【読まれなそう:雑論】
首相の靖国神社参拝問題
2001年09月06日

 既に先月のこととなった首相の靖国神社参拝の問題について書いています。

 ここでは、内政干渉であるかどうかなど諸外国との関係についてのことは述べていない。それは別の機会に述べる歴史教科書問題の方ででも書こうと思う(いつになることやら)。


 靖国問題は、結論として言えば、首相という公式の立場で行くということを考えたら、政教分離違反で違憲でしょ。何一つ問題なく違憲です。むしろ、法的には議論の余地は無い。個人の立場として小泉首相が行くことに反対はしない。勝手にしたまい、こいちゃん(こいちゃん?)。


 靖国に祀られている、いわゆる「英霊」、彼らは「戦争に行って死んだ人達」であるはずだが、戦争に行った人間だけを大切にすることには非常に疑問が残る。

 基本的趣旨は「お国のために散っていった勇敢な魂」という意味で英霊を悼むということだ。その点に、全くもって賛同できない。いや、それだけじゃないのは知ってるけど、結局、小泉参拝の問題点はそこにあるわけでさ。しかも東京裁判で戦犯とされた人達まで含まれているから、ますます問題とされる(個人的には、東京裁判の戦犯が特別に悪いとは考えていない。むしろ、当時の日本人は(戦争に反対しなかった人は)全員が戦犯なわけだから)。
 ただ、鎮魂自体がいけないということではない。「国家に(時代に)騙された可哀相な犠牲者達」という意味ならば、鎮魂に意味もあるかもしれない。しかし、可哀相な犠牲者達ということなら、戦争に行った人間だけというのは、やはりオカシイ。


 当然、可哀相な犠牲者達なのか、勇敢な魂なのかは、先の大戦をどういう戦争であったと捉えるかによるのだろう。あの戦争を「聖戦だった」とか本気で言ってる人達の気がしれない(大抵の場合は、ジョーク・ネタなんだと信じたいものだ)

 西欧諸国がやっていたことは侵略であったし、日本がやったことも侵略戦争以外のナニモノでもない。西欧がやっていたから、日本がやったことも正しいというのは、それは違う(その逆に、アメリカがやったことが正しいとも思わないし、東京裁判が正しいとだって思わない。「戦争」というのは、そういう国家間のパワーゲームの政治に過ぎないわけで、正しいも何もないのだ。戦争に及んだ国は本来どうやっても「悪い」のであって、アメリカや西欧諸国は、勝ったから偶々罰せられなかっただけに過ぎない)。またね、大東亜戦争は正しかったんだ!って主張する人の言い分はいつも同じ。もっと日本の歴史を勉強しなさい!。たぶん、そういう人より、この点について多く調べたよ。はっきり分かるのは、大東亜戦争は正しかったという主張をするのに役立つ資料しか読んでないんだよね。そういう人って。むしろ、そこで欧米がやったこととの微細な差(微細ではないという言い方も分かるが、どちらにしろ、戦争を肯定する材料にはなってない)を、やたらと主張したがったりするんだ。もう、どうでもいい(苦笑)。

 また「アジアのためを思ってやったことだ」「西欧からのアジア解放を目指した」と動機の点を指摘する器のちっちゃい言い訳がましい発想をする人もいるが、そんなものは大義名分に過ぎなかった部分が大きいわけで、いや、本気の人もたくさんいたのだけど、仮に本気だったとしても、それは、「世界の将来を真剣に憂え」て「サリンを撒いてしまう」オウムの発想と全く変わらない。
 また、アジア解放に「結果的に役立った」からあの戦争が正しかったと、結果を言う人間は、「オウムがサリンを撒いたおかげで、地下鉄の防犯体制が上がった、だから、オウムがサリンを撒いたことは正しかった」とか言ってるようなものだ。「幼女を誘拐殺人して、オタクの危険性を世に知らしめたから、宮崎は正しい」とも言わないだろう。

 その意味で、あの戦争の正しさを強調したがる人達のように戦争に行った人間達を「勇敢な魂」として崇める気にはなれない。かと言って戦争加担者イコール犯罪者としてこき下ろす気もない。戦争というのは、そう言う風にして、愚かな「ロマン」の中に巻き込まれてしまうものなのだと思うからだ。
 自分達がその時代に生きていたら、どうだったろうかと考えた時に、ボクは、そういう「お国のために散る」という「ロマン」に惹かれて死んだ可能性は十分にある。

 信じきることが出来て(情報が少なく、問題点を真摯に検討しなければ可能。ガキだとなお良し)、何かに殉じて死ぬことが出来るなら、それは(ある意味)素敵で幸せだ。戦争の時代であったなら、ボクもそんな風に死んだ可能性が高いと思う

 だから、彼らも、僕は単に「犠牲者」としてしか捉えられない。時代に騙されてしまった、可哀相な犠牲者達、と(「誰か」が騙したということではない。時代に騙されたとしか言いようがないであろう)。

 このように彼らも犠牲者と考えれば、戦争の際には、国家が原因で数々の犠牲者が生じるわけだ。だから、戦争に行った者&空襲などの攻撃を受けて死んだ人達(つまりは戦争の全犠牲者達)の鎮魂という意味なら、国家として行事をやるのも、全く否定すべきではないかもしれない。

 が、仮に、その場合であっても、「靖国」という「神道」の「一神社」でやるのならば、やはり、政教分離違反で違憲だろう(とりあえず靖国が神社と言えるほどにちゃんとした歴史があるかという点を問題視する人もいるんだけど、そんなこと、政教分離の点では全く無関係。法的には「宗教法人」であることを看過してはならない)。・・・いっそキリスト教でやってみないか?(それも違憲)。仏教・イスラム・神道とかで持ち回りとか?(笑)。

 結論。
 もし、国家行為として戦争犠牲者の鎮魂というものをやるなら、「戦争に行った人間」だけではなく、戦争の全犠牲者を悼むべきだ。
 また、国家行為としてやる以上は、一宗教たる「神道」の一神社の主催でやるべきではない。靖国神社でやる行為を国家行為とするなら、政教分離違反で違憲である。

 個人が靖国に参拝するのは、それは信教の自由。個人の勝手。それもまた良し(ボクは行かないけど。宗教嫌いだし)。そして、英霊萌えもまた良し(イヤです)。個人が英霊になるも、また良し(?)。信教の自由です(誤)。成仏したまい。

 日本人の鏡として、「ニッポニアニッポン」として賞賛してあげよう(それはトキ(朱鷺)です<ニッポニアニッポン)。


以上。

  一応、続き    ↓ 戦争装置靖国神社の参拝問題について

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