イーサのスウェーデン産ブルー・アイド・ソウル&ポップ
またしてもスウェーデンから、とつい言ってしまうが、90年代半ば後半、次々と新星を輩出してきたスウェーデンのポップ・シーンから、実に有望な新星が登場した。ISA(イーサ)という代わった名のブルー・アイド・ソウル&ポップの21歳の美女。金髪でブルーの一位(M)、スウェーデン人としてはスリムで小柄な人で、ちょっとビョークに似た風貌は、日本人の年下の同性に大いにうけそうだが、キュートなその外見からはちょっと想像のつかないソウルフルな歌声と音楽センスの持ち主だ。
"8歳の頃、ホイットニー・ヒューストンのレコードを聴いて夢中になったわ。15歳くらいまで、彼女の歌を毎日聴いてた"というきっかけから、ブラック・コンテンポラリーにのめりこんだそうだが、それから逆行する形で、70年代のソウル・ミュージックに興味を持つようになったというのは、この世代の人の特色のひとつだろう。
"スティーヴィー・ワンダーの「キー・オブ・ライフ」が今でも一番の愛聴盤ね"という彼女に、同アルバムの中のどんな曲に特に啓発されたのか、と歌詞ブックレットを渡して尋ねてみたところ、<アズ> <サー・デューク><ノックス・オフ・マイ・フィート><楽園の彼方へ(パスタイム・パラダイス>などの難曲をすいすいと歌い上げるのには、ちょっとびっくり。話し声や、こうした普段の歌声は、デビュー・アルバムで聴ける歌声よりもう少し低くグルーヴィな感じがする。
実はISAは、16歳の時、ヨーロピアン・ソング・コンテストのスウェーデン大会に出場し、3位入賞に輝くという音楽界への足がかりになるスポットライトを一度浴びている。"それまでずっとピアノで身をたてようと思っていた私が、ほとんど初めてに近いパフォーマンスで、歌でやれるんじゃないか、という感触を得る機会にはなったわ。でも、優勝できないで、良かった。まだ学校に通っていたし、音楽で学ぶべきことがいっぱい残っていたし、それに、当時の音楽はやりたいものとは違っていたし...。もし優勝していたら、デビューさせられて、そうも言ってられないでしょ?(笑)"という言葉通り、ISAは、名門音楽学校であるFridhem(フリーデム)に通い、歌唱やアンサンブル、作編曲理論、インプロヴィゼーションなどを勉強中だったのだ。そして、もっと重要なことは、この学生時代、仲間とバンドを組んで、R&Bやソウルのカヴァー曲をやり、現在につながる歌の感触を完全につかんだことである。
"BIG DEAL(ビッグ・ディール: 大きな取引)という名のバンド(笑)。スティーヴィー・ワンダーやチャカ・カーン、ジェームス・ブラウンの曲などをカヴァーするバンドだった"というその頃、幼い頃からのニックネームであるISAを初めて芸名として使い(本名ジェシカ)、ロビンのツアーのバック・アップ・シンガーなど、プロとしての仕事もやるようになったという。こうしたライヴでの評判を聞き、アプローチしてきたのが、デュオ・チームであり、ジェニファー・ブラウンやロビンをプロデュースし、彼女らのアメリカでのヒットの原動力になったウルフ・リンドストローム&ヨハン・エキエのコンビだった。
"3年前に電話があって、君のレコードを作りたい、と言われたけど、最初は、何やらされるんだろう、って疑ってたわ(笑)。
違う街に住んでいたので、ふたりから、曲ができた、と連絡があると行き来して、曲を歌ったり、直したりしている内に、彼らが本当にプロで、音楽の趣味もとても似ていることが解ってきたの。それから、コード・ワークやアレンジ、歌詞のアイデアを出したりしながら、じっくり一緒に曲作りをするようになった"
その短くはない準備期間の成果が実を結んだのは去年夏。売れっ子のリンドストローム&エキエは、他の仕事を一切断って、ISAのデビュー作、制作に専念したという。ホイットニーのツアーのアレンジャーの経験を持ち、シャニースに曲を提供しているテロン・ビールをアメリカから呼んで、アメリカのR&Bのテイストを加味する周到ぶりだが、メロディアスなスウェディッシュ・ポップと線の太いソウル・テイストとのブレンドが見事な快心作を生んだといえるだろう。
"同世代やアメリカのR&Bシンガーやグループについてよく聞かれるけど、ほとんど退屈に感じる。メロディーがほとんど無いものね。私は、私を啓発してくれた70年代ソウルの実験性や確信性、それに伝統的な所を今でも忘れないようにしたいわ"という新星ISA。この節のR&Bブームに、一石も二石も投じる才能とパーソナリティのようだ。
「ADLIB」 2000年5月号