オリンピック柔道と精神衛生(2000年09月25日)
 柔道の篠原の誤審問題から数日経った。

 事情を知らない人のために、書くと、

 シドニーオリンピック男子100キロ超級の決勝、篠原信一(日本)VSダビド・ドイエ(フランス)の試合で、篠原の内股すかしが認められず、ドイエの内股が有効として認められるという事態が起きたのである。


 で、ビデオで見れば、明らかに篠原の内股すかしが決まっている。一本が認められないとしても、向こうにポイントが行くなんてことは、まずありえない。完全に誤審。

 審判理事も個人的見解と断りながらも、誤審を認めた。しかし、試合結果は覆らない。


 問題となることは色々とある。

 当然、あちこちで典型的に述べられることは、「審判の能力が低い、能力向上に努めるべき」「ビデオによる事後判断の導入」「全柔連は抗議すべきだ」等が論じられるわけです。


 あの「相撲」ですら、物言いがついた場合にビデオによる判断が行われることを考えれば、これは、柔道でも考慮すべき問題でしょう。


 で、こういう点は、既に論じ尽くされてる感があるので、少し違った視点から僕が今回思ったこと。


 ひとつは、ドイエの表情。

 彼、大喜びしてるんだよなぁ。

 謎だ(苦笑)。


 あんな形で終わったら、文句だって出ていてさ、もう少し複雑な表情をするものだと思うのだが、あの感覚は理解できなかった・・・。


 フランス国民が喜ぶのは、まあ、日本が同じようなことになっても、国民は結構喜ぶだろうと思うと、それはまあいいのだが。

 選手は、あーいう風にはならないような気がするのだよなぁ・・・。謎だ。



 で、そんなこととは、また別に、今度は「精神衛生」の話。

 篠原のセリフ「負けたのは弱かったからです」という点。

 これは、「潔い」と言われてるのだけど、そして、潔いのかもしれないけど、でも、例えば僕だったらば、同じようなことを言うだろうし、思うようにするだろうなぁ、ということを考えたのだ(別に僕が潔いと言ってもらいたいわけではないぞ(苦笑))。

 「明らかに誤審だ」と自分で思うよりも、「あの後であっても、結局自分でさらに一本取って、文句なしのメダルを取れば良かったことだ」と自ら思う方が、自分自身を納得させることが出来るだろうということ。

 いつまでも悲劇のヒーローでいようとすることは、僕には辛くてできないなぁ、と。

 あくまでも自己の精神衛生上、そう思うだろうなぁ、ということ。


 でも、だからと言って、周りは、そう言うべきでもないと思っていて、

 周りは周りで、「篠原は強かった、篠原が金メダルだった!」「あれは誤審だった!」「悲劇の幻の金メダル!」というように言ってあげるべきなのだろう、それを覚えていてあげるべきなのだろう・・・・ということを僕は考えたのだった・・・。


 そうすることが、おそらく、彼の、そして、皆の精神衛生にとって、もっとも良いのではないだろうか。


 そういう「コミュニケーション作法」というのは、「予定調和」なのかもしれないけど、でも、僕は、そういうのが美しいなぁ、というように感じるのだ・・・。

 そんなことを考えたのです。

 ということで、


 篠原、よく頑張ったぞ、あれは、誤審だ。君が金メダルだ。少なくとも僕はそう覚えておくぞ。


 パラダイムトップへ

 掲示板
TOP