『経験という事』  経験主義者に告ぐ
 
 
 
 唐突に。

 経験なんかいらない!。

 日本人はわりと経験主義的である(イギリス経験論的なものであるかどうかということとは関係なくね)


 日本人には「経験」というものを重視する人が多い。

 「習うより慣れろ」という言葉、「亀の甲より年の功」であるとかいう言葉や、年功序列的要素の強い社会はその現れであろう。


 「経験に勝るものはない!」。

 このセリフも、日本の入試現代国語に出てくる言論に あまりにも多い。


 あまりによく見る陳腐過ぎる論調・・・・と思うのは僕だけだろうか?(マスコミの影響受け過ぎなんじゃないの?とか思ってしまう)。

 (割とね、留学系の人とか、マスコミ系行きたがり系の人とかに多いんだよねぇ、こういうこと言う人(^^;)。
 まあ、いいんだけどさ )


 もちろん、
 たしかに経験が重要であることは否定できないとは思う。

 特に「経験する」ということは「面白い」「楽しい」ことは最も否定出来ない要素である。
 留学でも、旅行でも、遊びでも、経験するよりも面白いってものはやはり少ないであろう。

 ただ、
 留学経験のある友人の話とかを聞いていて、で、その「面白い」「すごい」体験はよくわかったけど、それで、君はどれくらい成長したの? と言いたいようなヤツが多いのである・・・。


 「で、その経験をしなければ君は成長出来ないの?、しかも大して成長してないみたいなのに」とか言いたくなってしまう。



 ホントに経験に勝るものはないって言えるほど経験って重要なのだろうか?。

 人間の成長という意味で経験よりも役立つものってないのかしら?。

 まず、経験は量というよりも質ではないか。

 どんな経験をしたのか、そこから何を学ぶかではないのでしょうか?。

 そして、その学ぶことは、ホントに経験することでしかできないのですか?。


 経験主義的な人が多く、「百聞は一見にしかず」とか「経験に勝るものはない」とか好む人が多い、その反面、「マニュアル」という言葉を嫌う人が多い。

 「シュミレーション」という言葉も同様に嫌われている。




 「マニュアル」と聞くと、すぐに「マニュアルはマニュアル人間をつくる!」って反対する人がいる・・・。

 これこそ「マニュアル人間」の典型の反応じゃないの?(^^;)。

 「本質や重要なことを無視して、文字通りにしか反応できない人」

 これがマニュアル人間でしょ?。

 「マニュアル人間は、あんただよあんた(笑)」と言いたくなる(^^;)。


 物事を解決してゆくプロセスを、それに必要なことを分析し、他人に理解できるように、他人が同じ解決が出来るように物事を整理する。

 これがマニュアルというものである。

 マニュアルというと拒絶反応を示す人間は結局、必要なことを見出す能力に欠けていて、その言い訳に「経験しなきゃ駄目なんだよ!、経験すりゃわかるんだよ!」とかいうことを言い出すのである。
 いやはや、まったく・・・・。




 「仮想の世界・バーチャルリアリティーな世界に引きこもりがちな人間が多い」と嘆く人、あなたの周りにいませんか?。
 それともあなたがそういうこと言ってませんか?。

 確かに現実世界での人間との交わりが出来ない人がいる。
 これは多分に社会で生きていくにはマイナスであろう。
 でも、そんなヤツはまあ、どうでもいいのよ(切り捨て御免)。
 勝手にヲタクな生き方をしていてくれ。

 で、それは無視して

 バーチャルリアリティーの世界は役に立たないですか?。
 シミュレーションはホントに意味がないんですか?。
 バーチャルな世界で現実と同様の体験をすることは出来ないのだろうか?。
 物語を読むことで、物語の中に入ることで、自分の経験を豊かにすることは出来ないのだろうか?。

 起こりうる問題点を考えておいて、それに対する対策を立てておく。シュミレーションを行っておく。
 そのことで、より深い経験が可能になるはず。
 「無意味に楽しい、スゴイ体験」に終わらせないことが出来るのでは?。

 もちろん、「頭の中で考えてるばっかりじゃ駄目だ」というのもやはり一理ある。経験する手間がたいしたことがないならば少なくともサッサと経験するべきことってのは多い。
 経験してみないと何が起こるかわかりにくいことだってたくさんあることは、否定しない。
 ただ、頭の中で考えたことでも、実体験レベルまで持っていくことは場合によっては可能であるはずである。


 そのために必要な能力は何か?。

 それは実は「想像力」であったりする。

 (参考までに言っておきますが「創造力」ではないです)

 想像力次第のはずなのだ。

 人の経験を実際に経験しなくても追体験できる 「想像力」こそが重要になる。
 いや、それどころか、極論を言えば、誰も経験したことのないことも想像力で体験することすら可能のはずなのである。

