●一生もっていたいアルバム 

近年のはっぴいえんど研究本では「大滝詠一は基本的にポップス好きでバッファローや当時のロック・ミュージックはそれほど好きではなかった」という考えが大勢を占めつつあるような気がする。

ほんとうにそうなのだろうか?

「ライト・ミュージック」の1971年9月号に大滝さんは「一生もっていたいアルバム」という一文を寄せている。
ここで大滝さんはまず当時脚光を浴びつつあったキャロール・キングからゴーフィン=キングに触れ、このライターティームのロック・フィールドにおける名曲を紹介したあと、バッファローとモビー・グレイプに賛辞を送っている。

「僕がバッファローにとりつかれたのはニールの曲「do i have to come right out and say it」[ヴォーカルはリッチー]が最初でした。そして「mr soul」でニールのヴォーカルに、「blue bird」「question」で完全にスティーヴンの虜になってしまい「merry go round」「kind woman」でリッチーが好きになりました。特にアルバムでは「ラストタイム・アラウンド」が好きで、あの解散寸前のムードとスティーヴンの才能が花開いた時でリッチーも上り坂で、ニールもふてくされムードながら3曲[注-歌っているのは1曲のみ]とジムの1曲とこの佳曲だらけのからみあいが実にいいのです。「it's hard so to wait」あたりの感じは抜群なのです。」

「さてバッファローと同じ位好きなのが、モビー・グレープです。このグループは5人ともシンガー・ソングライターでプレイヤーでした。そして、そのどれをとっても最高の人達でした。ジェリー・ミラーのリード、スキップ・スペンスの個性の強い曲とサイド、ボブ・モズレーのベースとヴオーカルスタイル、ピーター・ルイスの曲とソフトな声、ドン・スチーブンソンのもたれ具合のよいドラムスのそれぞれのからみ合いがよかったのです。」

そしてこの文章は次の一文で締められている。

「それから、忘れられないのはジェームス・テイラーの「スイート・ベイビー・ジェイムス」です。そして実をいえば、一生持っていたいアルバムはあれ以降まだでていないのです。」
(2003.9.23)

●あるミュージシャンの生涯 on graph niagara  

1977年のナイアガラ販促品に「graph niagara」というものがある。
a3サイズの固めの紙の両面刷り。
横方向に四つ折、縦方向に二つ折りにしナイフを入れると16ページの小冊子になる、というもの。

この16ページ中8ページを占めるのが「あるミュージシャンの生涯」という名の大滝さんのバイオグラフィーである。
タイトルの横に「つれづれなるままにつづった大滝詠一自身のメモから、第三者に書きつらねて」とある。
つまりこれは「定本」や「画報」のはっぴいえんどのバイオグラフィーと同じく「大滝さんの日記」をベースにしたものだと思われる。
(あるいは「画報」のバイオは「定本」の引用?間違ってたらゴメンネ!)
しかも「定本」にも「画報」に記されていない、あるいはそれらと異なる記述が多々あるのだ!

valentine blueのオリジナルメンバーは細野、大瀧、松本の3人で茂はセッションメンバー。
valentine blueの初ステージはなぜかapryl fool名義だった。
1969年11月22日の細野&大瀧デュオのライヴでのグループ名は「細野晴臣+α」。
1969年12月23日録音のデモテープの存在。
はっぴいえんどに改名したのは1970年1月13日のライヴから。
映画「はっぴいえんど」の存在!
等々、、、

さらに大滝さん自身のプライヴェートな事柄(大学入学前にサラリーマンをしていたとか、いつどこに引っ越したとか、長女の名前とか)も数多く記されているが、これらについて引用することは当ページの趣旨ではないので省略する。

「定本」は1986年、ましてや「画報」は2000年。
1977年製作のこの小冊子の記述が真実に近い可能性もあるのでは?(2003.9.11)

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