都会で生きることの肯定 (2000年11月01日)
 休日の横浜駅東西通路。

 西口から東口へ向かう階段を降りる。

 眼下には、溢れる人、人、人、人、人・・・・。

 日本野鳥の会の皆さんでも数え切れないであろう数の人・・・。そんな大人数が歩いてるのを上から眺めることが出来る。

 圧巻といえる風景・・・・。

 僕は人混みが好きだ。人混みを見るのが、眺めるのが好きだ。

 そして、そんな景色を提供してくれる都会が好きだ。

 渋谷のハチ公前の交差点。信号の向こうには人の群れ・・・・。

 もちろん、知り合いがいるわけでもない、僕と無関係な人達。

 信号が変わり人波に包まれて・・・。

 僕は恍惚感に浸る・・・・。


 これだけの人がいて、誰もが無関係に動いている。

 寂しさのような、喜びのような・・・・。

 「周りに人がいない」ことは「独り」であることを実感する。


 でも、それ以上に、都会の人混みは、たくさんの人間がいるにもかかわらず、自分が「孤独」であることを自覚させられる。


 いや、大勢の人間がいるからこそ、かえって自分は「独り」なんだということをまさしく認識せざるをえないのだ。

 その寂寥感が、僕に充実をもたらす。


 ある種の「酔い」でもあり、また、抗いようの無い事実に対する「畏敬」の念でもある。

 圧倒的な自然の前に「畏れ」と「尊敬」を抱くのに似た、圧倒的な数の人間達に、その濃密さに、「畏れ」と「尊敬」を僕は抱いてしまう。

 そして、何故か、安心感がもたらされる・・・。


 これだけ、無関係な「独り」がここにはたくさんいるんだというような、奇妙な仲間意識、連帯意識・・・・。寂寥感があるが故の逆説的な安心感・・・・。

 「独り」であることの「仲間達」に勝手に親近感を抱くのだ・・・。


 そして、関わるまでは「顔」の無い人間達、そして、関われば、それぞれに顔が現われてくる。


 この二面性に、柔軟性に、僕は人間としての文化を素晴らしさを感じる。

 都会を表すのに「無機質」なんて言葉は、もう陳腐でしょうがないのだけど、それでも、この「無機質」さが僕の心を有機的に躍らせてしまう・・・・。

 僕は都会が好きだ・・・・。







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