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【雑談】チラリズム論考
唐突に、チラリズム論考 ちょっと見えそう・・・見たい・・・あぁぁぁぁ、見せてよ・・・くぅぅ、見えない・・・・。 なんて経験ありませんか?(^^;)。 ミニスカート・・・・・。 ノースリーブの横から見える「○○○oー」 ブラウスから透けて見える・・・・ 短いTシャツから覗くほんの時折見える白い肌のお腹 人文学者において近代の研究対象の全てはチラリズムと言っても過言ではない(嘘)。 「見せてはいけない、オープンではいけない」 「恥じらいの向こうに、大きな悦び」に象徴されるような、ヘーゲルのセリフを引用するまでもあるまい(偽情報)。 タブー性との境界線を越えるか否かという面から、「ちょっと嫌がる」と並んで、資本主義に代わる人類共同のイデオロギーとして定着するのではないか?。 「本能の壊れた動物」(岸田秀・フロイト同旨)の「方向性を持たない過剰なサンス」(浅田彰)をどのように方向付けるかは難しい問題であり、「意味」から「強度」へ(ニーチェ?)という現代では、「強度」を補強するために「まったりと終わりなき日常を生きる」(宮台真司)しか方法がないとも言われる。 しかし、強度を意図的に補強するという意味で、タブー(そもそもタブーが存在しなくなるから、「終わりなき日常」というのかもしれないが、個々人において全てのタブーがなくなるということもあまり考えにくい気がする)を「超えない」で、「超えそう」でも「超えたい」でもやっぱり「超えない」感覚、それ自体を楽しむということは、個人の幸福値は上がり、ということは、おそらく全体効用の上昇につながるのであり、この感覚を戦略的に採用するという意味で「チラリズム」は「まったり」を上回る圧倒的に現代を生きる最高のスキルであるともいえるのだろう・・・・・・。 そうか?(苦笑)。 |