土方

土方

これは差別用語に当たるらしい。いったいなにがだ?
ひじかたの姓のひとはいいのか?
百姓も駄目らしい。土地世襲をして百代まで同じ姓を名乗るからか?

わからん。

とりあえず、土木建築業の中の「土方」は何でも屋である。
仕事には、大工、左官、鳶、内装屋、型枠解体、ハツリ屋などなどなど。

いろいろある仕事の間を埋めるのが「土方」である。
土建業はとても科学的な仕事である。普段かかる力の範囲を超えている
ので力学的にものをみなくてはいけない
そうでなくては指1本、腕1本、軽くもっていかれてしまう。

僕は震災後、土方をやっていた。
以前、経験があったことと、先輩に呼ばれたからだ。
(水商売のコーナーの先輩である)
市内の道路のいたるところの瓦礫を取り除き、木造家屋の解体をした。
それは、夏前に単車で事故るまでつづけた。
とても、健康的な仕事だと思う。
朝、日の出とともに起きて、日没ぐらいまで働く。
雨の日は休み。

野外の作業が多いため季節にも敏感だ。
そして、仕事の成果がわかりやすく目にみえる。
小学校、中学校レベルだが計算もしなくてはいけない。
(現場で計算式を思い出し、暗算するのは大変だ。
少しの計算違いで取り返しのつかないことになる)
現場は危険で危機回避するには経験と感が必要だ。
馬鹿な奴がする仕事のようだが、決してそうではない。
人足(作業員)レベルではアホで結構だが。
僕は2t、4tダンプを運転していたが、現場には運転の腕も要求される。
「ダンプ、こんなとこはいれんやろ」と言われるところへ、入れる。
荷を積んでさっきより苦しくなった条件で悪路をでる。
早く済ませればその分、早く帰れるのだ。
(もっとも失敗して、もっと最悪なことになることもあり)
そうすれば、納期までに早く仕上がる。すると、まだ別な仕事を受けれる。

また、休めもする。会社が儲かれば、社長(先輩)はよくおごってくれるし、
新しいことをさせてくれるし、(重機の運転など)
少し、失敗しても大目に見てくれる。(よく失敗したが)
そして、仕事が終わった後の酒は美味い。

結構、楽しい仕事なのだ。


神戸の街を瓦礫撤去のため、いろいろな場所にいった。
その時、一緒に働いていた大学生がいた。
その彼も大学へは柔道推薦で入り、腕前は3段の猛者であり、
ひどく負けず嫌いであった。
(同じ時期の部員は世界大会にいったそうである。道場で会わなくてよかった)
ダンプに瓦礫を積んで捨て場まで、その大学生と捨て場まで競争した。
地震のために道路はひどく混雑している。そこをいかに早く、
危険なくタイムを縮められるかが勝負ポイントだ。
スピードを出すのではなく、時間帯や、天候、道の込み具合、道の選択、
それによる信号のタイミング、などを頭で計算してタイムを競う。
すごい重量の荷を積んでいるため、スピードをだすのは予想外に危険だ。

だから、道路状況の予知が勝負の決め手である。
普通に行くと、2時間以上かかる道のりを1時間を切って帰ってくる。
そして、廃材捨て場でおもっきり捨てて、(楽しくドリフトしながらもあり)
軽くなって快調に帰ってくる。

だが、予想外のことがあるとひどく遅れる。
一時間以上、渋滞に巻き込まれて帰ってこれない。
それを、大学生とムキになり、張り合う僕もどうかしている。(笑)


家の解体も面白かった。木造住宅を大ハンマーとバールとダンプだけで解体するのだ。
柱や壁をハンマーでぶちこわしてまわる。
その、壮快なこと。しかし、はじめの3時間だけだが。
そして、ユンボ(ショベルカー)でダンプに積む。
それを3日たらずで更地にしてしまう。
あのときの神戸の状態ではとてもいい仕事をした。

僕はそれまで、2t、4tダンプを運転したことがなかった。
かなり、大きい。その上ペーパードライバーだったのだ。
乗用車とちがって荷台がある。これが大きく違ってくる。
荷をつんだらブレーキが効かなくなるのだ。
さらに、瓦礫などのコンクリート片を積むと、坂道は恐怖にかわる。
なるべく避けて通らなければならないが、
神戸は坂の街である。

