自由・平等・権利

 まず、僕は「自由・平等・権利」という言葉がキライです。それは「これらの言葉を誤用(≒悪用)する人が多いからこういう言葉は嫌い」ということです。



 まず、自由・平等・権利というのがキライな理由は一部には典型的に言われるように


「自由」と「好き勝手」を勘違いする奴。
「平等」と「横並び」を混同する奴、
「権利」を「わがまま」のカモフラージュにする奴。




 こういう人がいるということです。


 で、こういう言葉を頻繁に使う人に限って誤用が多いから、言葉自体が嫌いになってしまってます。


 ただし、これだけでは理由として十分ではないのです。





 それ以外にも言いたいのは、使ってる人が言葉の「定義」によりかかりすぎてるということ。


 こういう言葉を大事にする人って


 本当はこういうものなんだ


 起源としてはこうなんだ



 というような言い方をすることが多いのです。


 でも、本当はそうって、歴史的に見ればそういう起源だからって、その定義が【絶対/正しいもの】なのか?。



 「自由」って言葉自体は、責任がともなわなくてもやはり「自由」とも言える。


 言葉ってのは、結局、社会での慣用・使われ方だからさ、どっちが間違ってるとか決められないんじゃないだろうか?。



 それを、「歴史」とか「本来あるべき姿」とか言ってると、それは、議論の筋道を間違えてしまうと思う。



「自由」とは、文字通り、「何でも自由にやっていい」ということ。
ただし、それは同時に、「自分の自由な行動によって生じた結果に対し最大限の責任を負う」
「自分の自由を守るとともに、他人の自由も犯すな」
これを欠いた「自由」はエゴイストたちの「好き勝手」に過ぎない。


と言うようなことを言うかもしれない。


 もちろん、自由は責任と共に論じられることは多いです。


 もうひとつは他者の自由との関係でも述べられます(法律論的には)。



 ここでは、別の側面。


 誰かを殺す自由を制限することで、殺されない自由を得る。


 自由に育つことを許され、放置された人間の赤ん坊は、人間として育つことに不自由である(まず死ぬでしょ)。




 というように、他者の自由とか責任とかと切り離しても、そもそも自由ってのは、何をもって自由とするのかがわからないって側面がある。


 他人とは無関係に、ある個人においても何かが自由になれば、何かが不自由になるんだ。


 ある個人においても、自由同士が衝突するものなんだ。どっちかを自由にすれば、別の何かが絶対に不自由になってる。


 で、何が自由なのかが決定できないっていうような、そういう言葉を不用意に使うと


 「子供は放置されることで自由でいられるんだ!」


 「いや、それは本当の自由とは言わないんだ」



 とかそういう議論になってくる。



 そうじゃなくて、

「放置された場合には、言語を覚えないのではないか」


「その場合には、そもそも食事を得ることはできないで死んでしまうのでは?」


「でも、それによって生き残ったらば、強い生命力を持つと思わないか?」




などという実効性のある議論の方が適切じゃない?。


 「何が自由なのか」を論じるよりも、何をすることがメリットで、デメリットがこうだとかそういう議論をしないと議論する意味がないでしょ?。



 でも自由って言葉は、こういう実効性のある議論を阻害しやすい。


(権利・平等も同様)。





 そして、「自由・平等」とかそういう言葉を大事にする人(酔ってる人とも言う)は、定義を絶対化しすぎる。


 

 こういう自由が好きだというのは構わないが、それが正しいというのは理由はない。


自由・平等・権利という言葉は、使う時点で即「権威」と「酔い」が発生する言葉です。



 それは、この「言葉」が持つ正当性が強く感じるから、自分が権威に乗っかってることに気付かないということのせいなんだ。


 要するに、虎の威を借るキツネ、寄らば大樹の陰なのだよ。



 しっかりと理論的に考えようとマジメに考える人に限って、こういう言葉に惹かれてしまうのです。


 こういう言葉の魅力に騙されてはいけません。


 自由・権利・平等に限りません。アイデンティティとかオリジナルとか個性とか創造とかでもなんでもいい。




 言葉の定義にこだわりすぎないでください。言葉の定義の権威に、言葉の起源の権威によりかからないでください。


 言葉・文化・制度は人間が生きやすいように、思考しやすいように生み出された「装置」です。


 色々な物事を容易にするための「マニュアル」なのです。


 「装置」で対応できないものが出てきたら、装置を外しましょう。


 マニュアルに書いてないことがあったら、マニュアルは(参考にしつつも)横に置きましょう。


 装置同士をぶつけあっても結論が出ない時には、装置を外して考えなければいけないのです。




 話がずれた感じがするかもしれないので、話を一応戻します。


 「マニュアルとしての権威が高いから権威によりかかる人が多い」ので、自由・平等・権利という言葉が嫌いです。


 よりかかってることに無自覚な人も嫌いです。


 ということで僕がこれらの言葉を嫌いな理由についての話を終わります。



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