【雑感】あなたはクラムボンがペケペケと笑う姿を見たことがあるのか?
(2001年12月01日)
クラムボンは笑ったよ、カプカプと笑ったよ
僕は理不尽なものが嫌いだった。そして、国語と言う教科がなんとなくイヤになったのは、クラムボンのせいだった気がする。
この一節が載っている作品名を「やまなし(宮沢賢治著)」というのだということは、忘れられているかもしれないが、「クラムボン」という響き自体は覚えている人も多いのではないだろうか?(もちろん教科書に載ってなかったという人や、学校でやらなかった人もたくさんいるかもしれないが)。
そう、「やまなし」は、国語の教科書に載っていたのである。小学校3年生ぐらいだっただろうか?。
「クラムボンとは何ですか?」
この質問は適切なのか?
基本的には、詩的な表現というものは、解釈次第の問題だし、個々人がどういうイメージを結ぶかというイメージ論なのだと思う。
どういうものをイメージしてもよくて、何をイメージしても良い、そういうイメージの広がりを楽しむものなのだ、ということだ。
また、考える過程それ自体が大事なのだろう。
だから、教える時には、そのことをはっきりと言うべきなのだと思うのだ。
「クラムボンが笑ってるイメージは、どうイメージしても良いのだけど、答えがあるわけじゃないのだけど、あなたはどんなイメージが浮かびますか?、一生懸命考えてみてください」、と。
そして、文学上の通説的な見解があれば、「有名な、〜という文学者は、これについて、こういうイメージだということを言っています。それも、頭に入れておいてもいいかもしれません」と伝えれば良い。
が、おそらく、教えている方が詩的表現のレベルで何を生徒に伝えるべきなのかをわかっていない。教える意味があるのだろうか、と思っているか、当然こう感じるべきだぐらいに思ってたりするのだろう。
だから、なんとなく、クラムボンは何ですか?、などと聞いてしまうのかもしれない。
そして、答えがなくて良い、イメージで遊べば良いということをわかっていなかった僕は、僕なりに、その答えを一生懸命考え、どうやって答えが出せるのかに悩み、結局、答えを出せず(僕の中では色々と解釈をして「泡」ということだったのだが)、答えは曖昧なままに授業は終わった。
「曖昧で良い」ということについてのはっきりとした言及もないままに。
そして、国語というものをなんとなく嫌いになってしまった(それでも得意科目だったが)。
かといって、国語は全てイメージなのかというと、それは違う。
論説文などの場合には特に解釈の可能性はかなり制限される。
脱線)「読書をしろ」というと、「小説」ばかりに行くことも多いかもしれないが、いわゆる受験で言う国語力を身につけるなら、「小説」よりも「新書」や「社説」などで論説文に親しむ必要がある。
小説の場合にも、その解釈が正しいのかどうかはともかく、入試レベルでは、近代文学理論(「現代」文学ではないところがミソだが)が持つ一定の解釈理論に従うと、こういう解釈になる、という「答え」がある(もちろん出題者の主観にかなり左右もされるが)。
実際、詩の解釈なども、それが「正しい(正しいとは何かも疑問だが)」のかは別として、古典西洋詩などの場合、解釈理論が結構キッチリしていて、その理論に従って書いていたりするから、この理論に従うとこういう解釈ができる、という筋道がある。
その意味で、理論を身につければ良いのだから、国語というのは、訓練で伸びる科目だ。
入試レベルでは「正しい答え」が出せるものなのだ。
しかし、そのことはあまり世間的に流布されていないし、「国語って答えがないじゃん」みたいな言葉の方がいまだに有力だったりする。「勉強してもしょうがないじゃないか」という。もしくは、「国語できるヤツは、才能があるからできる」で済ましてしまう。
「答えがない」レベルと、「答えがある」レベルがあって、その区別が重要なのに、全て国語は答えがないと思っていたり、もしくは、なんとなく才能だけで読むものだと思われている。
それは、やはり小学校レベルから他教科に比べて、国語の勉強の方法論が確立されていないせいだろう(そう思われてるから勉強方法が確立されていないとも言える。鶏と卵のどちらが先か、という問題だが)。
ワープロの普及や文字社会であるネット社会の広がりのせいで、これからの社会では、文書の理解能力、文を書く能力などが、相当量要求される気がする。
英語力や数学を鍛えている間に、国語力こそ伸ばすべきなのだと思うのだ。
できれば、小学校段階で、「訓練で伸びる」ことを、もう少し生徒に植え付けるべきなのだ。
また、答えが出せないというより、出せなくて良いものと、出せなければいけないものの区別を、教える段階でハッキリとさせるべきなのだ。
かつ国語力の適切な養成方法を構築しなければいけない。
とはいえ、先生達の中に「国語は訓練で伸びる」ことを知らない人が多かったりするんだから、無理な話かもしれないけど・・・。
そういえば、理不尽嫌いの子供時分の僕は「奇妙奇天烈 摩訶不思議 奇想天外 四捨五入 出前迅速 落書き無用」という ドラえもんの歌詞について 「これはどういう意味?」と親に聞いた覚えがあるなぁ・・・。
「意味はない」って言われて幼心に憤慨した気がするが・・・・ヽ(´ー`)ノ。
てゆーか、クラムボンって、結局何なんだよ?ヽ(´ー`)ノ>宮沢賢治
うーん、「やおい」な文章になった。やまなし、おちなし、いみなし・・・・。
あー、そういえば、「やまなし」が題材だったから良いのか。
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