新星堂のフリーペーパー「RPM」より(RPM=ROCK & POPS MAGAZINE)

 たおやかで、ナチュラルなんだけれど、実はとんでもなくソウルフルなヴォーカル。歌もポップだけれど、エモーショナルないい雰囲気をもつ。特別斬新なことをやっているわけではない。反対に引き算の美学のようにビートも控え目で、いい意味で歌が主役。そして、その歌には聴くうちにジワジワと、深い味わいが身体全体に広がっていくマジックがある。なんてフレッシュな魅力に溢れたシンガーなんだろう。初めて聴いた時から、私はイーサの歌のトリコとなった。そして、初めて会った彼女は、身長が166センチと、スウェーデン人の平均からすると、小柄で、華奢な、ブロンド・へアーの女のコ。え!?、このコがあのソウルフルな歌声の持ち主なの?日本でもR&Bが大ブームで、音楽に国境も人種もないと、実証されている時代ではあるが、でも、ちょっと意外。
 ルックス的にはカーデガンズ・タイプのスウィディッシュ・ポップを歌うって感じだ。
「多くの人が歌を聴いてから、私に会うとビックリするみたいよ。だって、ブロンドで色白のこのルックスだから。でも、意外に思われること自体は、全然イヤじゃない。反対に歌が褒められていると、私自身は、ポジティヴに受け止めているから」
 資料にはホイットニー・ヒューストンやスティーヴィー・ワンダーがアイドルだったとある。父親がミュージシャンだったというし、当然米国のヒット曲を聴いて育ったのだろう。でも、イーサのヴォーカルには米国の憧れ、それをマネしているような苦しさはなく、すっかり彼女自身のスタイルと化した、気持ちいいくらいのナチュラル感がある。「今はいろんなタイプの音楽を聴くけれど、子供の頃はソウル・ミュージックしか聴かなかったの。最初は、父の影響からだったけれど、次第にすっかり魅了され、当時友達がヨーロッパとかを聴いていても、私はソウル・ミュージックしか聴かなくなっていたわ」
 そんな彼女にある時、チャンスが訪れる。全校生徒の前で歌うことになったのだ。
「毎週月曜日の朝礼で、生徒の代表が自分の得意とすることを、全校生徒の前で披露する時間があるの。それが私にも回ってきて、私はホイットニー・ヒューストンの曲を歌うことにした。人前で歌うのはそれが初めてだったけれど、パフォーマンスをするに当たって私が考えたことはみんなホイットニーのマネをする私を観に来るのではなく、私の歌を聴きに来るの。だから、私は誰それ風とかじゃなく、自分のスタイルで歌うべきだろうと。当日は、うれしいくらいにポジティヴな反応が得られ、それが私の自信となり、シンガーを目指すきっかけとなったの」
それが15歳の時のこと。
 その後、イーサはスウェーデンの有名な音楽学校に進み、ジャズを中心にソウルとポップ・ミュージックを学ぶ。在学中からライヴ・ハウスで演奏するなどの活動をしており、デモ・テープが知人を介して、ジェニファー・ブラウンやロビンのプロデュースを手掛けてきたウルフ・リンドストロームとヨハン・エキエの手に渡り、それから一気にデビュー作のレコーディングへと進展する。『プリテンダー』とタイトルされたそのアルバムでは、イーサ自身もほぼ半数をコラボレートしている。
「誰か他の人とコラボレートするというのは、とても興味深い経験だった。歌詞に関しては、私の経験をもとにしているものもあるし、空想の世界を歌ったものもある。私にとって実体験かどうかはそれほど問題ではなく、シンプルな内容だけれど、聴いた人が共感できたり、歌を聴くことによって、何かに気がついたり、という歌詞を書きたいと思う。だからメッセージ性にこだわることなく、今はLOVEというテーマに一番興味があるから、自然とラヴ・ソング中心となったのよ」

 レコーディングもプロデューサー任せにすることなく、バック・トラックのレコーディングにも付き合い、全ての面で自分の意見を反映させようとした。ビートを乱発することなく、歌を前面にフィーチャーする作りもイーサ自身のアイディアだった。そして、もうひとつこだわったのがヴォーカル・レコーディングに関してだ。
「全ての曲を2テイクまでと決めてレコーディングしたの。どうしてかというと、何回も何回も同じ歌を歌うと、エネルギーが無駄に消耗されるだけでなく、曲のスピリットがだんだん失われていくと思ったから。だから、最低限の回数に押さえ、集中してレコーディングしようと思ったの」
 なるほど、私がナチュラルと感じた背景には理由があったのか。イーサ自身は、自分の音楽を”スウェデッシュR&B”と呼ぶ。日本とも、米国とも違う、スウェーデンならではの爽やかなそれは、R&Bファン以外をも魅了して、ひとつのトレンドになる予感がする。将来性を含め、注目すべき逸材の登場だ。

(文/服部のり子)

情報提供:yukichiさん