 人間がもしも自分が直接体験したことしか自分のモノにしか出来ないならば、人間は成長・進歩できない。
 だって、いくつの体験をしなければいけないと思いますか?。

 人間が何よりも人間らしいところというのは、実は、他人が実際に体験したことを伝達し、それを生かすことが出来るというところなのではないだろうか。

 直接体験せずとも、あたかも自分が直接そのような事実を経たかのように、想像力を駆使して自分のモノとして吸収すること・・・・。

 人がたどり着いた所から、後から行く人はさらに先にたどり着くことを可能にするもの。
 それが想像力を通じた経験伝達能力なのではないですか?。


 もちろん、それは先人がどれだけうまく経験を後から来る人に伝えられるかにかかっていることは事実ではある。

 そう、だから、経験した人間は出来るだけ人に伝えてみる努力をしなければいけない。整理することで、自分にとって、何が役立ったかがわかり、しかもしばらく後になって見れば、新しい発見や、忘れていたモノを再獲得できるはず。

(ただ具体的事実を並べればいいってわけではないですよ)

 抽象的な法則をどう実社会でうまく適用していくか。そうやって人間は成長できるはず。


 あなたの想像力は大丈夫ですか?。
 あなたの伝達能力は大丈夫ですか?。

 自分の経験を分析し、整理し、他人に追体験をさせることが出来ますか?。



 少し話は違うけど、日本人の「経験主義」が露骨に出ている年功序列について。


「経験者は上司になれる。経験者は管理者に、管理職になれる。

 それは何故か?。

 自分が現場で経験してるから、何をやるべきかがわかっているから」



 というこの意見をすんなりと受け入れる人は多いのではないか?。

 あなたはどうですか?。

 でも、ホントですか?。

 自分で覚えた仕事を部下に能率よく教えられますか?。

 全体で共同作業をやるために誰にどういう指示を出せばいいかわかりますか?。


 現場での経験は管理するためにある程度は必要になるにしても、それは「ある程度」で足りるのではないですか?。

 いわゆる、後進の指導にあたる人間にも、同じことが言える。
 学習者はかつて教わった方法をそのまま使用する。
 その目的も伝えない(目的を知らないんだから、しょうがないんだが)。
 そのような学習経過を経たことはおぼろげにわかっているが、それぞれの目的・効果を知らないため、適切な応用が出来ない。
 そして、それで育った人間は、同様に後進を育てたりしてしまう。


 経験すればどうにかなると思ってるから、結局、育つのもそういう人・・・。

 そして、全ては「悪い意味でのマニュアル」と化していく。


 「全体像を把握する能力」・「他の人間を指導し成長させる能力」という管理者として必要な能力は、実は現場での経験では向上しない。
 しかも、その能力があるか否かも現場での働きでは判断しきれないはず。

 それなのに、無節操に経験者優先主義になりがちな日本の体制・・・。

 上司として、管理職として必要な素養と、部下としての素養とは全く異なるのに・・・
 (会社・管理職とかに限らず、学生の部活動やサークルなどでももちろん見られる現象)。

 (まあ、もちろん、部下・現場としての素養もないし、もちろん上司としての才能もないってのに上司になってしまう人間もたくさんいるのだけどさ(^^;))

 (実は「管理職」とか「上司」って言うからいけないんであって、「調整役」とか「中継職」とかいう風にすればいいわけで、上と下ではなく、あくまで役割分担なんだけどなぁ・・・というのは今回の「経験」って題からはずれてくるので、いつか今度。)



 根本的には「(日本にありがちな)経験主義者」というのは、要するに「想像力」が欠けていることが多いように思える。

 あと整理・伝達能力に欠けていることの言い訳をする人に多い(欠けてるのはしょうがないのだが、それを「経験主義」で正当化するのはやめてくれ)。



 ところで、ここまで
 人間の成長という面での経験の有用性(無用性)について述べてきたのだが、人間関係において重要な「優しさ」「共感」というのも実は「経験主義者」には欠けてることが多い。

 共感というのは「想像力」の産物である。

 たとえば悲しみへの共感。
 自分がある悲しみを知っていて、その経験をした人間に共感することならアホでも出来る。
 そうじゃなくて、自分は同じ体験はしてないけれども、その人の経験を想像力で追体験することで、悲しみを感じることは出来ないの?。


 体験しなければ駄目だという経験主義者には、そういう想像力が欠けている人が多いと感じてしまうのは僕の錯覚だろうか。

 自分が同じ経験を共有していなければ、その人に共感できないなんて、寂しいじゃないか・・・。



 まあ、最後に 結論かな。

 「経験なんかいらない!」・・・とまでは言わないが・・・。

 「経験の必要性って思ってるほど高くないぞ!」

 「しかも経験だけだと、ゴミにしかならんぞ!」

 「経験ってのは実は非常にロスばかり!」。

 「習い!、慣れろ!」

 「伝達能力の低さを経験主義で正当化するのはやめておくれ」

 「経験主義者よ、再考を促す!」(偉そうだな(笑)>自分)。

 てゆーか、経験第一主義者には僕は近づきたくない。自分の体験話すばっかりで人の話聞けないヤツが多いから(笑)。




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