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【アメリカテロ事件】テロリズム事件の個人の「受容」(2001年09月19日)
色々と、話題なので、やっぱりテロについて。 とりあえず、あちこちで語られている点については、今更感が強いので割愛。 その上で、今回のことで感じたことをいくつか。 テロ報道で、狂牛病も、新宿の火事も台風情報もぶっとんでしまいました。 火事が放火のせいだったのかの捜査については警察の仕事だし、テロ事件の影響などはないでしょうが、新宿などの雑居ビルに防火対策を促す契機は失われてしまった気がします。 また、牛を飼っている人達は、ここぞとばかりに、テロ報道の盛りの最中にヤバイ牛は売ってしまったのではないか、というのも恐ろしい推測です。 ともあれ、報道にまつわる「振り回され」具合は、やはり痛い気がします。 それだけに、インターネット上では、TVほどに、テロ報道一辺倒ではなかったことが、僕個人にとって幸いでした。 アングラではなくなったけど、情報の多様性の確保という点でインターネットが有効な手段であることを再確認した思いです。 それでは、「振り回される」ぐらいに、今回の事件が、ここまで大問題になったのは、何故なのか。
おそらく、どれも理由の一つではあるだろう。 でも、これが、爆弾によって、一般人を含む大量虐殺が行われた場合だったらどうだったろうか?。ミサイル攻撃だったら?。 ここまで、過剰に、皆が釘付けになるような事態だっただろうか?。 おそらく否だ。 ある程度は大きな事件として扱われるが、「そんなこともあるよな」で終わったのではないか?。 何よりも、今回の事件の「話題性」は、
にあるのだろう。 その意味では、「事件が痛ましい」から釘付けになるのではなく、「ミーハー」であるが故に釘付けになるのだなぁ、というのを、改めて実感した(自分は、明らかにそうであった)。 もう一つ、気付いたことは、「今の時代は『アメリカ的正義』というものを、日本人が、かなり毛嫌いしているらしい」というのが、はっきりしたことだ。 いや、世の中には、そもそも気にしていない人の方が大多数であって、マスコミがそう言うから「そうそう、アメリカの振りかざす正義感がむかつくんだ」と、いきなり言い始めるだけ(そして、事件の熱が過ぎれば忘れるだけ)の、「アメリカ嫌い」流行に乗っただけの人も多いのであろう。 小泉首相が、全面的にアメリカ支持を打ち出しているものの、アメリカ支持なのではなく、彼の場合は、「やられたらやりかえすべき」「武力の行使は是」という価値観で動いているのであって、また、場合によっては、「やっぱり軍事は必要だろ?」という論調から、憲法改正まで達成したいという(世の中に溢れている憲法改正支持者と同じく)「強くなりたい願望一杯の少年(お前は悟空か?)」だからこその行動であって、アメリカ的正義を支持してるわけではない。 いや、アメリカ支持ではないのだが、「アメリカ的正義」のようなものを彼は支持していると言えるかもしれん。アメリカ的正義を自分の手中にしたいのだ。 というよりも、アメリカ的正義を強く批判する人達の中には、「正義はアメリカじゃない、正義は俺らだ」と言いたいだけの人達も多いのではないか?。 アメリカ的正義を自分らのものにしたいだけの、アメリカ的正義と同根の幼稚さしか持ち合わせていない人も多いというのは、憂うべき事だ。こんな日本人が多いのだとしたら、そんな日本には、僕は「誇り」を持てない(皮肉)。 それでも、今回のあちこちの報道やネット上での意見の応酬などを見ていても、ベトナム戦争、湾岸戦争、そして、日本の経済弱体化(その反映としての、「悪いのはアメリカだ」主義)などが原因となって、「アメリカ的正義は嫌い」という論調は、(ミーハーであっても)一般人に十分に浸透してしまっているのだなぁ、と、改めて感じた。 しかし、それでも、アメリカに守られることは「卑怯」と感じる正義漢達・・・・・(「警察」に税金払って守ってもらうことの何が卑怯なんだ。卑怯でもなんでもないし、そもそも卑怯なら卑怯で結構じゃないか、あほらしい。問題は「警察」の「あり方」だろうが)。 もともと正義嫌いのボクとしては、アメリカ的正義も前からウンザリだが、君らの方がもっとウンザリだ、という感覚が強まってしまうのだが・・・・。 まあ、話が脱線していっている感じが強いので終わり(笑)。 注)日本が今回の事件に際して採るべき態度(報復を支持するのか、憲法との絡みはどうなるなど)とか、そういうのも話題になるのですが、そちらにはこの発言ではポイントを置いていません。個人の物事の受容の仕方を題材にしているということを最後に付記しておきます。 |