一度、すごい怪我をしそうになった。
廃材捨て場でダンプの荷台をあげて捨てていたのだが、
廃材がひっかって落ちなくなった。
しかたなく、ダンプの後部の扉と廃材の中に右手を入れてひっぱりながら
後部の扉のロックを同時にをはずすしかなかった。
もう一人に手伝ってもらい、「せーの」の合図で外すことにした。

そして、「せーの」。

が、「ー」短かった。僕の手はダンプの扉と荷台に押し付けられ、
紙のようにぺったんこになっていた。

目の前で見えていることが把握できない。痛みも感じない。
手がまったく平たくなるなんて、1秒もない時間だったろうが、 凍り付いた。

あわてて、引き抜けば簡単にちぎれるだろう。
目を車全体へと移し、力のかかっている状態を虚ろになった頭でみる。
冷静さをとりあえず装い、運転席のハンマーをとってきてもらう。
それで、ロックを思いきりなぐる。3度目で手がぬけた。
が、相変わらずぺったんこで蝋のように真っ白である、感覚もない。
「もうこの先、右手はないのか」
と覚悟したとき、急にふくらみ出してきた。
ところどころに内出血がある。手があったかくなってきた。
感覚が徐々に戻り、握れるようになった。
どうやら、まだ使えるらしい。
ほっとして、大学生とのタイムトライアルを思い出し、
急いで廃材捨て場をあとにした。


いかがでしょうか?スリルに満ちあふれる刺激的な生活。
(しかし、よく運転席にハンマーがあるのを思い出したなあ)
近ごろでは女性もたくさん増えてきています。

就業したいですか?(笑)


追記: 以前の働いていた、土方の時。

海上自衛隊を除隊後、実家にもどった。
そのとき、ある事情ですべてに失望しており、そのときあった
貯金も(たしか、100万以上)夜の街に出て、すぐ使い果たしてしまい、
次に何をやろうか、全然思い付かない状態だった。
いや、何にもやろうとする気はまったく起きなかった。
しかし、遊び金はいる。
(まったくない、と言えば嘘になるが、親の金を、酒、
タバコ、女性、ギャンブルに使うのは大嫌いだった)
働く気はない。仕方なく、日雇い労働者(あんこう)の仕事にした。
これは日払いでくれるし、行きたい日だけでいいし、
元気な時はキツイがお金のいいところに行けるからだ。
(そのときの売りものはガタイだけだ。)

朝、日雇い労働者があつまる公園に行く。
そうすると、建築業者が車でやってきて、めぼしい奴に声をかける。
僕は若い身空で1人だけ、50〜60才のおっちゃん、じいちゃんの中に
紛れ込んでいた。みんな、一様に疲れた顔で目に光はない。
僕も若かったが、はたから見ると同じだったろう。
そこで、車(ミニバンが多い。護送車と呼ばれる)に乗って
得体の知れないところに連れていかれる。
そこで、1日作業(まるで、猿回し)して、日当をもらい
夜遊びに出る。
そんな、生活を1ヶ月ぐらい続けたろうか、ある朝に車から威勢の
いいにいちゃんが降りてきた。年は2〜3才上だろうか、
言われるままに車に乗った。公園を他の日雇いを探して、ぐるぐる
回るのだか、おっちゃんが車の脇を通ろうとすると、
「どかんかい!ボケっ!!」とか、「しばくぞっ!むこういけっ!」
を言いながら公園を回っていた。(そんなにいちゃんだが、なぜか
僕には優しかった。)そして、何度か朝会ううちに、
明日は直接事務所に来てくれ。といわれた。

まあ、いいかと思いながらそこでなにげに働くようになった。
その内に、忙しくなってきて他の人足(日雇いのおっちゃん)を
連れて現場に行くようになった。

ある朝、事務所にいくと社長がなぜか応接間で寝ていた。
「おはようございます」「おう。」社長が起きると、
背中には「仁王様」が。

ああ、そういうとこだったんだ。

あとで聞くと、優しくしてくれて寿司もおごってくれたおやじさんも
(なぜか、事務所にいた)「ワシはシャバよりム所のほうが、
長いからなあ。」といってた。(なにで入ったかは聞いてない)
そういえば、ほかに(なぜか、また事務所にいた)足首とかに
入れ墨ある人いたなあ。
社長は元山口組系の代貸(字あってるかな?)だったそうだ。

あのまま、勤めていたら僕はどうなっていたのだろう?


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