●10年前をふり返って 

1972年から1973年にかけてヤマハの発行していた「rock54」というフリーペイパーがあった。
その1973年1月号の「10年前をふり返って」という対談に細野さんと大滝さんが参加している。
(他の出席者は亀渕昭信と河村要助。司会はヤマハの八木田さん。)
ここにおける二人の発言の一部を紹介する。

八木田 細野さんはどうしていました。」
細野 15才の時ね。高校一年の時か。何聞いてたかなあ。亀渕さんどんなレコードがありました。」
亀渕 ボビー・ビーとかビーチ・ボーイズとかリッキー・ネルソンとかベンチャーズ。」
細野 中でもビーチ・ボーイズにこっていたから。カメさんの原稿はみんな読んでいた。」
八木田 自分で楽器はやっていましたか。」
細野 やってました。ビーチ・ボーイズばかりで歌が歌えなくてね。ビーチ・ボーイズは高音でしょ。こっちは低音だから。全然だめだったんです。楽器買ったのも中学2年で。それが5〜6年もって、ある日ネックがおれちゃった。最初ギターの本を買ってきてコードをおぼえて、ジャンバラヤなんかやったのかな。」

八木田 大滝さんはプレスリーに夢中だったという事を聞いたんですけど。」
大滝 プレスリーがとても好きでしたね。63年がプレスリーはもう最高だった。64年はもうビートルズでしょ。ビートルズ以前はもう何とも云えなかった。(笑)ポップスと平行させてプレスリーを聞いていたの。プレスリーは全部聞いていたの。けど、それが途中からだったから逆もどりした地点があるわけ。例えばサン・レコードの場合、時代的には小学校の二年頃だから同時に進む事はできなかったわけ。」
亀渕 僕なんかプレスリーが出て来た時と同時に歩いて来たんだけど。」
大滝 亀渕さんは僕達より5年くらい上だから(笑)その分かなわないと思うね。そういう時代の人は今度はバッファロー以後をよくきいてないのね。あの以前で止まっているの。」

亀渕 細野君は中学校の頃ギター買ったってさっき云ったけど、大滝君は中学の頃からギターやったの。」
大滝 僕は聞く方オンリー。」
八木田 やり出したのはいつ頃から。」
大滝 つい最近。できると思ってなかったもん(笑)聞く方ではほとんど細野さんと同じくらい聞いていたの。僕はできると思ってなかったし、今でも思ってないもん。(笑)」

(2003.9.23)

●5人編成時代  

本編にも記したように、はっぴいえんどは72年4月以降、野地義行を加えた5人編成になっている。
「伝説」や「定本」ではサポートメンバーとしているが、本編で引用した記事をみると正式加入のようにも思える。

My Sugarbabeのlvul8er氏に写真(雑誌の切り抜き)をみせていただいた。
1枚は(たぶん)細野さんの自宅に集まったメンバーの写真。
ベッドの上で
アコギを弾く細野さんと奥様、そしてもうひとつのベッドの上に松本、大瀧、茂、野地さんがいる。
写真の上にcountry timeと書かれており、その横にメンバーの名前が書かれているが、そこには野地さんの名前もある。
もう1枚はステージでベースを弾く野地さんの写真。
右側にキャプション「わたくし生まれは東京。根っからのロック育ちでございやす。フェンダーのベースをひっさげて、只今はっぴいえんどの低音部を受けもっています」とある。(雑誌名、時期ともに不明)

<追記>My Sugarbabeに上記雑誌の写真がアップされました。
ご興味のあるかたはsite map→「何故かはっぴいえんどで検索してこちらにきた方へ」へどうぞ!
(追記のみ2004.4.26)

それはともかく、実際に後期はっぴいえんどはこの編成でライヴを行なっていた。
しかし、この編成の音源はたいへん少なく、わたしの知る限り例の10枚組の「風都市自主製作 春一番」*だけである。**

この「風都市自主製作 春一番」には細野さんがギターにまわったトリプルギター編成による「貧乏」と「はいからはくち」が収録されている。
「貧乏」では野地さんの低音から高音に蛇のようにウネウネと上昇する不思議なフレイズが聴ける。
また、ウラからはいるところなど、この時期日本ではほとんど知られていなかったレゲエ的ともいえる。
あと、ある意味パンキッシュなトリプルギターも印象的である。
「はいからはくち」は、いわゆる「ウララカヴァージョン」といわれているもの(歌詞ははいから、曲はウララカ)。

ところで、この編成がほんとうに活きるのは細野さんがキーボードあるいはヴォーカルを取る曲だと思うが、こうした音源は残っていないのだろうか?(2003.9.7 rev.2)

*風都市による自主製作盤。
全曲リストは「資料 日本ポピュラー史研究 初期フォークレーベル編」とその増補・改訂版「日本フォーク紀」に掲載されている。
余談だがこの書物、増補・改訂時になぜか大滝詠一のエレックレーベルに関する1ページにわたるインタヴューがネグられている。 


資料 日本ポピュラー史研究 初期フォークレーベル編)
**「風街図鑑」収録の「ちぎれ雲」も時期的にはこの時期(1972年8月25日)ですが、わたしの耳では5人編成と確認できませんでした。

●ジミ・ヘンドリクスの影響  

あまり語られていないが、はっぴいえんどはジミ・ヘンドリクスの影響を大きく受けていると思うのだがどうだろうか?
例えば「春よ来い」は、ニール・ヤングの「ローナー」にインスパイアされていると「定本」にも「画報」にも書かれているが、「歌留多をしていたものです〜」のあとのリズムのキメやギターソロなど、かなり直接的に「hey joe」の影響を受けているような気がする。(この「hey joe」については「いらいら」のコーラス部もよく似ている。)(2003.7.26)

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