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【ニュース】ネットで暴走、夜露死苦、哀愁 2001年08月09日 新聞などで、既に知っている人も多いでしょうが、以下の記事を。 朝日新聞サイトより ネット上と現実が、妙なリンクをした事件です。 ネット上だけで構成される「暴走族」。誰も車もバイクも持ってないのだという。 ある意味、驚きに値する想像力です。 「狂翼天使」という、暴走族らしい語彙力の貧困さは、この際、無視しましょう。ネットだと殺戮などという難しい字であっても間違えることもないでしょう(いや、殺陸とか書かれると痛々しいですが)。なかなか素晴らしいです。 それはともかく、「いつかは一緒に走る」ことを考えていた人はいるにしても、大半のメンバーは、たぶん走ることに本当はそれほど興味はなかったのだと思うのです。 「いつかは一緒に走ること」自体よりも、おそらく、「いつかは一緒に走ることを夢見ること」自体が彼女達の満足の対象だったのだと思われます。 それは別に良いのです。夢見心地に居場所作りをすることも唯一の居場所でなければ魅力的です。 「ここにしか居場所がない」は痛過ぎですが、「ここにも居場所がある」とネット上の空間にも自分の居場所を作るというのは、現代を生きる一つのスキルとしては意味があると思うのです。 ただ、「暴走族ごっこ」の「ごっこ」性を、どこまで自覚していたのか、どこまで自覚できるのか、これが問題です。 「ごっこ」性と言っても、現実とネットの区別という意味ではないです。 この事件は、「現実と仮想の区別がつかなくなっている」などという超ありがちなキーワードで批判することは、危険でしょう。 「ごっこ」とは言っても現実に向こう側に傷つく相手方がいるという意味では、ネットというのも全くもって現実世界と同じ(現実と同じようにネットも扱うべしという意味では、そもそも現実と仮想は区別すべきものではない)。 彼女らはそれをわかっていたのではないか。だからこそ、ネットの向こう側にいる現実の相手に「リンチ」をしてしまうという行動に出ているのでしょう。 ネットであろうと、「人を裏切ってはいけない」。それを全うしようとしたのです。 とすると、それ自体に問題があるのではないのではないか?。 ネットであることはネットであると置いておいて、夢見る「ごっこ」のつもりの人がいて、「ごっこ」のつもりでない人がいる。 その両者が両者の感覚を理解できないでいた、その辺りが「ごっこ」性の自覚の問題だということです(これは、ネットかどうかは関係がないのです)。 その意味では、 キーワードは掟の中にある「裏切り」というところのような気がします。 「裏切られた」「傷ついた」 このような言葉を発しがちな、このような感覚を持ちがちな、あまりに脆弱な彼女らの姿、こちらこそが、おそらく問題なのではないでしょうか。と、こちらの話題は、別の機会に。 一応こちらも→「裏切り」と定義論と まあ、やっぱり、仮想暴走族という発想は面白いのです・・・。 そこまで想像力を駆使して「居場所」を「構築」できるのならば、どうせなら、リンチも仮想でやってもらいたかったです。 チャットとかで。 あや総長)裏切るだとぉ?、ふざけんな、リンチにしてやる(怒り) こんな感じ?(笑)・・・・。 |