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【つぶやき】相談されるというアイデンティティ(2000年10月05日)
世の中には「聞いてもらいたい症候群」の人というのは結構いるのです。寂しがりやと言えばまだ聞こえはいいのだが・・・。「しゃべりたがり」なだけのアイデンティティ・・・。 こういう人は結構、何故か、うまく聞いてくれる人というのを見つけてしまうからスゴイ(笑)。 その聞いてくれる人っていうのは、「人から相談される人」って言うのですかね(もちろん相談だけではないのですが)。 女子高校生(鈴木あみ風)「相談があるんです、先生」 2☆歳塾講師T「なんだい?」 女子高校生(鈴木あみ似)「あの・・・ちょっと言いにくいんで、ここでは・・・」 2△歳純情塾講師「そうか、そうか、じゃあ、こっちにおいで、ふふふふ。」 女子高校生(鈴木あみ)「せ、先生、私、先生のことが好きなんです・・・(スルリとブラウスを脱ぐ)」 ということがあればいいなぁ(とんでもなく本筋と無関係な妄想)。 聞く人は「ご苦労様」ではあるのです。それだけに、聞いてる人は、聞いているということに誇りを持つということもあるかもしれない。 が、聞く人は偉い人のようでいて、「なんでいっつも聞いてあげなければならないのかなぁ」とかちょろっと愚痴を言ったりしながらも、その「聞いてあげる自分」を愛してしまってることが多いわけですね。 相談される、ということは、判断力や助言の確かさなども求められてる可能性はある。 特に聞いてあげてる側、相談される側は、「自分の能力を信頼されてるのだ」とか、そういうことだと思いたいものだったりするのだ。 ところが、一般的には、必ずしもそうじゃなくって、まず1番重要なのが「話を聞いてくれそう」ってことだったりもする。 特に「自分のことをひたすらしゃべりたがり」アイデンティティの人から相談を受ける人は、ちょっと警戒をした方がいい。 それは単に聞いてくれる人がいないから、その人のところに来てるだけっていう可能性が高いからだ。 つまり王様の耳はロバの耳の「木のうろ」の役割なのだ(苦笑)。 また、別の危険性として、相談ばかりされてる気がするのは、その人に「相談される以外の会話方法・会話能力が備わってないだけ」である可能性も高かったりする。 つまり自分から話を振って楽しませることが出来ないから、聞いてるだけにしている、という可能性。 聞くことが悪いということを言ってるのではない。 「聞き上手」という言葉があるように、「聞くことが出来る」ことは「しゃべり倒して人に迷惑をかけてる」人よりもおそらく人の役に立ってるし、たぶん誇っていいことかもしれないのだ。 けど、でも、そういう自分を愛しちゃってる部分に気付かずに、自分が「話すことが出来ない」ことに目をつぶって、平気で「俺って、よく相談受けちゃうんだよね」とか「私って人の話とか聞いてあげられちゃうんだ」みたいなことを思ってしまうのはちょっと恥ずかしい。 ましてや「言って」しまうのは、もう論外に恥ずかしい(いや、「痛々しい」の方が正確か)。 さらにコミュニケーションの活性化という観点を考えれば、単に聞くのではなく、ただ、「しゃべりたがる人をも、自分がしゃべって楽しませよう」と意欲することも重要なのではないだろうか・・・・。 なんてことを唐突に思ったりしたのでした。 自戒も込めて・・・・。 |