーモアの国イギリスのミュージシャンらしい。ファンキーなR&B調の曲で、イントロのいい加減なカウントはジョージ。ポールのグルーヴするベース・プレイは圧巻で、彼のベストとも言える。攻撃的なギター・ソロもポール。ジョージはリズム・ギターを弾き、ジョンはパーカッションを担当している。 2、Eleanor Rigby ポールの作品。レコーディングはストリングスをバックにポール一人で行っている。「Yesturday」以来、久しぶりのストリングスの導入だが、今回は「Yesturday」が弦楽四重奏だったのに対して、弦楽四重奏が二組つまりヴァイオリン4本、ヴィオラ2本、チェロ2本という編成になっている。歌詞は当時24歳のポールが書いたとは思われないほどシリアスな内容。教会の貧しい掃除婦の孤独な死と、寂しい教会のマッケンジー神父の物語が歌われている。発表当時、主人公のエリナー・リグビー探しが本当に行われ、諸説が飛び交うが、ポール自身は映画「HELP!」にも出演したエリナー・ブロンとイギリスはブリストルで見かけた酒場”リグビー&エヴァンス・リミテッド”を組み合わせたものと証言している。しかし、’80年代になって、’57年にジョンとポールが始めて出会った”セント・ピータース教会”近くの墓地で実在した”エリナー・リグビー”の墓石が見つかるというので話題になった。現在、リヴァプールのマシュー・ストリートというところに観光用のエリナー・リグビー像が建っている。完璧と言って良いほど素晴らしいヴォーカルを聴かせてくれるポールだが、彼はこの作品で1966年度グラミー賞のコンテンポラリー歌唱賞を受賞している。素晴らしいカバーが沢山リリースされているが、中でもレイ・チャールズ、アレサ・フランクリンというR&B界の大御所たちが見事な歌いっぷりを聴かせてくれる。 3、I'm Only Sleeping ジョンの作品。このアルバムからビートルズの実験精神は徹底されてきていて、どんな地味な曲でも何かしら必ず斬新な工夫を凝らしている。この曲はそんな彼らの態度を端的に現している。具体的には、テープを逆回転させたギター、そして、アクビが出るほど眠たそうに聴こえるジョンの声も、実はテープの回転数を操作して録音したもの。地味で内省的な曲ではあるが、彼らの実験的試みが細部にまで行き渡っている曲。 4、Love You To ジョージの作品。前作「RUBBER SOUL」の「ノルウェーの森」でのシタールの使用は画期的な事には違いないが、多分に変わった音がするから使ってみようというお遊び的に使用したもの。この曲はまさにインド音楽そのものののようで、ジョージのシタールとインド人ミュージシャン”アニル・バグワット”の叩くタブラが殆どを占める。この曲こそ後の「ラーガ・ロック」の先鞭となったものである。 5、Here There And Everywhere ポールの書いた美しい!美しい!バラード。シングル・カットも何もされていない地味な存在ながら、多くのイージー・リスニング系オーケストラに早くから取り上げられていた人気の高い曲。ポールは”ビーチ・ボーイズ”の「ペット・サウンズ」を聴いて、この曲を作ったとか・・・。その「ペット・サウンズ」は”ブライアン・ウィルソン”がビートルズの「RUBBER SOUL」に刺激されて作った。両者は海を越えて刺激しあっていたのだ。それにしても・・・ただ・・ただ・・美しい名曲です。 6、Yellow Submarine ポールが子ども達に歌い継がれていく目的で作ったマーチ風童謡。歌詞の「Sky Of Blue And Sea Of Green」の部分はドノヴァンが書いた。子ども達とくればリンゴ!彼のとぼけた感じのヴォーカルが何とも言えない良い雰囲気を醸し出している。その曲調とともに「憎めない奴」「本当にいい奴」という印象を強めたと思う。遊び心満載のこの曲、ジョンはストローでコップの中の水を吹き、ジョージはバケツの水で波の音を作る。またジョンとポールは潜水艦の乗員の物真似もしている。最後のコーラスも、また、ものすごい!ロード・マネージャーの”マル・エバンス”、アシスタントの”ニール・アスピノール”、エンジニアの”ジェフ・エメリック”、ジョージの奥さんの”パティ・ボイド”そしてもちろんプロデューサーの”ジョージ・マーティン”それにスタジオに居合わせたスタッフ全員が動員されている。何だか底抜けに明るいスタジオの雰囲気が目に浮かぶようで、実に楽しい。 7、She Said She Said ジョンの作品。’65年8月、ロスアンジェルスで開かれたパーティーで、ジョンがピーター・フォンダの「俺は死ぬのがどういう感じか知っている」という言葉に触発されて書いたドラッグ・ソング。先にも述べたが、この頃のジョンはLSDを浴びるほど服用していた。ドラッグの体験化に作られただけあって、コロコロ、コロコロと転調する。しかし、その転調に合わせて激しいドラミングを聴かせてくれるリンゴのプレイは素晴らしい。