【雑感】あなたは何になりたいですか? (2001年09月27日)




夢のない生き方
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 暇な人は、こちらもおまけで読んでみてください。





 「あなたは何になりたいですか?。」



 こんな質問を、過去にされたことはないであろうか?。



 こんなこと聞かれたことがないという人は、ほぼ皆無だろう。





 そして、あなたは、何と答えてきただろうか?。



 あなたは何になりたかったですか?



 と問い直しても良い。できれば、1分ほどでいいから、この問いに頭の中で答えて欲しい(いや、別に声に出して答えてもイイし、可能ならば眼球や心臓や胃で考えてくれてもいい)。





 では、これを読んでる人が二十代・三十代、それ以上だったりすることを前提に、「あなたは何になりたいですか?」と問うことは、どうだろうか?。




 無意味に感じるであろうか?。




 「何かになる」「何者かになる」という言葉は、微妙に不思議だ。



 何になりたかったか?という問いに、サラリーマンと答えれば、人によっては、「おいおい、夢がないなぁ」という感じかもしれないが、パイロット、スチュワーデス、医者、お嫁さん、歌手、野球選手、役者、アニメーター、芸妓、モーニング娘、殿様キングスなどなどが思いつくところだったりするのだろうか。





 ここで、僕が不思議だと感じるのは、大抵の場合、その返答は「職業」であるということだ(お嫁さんも、やはり職業だろう)。




 もちろん、社会通念上、日本語の慣習上、「何になりたい?」という質問は、「どういう職業に就きたいか」ということを意味しているのだから、それを察知し、それに返答したまでだ、というのは別に問題ではない(そう答えてしまう個人個人を非難したり問題視しているのではない)。




 ただ、その慣用が社会に流布しているという事自体には、やはり奇妙さが伴う気がする(そういう慣用を持たない人もいる、という反論も、別に問題ではない。「そうだね」というだけだ。統計上の問題)。




 「何かになる」ということは、何かの職業に就くということなのか。




 「あなたの夢は?」という質問への返答も、実は、将来の職業だったりすることが多いのではないか?。もしくは、何か一つの「事」を成し遂げること。この「事」も「職業」とは言わずとも、それに近いニュアンスで受け取られることが多い。




 そして、上記の二十代・三十代以上の人に、何になりたいか、と問うことが無意味に感じられやすいのは、既に職業に就いているからなのだろう(これからまだ、目指す職業がある人は、また別だが、どちらにしろ、「職業」が基点になってることに変わりはない)。




 職業至上主義、労働至上主義というものなのだろう。誰かが騙してそういう価値体系を作ったわけではなく、社会全体が信奉してきたこの価値体系が、いまだにそれなりに有効であるということは感じられる。




 もちろん、ある程度の飛躍があることは承知だが、自己のアイデンティティ(・・・アイデンティティだとわかりにくいかな、自己像でもいい)は、職業に集約されてしまうのだろうか?。




 職業が自己のアイデンティティの大部分を占めている人間は、一体どれほどいるのだろうか?(いや、そういう人を否定するわけではなく)。



 職業以外の自分の方が多いのではないか?。



 誰かの親である、誰かの恋人である、誰かの友人である自分。


 さらにそういう役割を超えて、歴史が好きな自分、タバコを好きな自分、モーニング娘の区別がつかない自分、加護亜依らぶり〜な自分、深田恭子のアゴのラインを見ると腹が立つ自分、大酒のみの自分、養命酒しか飲めない自分、遅刻恐怖症の自分、頼まれると断れない自分、誰もが敵に見える自分、暇があると映画を見に行ってしまう自分、誰かれ構わずアックスボンバーを仕掛ける自分、そろばん見るとローラースケートしてしまう自分、オヤジ狩りされる自分、etc.





 職業を、働くことを否定しているのではない。




 「職業に誇りを持って、自己のアイデンティティとする」ことを否定するのでもない。


 また、生きていくためには、食べていかなければならず、職業がそのために必須であるからこそ、「職業」を「労働」を基点にした、こういう価値体系になっていることも当然とも言える。



 それでも、何になりたいか、と聞かれて、「いつでも明るく、誘われたら必ず飲み会に行く人」「老人や動物に優しくって、子供に厳しい人」「いつでもニコニコ毒を吐く人」「鬱」「尻フェチ」などと答えるのも素敵ではないか(一部、イヤだが(>_<))。


(もちろん、現在の日本語の慣用としては、これらの返答は、「どんな人になりたいか」という質問への返答だろう、というのもわかるが、この発言の趣旨はそこにはない)




 激しい対立をしていたマルクス主義対資本主義も、実はどちらも「労働至上主義」であったわけだ(「自己実現をするための疎外されてない労働を目指せ」vs「勤勉なる労働によって資本を増やせ」)。


 しかし、マルクス主義VS資本主義の争いも終焉を迎え(まだ?)、高度成長期を終えた今、「何になりたい」「あなたは何者か?」の向こう側に、職業を基点としない人物像を描く、そんな時代が来てもいいんじゃないの?、と思う、今日この頃。





 あなたは、何者ですか?。何になりたいですか?。






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