常識を主張する恥ずかしさ
 
 
 「夜中にバスケなんかやりだすのよ、常識がないとしか言いようがないわ」

 友人の女性がいきなりまくしたてた・・・。

 彼女の隣人の話である。


 僕は基本的に「音には寛容でないとこの都会で生きる資格はないのではないか」とさえ思っている人種である(極論すればってことでね)。

 電車の中のウォークマンのシャカシャカ音とか携帯電話とかにうるさく言う人には「別に目くじら立てるなよ」と思う。

 逆にそういうことを言う人に対しての方が不快感が大きい。


 ただ、言っておくならば、僕はウォークマンを電車の中で聴く時はホントに小さな音にしてるし、携帯の音にしたって振動にして、消してある。

 ラッシュの電車ではもちろんしゃべらないし、すいてる時でも人のいない所に移動して、手で覆って、ささやくようにしゃべっている。

 ちゃんと音には気を遣っているのである。

 それとは関係なく、『「うるさい」と言う人間』に対してはちょいと疑問符なのである。


 もちろん、「うるさい」と言われうることを感知もしくは関知しないような鈍感な人間は同様に大っ嫌いである。そんなヤツはヤツで論外である。


 が、ここでは音の話はちょいと置いておくことにする(ここまで書いていて今更ではあるのだが・・・)。

 ここで述べたいのは冒頭の「常識」というものである。


 彼女の言い分としては、物理的に音がうるさいというのもあるとして、「夜中」であることが「常識」に対して問題になっている。


 しかし、これはどうなんだろうか?。


 もちろん夜中にバスケをやる人間なんてのはそんなに多いわけではない。

 だが、昼間には寝て、夜中には起きるって生活の人間の数で言うならば、相当な数がいるはずではないか。
 常識的に言えば、どっちも同じくらいいると言っても過言ではないかもしれない(関東近辺では)。

 だとしたら、仮に「昼にやるのなら怒られない」というならそれはそれで不当な気がするのは僕だけだろうか?。

 別に僕は夜中にバスケをやったりもしないし、サッカーの練習もキャッチボールもしないし、般若心経を唱えたりもしない

 せいぜい、ホームページを見てまわってクスクス笑ったり「なっちカワイイ」とか呟きながらパソコンに向かうだけである(これはこれで怖いか・・・)。

 それでも、夜中にバスケがしたいという人がいるなら、いいじゃないかと思うのだがね。

 先ほどの電車の中での音にしても、電車の中では「静かにしてるべき」という「常識」が後押ししてるものと思うが、それってホントに常識なんだろうか?。

 こんな価値混沌の世の中でよく「常識」なんて主張できるよなあと思わず関心してしまう・・・。

 「何か文句をいう」ときに「常識」を引き合いに出す人がいるが、結構、そういうモノの言い方は恥ずかしいかもしれないってことは自覚しておいて欲しいものである。

 この場合、主張する理由はあくまで「うるさい」だけでしょ。

 常識は関係無いと思っていた方がスマートだと思うのだけどね。

 まあ、確かに音ってのは気になる人にとっては気になるものらしいのだけどね・・・。
 ちなみに、「夜中に騒げ」って主張してるわけではないので曲解しないでくださいね(笑)。


 常識については また別の機会に述べてみたい。  
 


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