●ジェイムズ・テイラー

「エイプリル・フール」から「ゆでめん」へのキイワードは「バッファロー・スプリングフィールド」、そして「ゆでめん」から「風街」へのキイワードは「ジェイムズ・テイラー」です。
また、ジェイムズの影響が細野さんに限らなかったことはこの記事での大瀧さんのコメントでも窺えます。
細野さんは71年から72年にかけ「マッド・スライド・スリム」と「ワン・マン・ドッグ」の感想を音楽誌に寄せています。*
そこには、これまでのサイケデリック、インプロヴィゼイション、ハードロックにどっぷりつかっていた「疲れ」からバッファローへ、そしてジェイムズへと辿りついたことや、「スウィート・ベイビー・ジェイムズ」が最高であり、以降は変化なく安定していて物足りないことなどが書かれています。
以下、上記の趣旨とは外れるところもありますが、興味深い部分を引用します。
「私の音楽はカントリーミュージックから始まった。
童謡や小学唱歌と共に、それが私の根本に脈打っていることを思い出させたのはpocoよりもflying
burrito brosよりもtaylorのアルバムなのだ。」
「今は、taylor氏によって、buffaloの支配から私は開放されたのだ。
常に私は私の大好物によって支配されてきたが、これが最後になると思う。
何故なら、私にとってテイラーの音楽は、私の体験した音楽の頂点の最後のものになるのではないかと思うからだ。
今、これ以上のものに接したら、私自身の創作意欲は跡形もなく消しとんでしまうだろう。
(注:書いている内に熱が入って少々オーバーになった)」
「テーラーはほんとうに、「今」出て来なければならなかったのだ。
彼の歌は万人に受け入れられる素朴さを持ち、もはや特殊なロック(またはフォーク)から脱しているし、それはまるでフォスターの後を追っている様だ。」
(以上、light music,1971.8)
「私はベースマンなので一番気になるのがリー・スクラーのことです。
『マッド・スライド・スリム』のlpを聞いた時は、まずベースが良くなったことに最初に気付きました。
リー・スクラーのやっていることは、私がやっていることをもっと上手に、実に表現力豊かに演奏していたので、一瞬「オレみたいだなァ」と思い、次には「先を越された」と思い、さらに「グヤジイ」と思いまして、今だに彼のコピーをしたことはないのです。」
「最後に一番興味深いことをあげますと、lpの内の半分くらいをジェームス・テイラーの家でとっていることで、それあがとてもいい音で入っています。
私も来年わが家でレコーディングしようと思っていることろでしたので面白いのですが、是非ともこの程度の音は出したいものだと思っております。」
(以上、new music magazine,1973.1)
*「ライト・ミュージック」1971年8月号は「マッド・スライド・スラム」、「ニューミュージック・マガジン」1973年1月号は「ワン・マン・ドッグ」の感想である。
(2003.12.14)
●buffalo springfield・・・と、はっぴいえんど 
今回ご紹介するのは「ライトミュージック1971年11月号」での細野さんの文章である。
「ウェスト・コーストとスワンプ」という特集の中の一文。
「風街ろまん」前後のはっぴいえんどの音楽嗜好が窺える。
ちなみにこの特集では松本さんも「都市と田舎の奇妙な接点・・・グレートフル・デッド」という文を寄せているが、これは「風のくわるてつと」に収録されている。
「なにを隠そう、ぼくの音楽の歴史を変えたのはバッファローです。
バッファローがいなかったら「はっぴいえんど」は作ってなかったし、現在のぼく達の音楽も出来てなかった。」
「最近一番気になるのは、うちのグループの大滝君なんか、リッチーだって言ってる。
声の質が似てるから、大滝の場合は面白くて、最初は、スティーブの声が出て、次はニールで、最近は、リッチーの声が出てる。
ぼくは全部マネしてみたけど全部ダメだった」
「今度のぼくたちのアルバムは余りバッファロー臭い感じがしない。
本当は今"ラストタイム・アラウンド"が一番好きなので、この様な音楽を創りたいんだけど出来なかった。
ぼくが今つかみたいフンイキがあるんだけど、今はバッファローとかモビー・グレイプの音楽の表面上に表われているものの根本を追求している。
その結果、古いカントリーとかを聴いているわけです。」
「古いカントリーというと例えばsp盤で出ているような20年代、30年代の頃のブルースカイ・ボーイズとかリリー・ブラザース。
大滝君が聴いているのはジミー・ロジャースとか、大御所のハンク・ウィリアムスとか、もっと古いのに行くと名も知らない人達のフォーク・ブルースなど、そこをまず追求しないと同じ次元にたてないと思う。」
(2003.11.16)
1972年のローラ・ニーロの来日に際しキョードー東京から発行された小冊子「ローラ・ニーロのすべて」に簡単なコメントを寄せている。


1、ローラ・ニーロの魅力は?「曲の良さ、詩の良さ。」
2、あなたの一番好きな曲-なぜですか?「"ラッキー"。詩を読みながら聴いていたら好きになった。ある日突然、好きになったのです。」
3、今回のコンサートに期待するもの。「はじめて実物を見れるので、やせているか太っているかを見きわめたい。」
(2003.9.15)
細野さんの未発表曲に、野地さんと美奈子のグループ「ぱふ」に提供した「わたしの扉」という曲がある。
「画報」に一部記述があるが、興味深い記事なので全文引用する。
「パフ・アット・byg 1971.5.14
街路に面した細い階段を下りて行くと半開きの扉のむこうに黒い空間がひろがっている。
最初の床を通りぬけてさらに数段下りた床の端にセットされたアンプやピアノ、その楽器類の群れに隠れるように黒っぽい衣裳をつけて、いままさに演奏しようとしているひとりの女とひとりの男-パフというグループ。
そして演奏、はっぴいえんどの細野君が作った歌「わたしの扉」が始まると、不思議な感動がぼくを襲ってきた。
不思議な、というのは、今まで日比谷野音のような広い会場で何度もパフの演奏におめにかかっていたはずなのに、そのときにはいつも感じていたへだたり(演奏者の肉声と聴いているぼくの内側との疎遠さ)を、bygの部屋の狭さがとりはらってしまったのではないかという気さえ起こさせるほど、その夜のパフの演奏がぼくの中に波紋を生まれさせたから-
都市の繁華街の真中に固定され、さらされている喫茶店の空間。
そこでは毎夜生演奏が続けられている。
いまこれからそこにかかわる人たちは、その空間・時間にどのように立ち会うことによって、半開きの扉のこちらにあるその世界の持続を生み出そうとしているのであろうか。
そしてこのぼくは?
ぼくを不思議な感動におとしいれながらパフはうたい続ける。
わたしの扉 つたのからまる扉 わたしの扉はあとからあとから・・・・・・。」
(北中正和、new music magazine
1971.6)
(2003.9.11)