ジョージのギターもファズがかけられていて、いかにも「サイケ」って感じがする。 8、Good Day Sunshine ポールの作品。”ラヴィン・スプーンフル”を意識して、ジョンの家の2階で一気に書き上げた。ダビングも含めて、ピアノ、ベース、ドラムだけで収録されている。ポールお気に入りの曲で、'84年の映画「ヤァー・ブロード・ストリート!」で再録されている。また、クラシックの巨匠”レナード・バーンスタイン”がこの曲の構成を絶賛したというエピソードがある。 9、And Your Bird Can Sing ジョンの作品。「REVOLVER」の中では、最も初期ビートルズの雰囲気を色濃く感じさせるストレートなロック。聴き所は何といってもジョンとジョージによるドライヴ感たっぷりの「ツイン・リード・ギター」。ポールも負けじ!と素晴らしいプレイを聴かせてくれる。ジョンは後年、「歌詞が気に食わない、書き捨ての曲」と言っていたが、ファンの間では、人気の高い曲。 10、For No One ポールの作品。恋人ジェーン・アッシャーとの事を書いたほろ苦いラヴ・ソング。リンゴは参加しているものの、実質的にはポールのソロ・ナンバーと言ってもいい。この手のピアノの弾き語りはポールの十八番で、感傷的なムードと牧歌的な混ざり具合が絶妙。2分弱の小品だが、至るところにポールのセンスの良さが感じられる逸品。確かカナダの女性シンガー”アン・マレー”が可愛くカバーしていた・・・。 11、Dr Robert ジョンの作品。この曲も「She Said She Said」に続くドラッグ・ソング。有名人にビタミン剤やLSD、はたまたスピードまで処方していたというニューヨークに実在したロバート医師について歌った曲。「気分がすっきりするよ!彼が問題を解決してくれるよ!」という過激な歌詞が問題になった。ジョンは「こんな歌が何百万人に聴かれるとは愉快」と語っている。 12、I Want To Tell You ジョージの作品。イントロのギターのリフや不協和音のように聴こえるポールのピアノが印象的な曲だが、全体的に地味な印象は拭えない。 13、Got To Get You Into My Life ポールの作品で「元祖ブラス・ロック」とも言えそうなファンキーなナンバー。このアルバムでは、積極果敢に多種多様な実験が試みられているが、この曲ではホーン・セクションが始めて導入された。当初、ギター中心のサウンドでレコーディングされたが、ポールはこれが気に入らず、急遽NEMS所属の”サウンド・インコポレーテッド”を呼び、ホーン・セクションをオーバー・ダビングして完成させた。いやはや天才のひらめきとは恐ろしいものだ!意図的ともいえる荒々しいホーン・アレンジと激しいシャウトを繰り広げるポールのヴォーカルが最上のブラス・ロックに仕上げている。”アース・ウィンド&ファイア”なんかもカバーしているが、ここはやっぱポールのシャウトでしょう・・・。 14、Tomorrow Never Knows ジョンの作品。ビートルズ初の「サイケデリック・ソング」として、当時、聴く人皆がものすごいショックを受けた。30数年前、現在から比べると、問題にならないくらい貧弱な録音機材で何とか変わった音を出そうと研究と実験を繰り返し、創造力の限りを尽くして完成させたのがこの曲だ。60年代ドラッグ文化の先導者だった”ティモシー・リアリー”がチベットの金剛大乗仏教の聖典「チベットの死者の書」を西洋の若者向けに解読した書物「サイケデリック・エクスペリエンス」を元にジョンが書いた。その際「ダライ・ラマが山頂から歌っていて、そのバックで4,000人の修行僧がコーラスしているような」サウンドをジョンが要求したそうだ。何ともはや・・・ブルース・スプリングスティーンのビデオを見ていてもそうだったが、彼ら天才達がプロデューサーやミュージシャンに対する注文には、音楽用語は一切出てこない。すべてが感性に訴えるような言葉で音の要求をする「恋人に愛を囁くような優しい音・・・」「小鳥が春の優しい日差しを浴びてさえずっているような・・・」とか・・・天才達はこれで要求する音がわかり、また、その通りの音を奏でる・・・すごいもんだ・・・。サウンドはテープ操作や特殊録音を駆使している。16種類のテープ・ループを即興でミックスしたり、ジョンの声にはレズリー・スピーカーを通した。バス・ドラムと太いベース音を強調した低音部の構築も特殊。ジョージのギター・ソロも、オルガン用のレズリー・スピーカーに繋いで弾き録音、そのテープを変則回転させたもの。これらは無意識化の中、実験に没入し、なかば場当たり的に曲の完成に持っていったというのだから驚く。曲のタイトルは、リンゴが「Tomorrow Never Comes」を誤って記憶していたフレーズにピンときたジョンが「いただき!」ってな感じで付けたもの。「A Hard Days Night」同様ここでもリンゴのとぼけたキャラが出ていて面白い。 |