【書くということ】あなたは本当にネタがないの?
 ホームページを色々廻っていると、


 ネタがないというのをよく聞く。




 書くことは好きだが、それほどは書くことに慣れていない大学生に、新聞(一般誌)掲載用のコラムを書かせると



 電車の中でのこと


 二十歳・成人式・卒業・入学などの区切り




というネタを書くことが非常に多い。


注)何故、大学生にコラムを書かせるようなことがあったのかについては、話の流れの都合上、割愛。



 電車内でのネタが多いって言うのは、電車の中ってボーっと考える時間がまとまってあるからなのだ。



 区切りというのは、やはり、自己開示傾向の問題なのかもしれないが、何かイベントとして表現してみたいものなのだろう。



 ただ、逆に、この2つは誰でも考えるネタというものだけに、つまらない場合も非常に多い。


 このネタで素晴らしいモノを書ける人は逆に才能があるのかもしれない。



 その人にとっては珍しいイベントでも、誰にでも訪れるイベントでもあったりする<二十歳とか


 そして、そういう特別なことがないと、ネタがないと判断してしまうのだろうか・・・。


 じっくり書くために考えることが少ないせいだろうか、電車の中で気付いたことってのは、何か重大な発見に思えたりするのかもしれない・・・・。





 今回、久しぶりにホームページを更新したり、何かを書いたりするにあたって、僕はこの五ヶ月ほどまったくインプットをしてないことに気付いた。



 つまり、新しい「ネタ」というものが、実はあまりないのである。


 やはり、内面にあるもの以上のものは出てこないってのがあるから、インプットされてるものがどのくらいあるのかというのが重要になってくる・・・・そんな気がして・・・・。



 だから、僕は、急いでインプットをしようと焦った。


 でも、焦れば焦るほど、何も吸収されない。アウトプットを前提に吸収しようとしても、全てはそのまま丸写しに出すという上滑りになりそうな気配。


 これは・・・根本的に何かを書こうとすること自体がしばらくは無理か・・・。僕は挫折しかける。




 でも、それは違う・・・。


 「経験」主義的な考え方に陥るのは、僕の主義に反するのではないか?。



 珍しい出来事がなければ書くネタはないのだろうか?。



 新しい考え・書物などに出会わなければネタはないのだろうか?





 そうではなくて、「経験していても、経験によって成長してるのか?」と言った以上は、経験の消化・昇華こそ今問われてるのかも?。



 今までの経験を貼り合わせ、想像力で補って、再構成して、パースペクティヴを変えて、「表現」してみることは面白いのではないだろうか・・・。



 そう、どうせ、ほとんど、経験したことの98%は切り捨てられてしまってる気がするのだし。


 それなら、経験を浪費しないために、経験の再利用・リサイクルは出来ないか(・・・というよりは、ここまでやって、経験したって言えるのかもしれない・・・)。



 などと、僕は考え、キーボードを叩いていく・・・。



 新しいネタを探さなくても、無駄にされてる経験がいくらでもあるのではないのか?。




 なんせ、君はもう2○年と○ヶ月以上も君自身とつきあってきたのだから。



 新しい未消化のモノをなんだか上滑りなまま、とりあえず出してしまうのでは、小学生と一緒ではないか?(笑)。




 まず、やるべきことは、再経験か・・・・。



 僕は、以前読んだ書物(漫画含む(^^;))をもう1度読むことにする。


 自分の中で吸収されてると思うもの、感銘を受けたものをだ。


 ここで、自分の中で全然未消化だったものを改めてという手段もあるのかもしれないけど、それでは、結局、新しい経験を求めてることになってしまう気がしたから、今回は却下する。



 もちろん、「経験」というものは1度きりだから経験なのであって、再び同じ書物に触れたからと言って、同じ経験を出来るはずはなく、それは、「再経験」ではなく、まさしく「新たな経験」に過ぎないのだけど、それでも、やはり、以前の経験の消化には役立つはずだと、僕は、その作業に取り掛かる。



 そして、再経験とは違うが、自らの歴史・出来事を振り返ることにする。


 いつどこで何があったのか、何が【好き/嫌い】だったのか、どのような出会いをしたのか、どのような人と、どんなところで、どんな経験を【した/しなかった】のか。どんな心の動きが【あった/なかった】のか。


 出来るだけリアルに思い出そうとしてみる。


 すでに思い出そうとしているという時点で「死んだ経験」だというような文学系批評家が好きそうな考えを抱きながら、それならそれで、「今の思い出そうとする作業自体」が生じさせる「心の躍動」に期待しようと、僕は自分に語りかける。


 再現はすでに創造なのかもしれないけど、逆に創造とは常に模倣でありコピーであるとも言える・・・というより、僕にとっては、「創造なんてものはありえない」、という考えの方がしっくりくる・・・・、どちらにしろ、この再現行為は僕にとって利益をもたらしそうなので、続行する。


 そして、リアルに思い出す努力と同時に、客観的にその出来事を表現する手段を模索してみる。




 本を読む。線を引いてあるところを読む。「そういえば、そうだったなぁ・・・へぇ、そうだったのかぁ・・・」などと感銘をまた受ける。「あ、この表現いいなぁ。このセリフ面白いなぁ」・・・。


 昔見たTVドラマを思い出してみる。「感動した映画って何だったけか」と考えてみる。「この歌が流行ってたころ、何があったっけ?」・・・・・。


 友達と大笑いした話を思い出してみる。「今でも面白いだろうか、何故面白いのだろうか、ってことはこういうネタに応用できるのかもしれない・・・・」


 過去に書いたものを、メールを、自分が書いたメモなどを見返す。


 当時と変わったこと、変わってないことを整理してみたりする。「こんなことを考える・書く理由はどうしてなんだろう」・・・と考える。


 そして、また新たに思考をつむぎだす。


 過去の経験を今の視点から表現してみる。


 過去の経験をその時点の視点から表現してみる。


 表現方法それ自体を根本的に見なおす。


 他人のホームページや、多くはないが最近あった珍しい出来事などから、インスパイアされたものをそれらにミックスさせていく。



 そんな【思考/試行/施行】錯誤を繰り返す・・・


 そして、自らに課した最低一日一つ何かを書くというペースを可能な限り維持する。



 そしたら、なんのかんの言って、いつのまにか今月は結構なペースでものを書いている(ホームページ上には出てきていないけど)。



 なんとかなるものだな(^^;)・・・・というのが実感。








 ネタがない、ネタがない・・・・ホントですか?(自戒の念を強く込めて)。


 20年間生きたとしても6億秒以上、17万時間以上もあなたは生きてきた。



 ホントにネタはないのですか?。




 ホントにネタはないのですか?。




 ホントにネタはないのですか?。



 パラダイムトップへ

 掲示板
TOP