わたくしの明菜論



明菜さんについて

論1)中森明菜さんを好きになったきっかけ。

わたくしが明菜さんを歌手として好きになり始めたのは、あの89年の事件後から 少したって、明菜さんの人気に翳りがでてきたあたりだと思います。 明菜さんのデビュー当時は、はっきりと言ってしまいますが、 わたくし好みの歌い手ではありませんでした。太っていて、 ルックスもあまり好きではありませんでしたし、歌に関しても、 他のアイドル歌手と比べれば、数段うまかったですが、今と比べれば稚拙でした。 でも、シングルで言うならば「DESIRE」以降の明菜さんは、 歌、パフォーマンス共にたぐいまれな才能で、見るものを惹きつける 魔力を持っていたと思います。でも、「ああ、才能のある歌い手だ」 と思うくらいでした。 しかしそれから、少したち、歌謡界の頂点に立った明菜さんに起こったあの事件以降、 明菜さんの歌が、魔力にくわえ怨念のような地の底から聴いてる人に、 悲しみと苦しみを訴えかける歌に変わったとわたくしは確信しています。 事件後、復帰第一弾シングル「DEAR FRIEND」は、明るい感じの曲調でしたが、 この歌をはじめて聴いた時、今までと、声が違うと思いました。 キーが低いせいもあるのですが、いっけん明るく歌ってるのですが、 なんとも言えない妙な感覚を覚えました。 そして、わたくしがはじめて明菜さんのCDを買ってしまった、復帰第二弾シングル「水に挿した花」は、 退廃的で静かすぎる楽曲に、 明菜さんの不幸と絶望に満ちた歌声が、聴く人々を不幸のどん底に叩き落とすくらいの 威力をもった曲だと思います。 そして、復帰第三弾シングル「二人静」は、またしても女の怨念と情念を歌った曲。 この曲は、部分部分で歌い方をかえていて、色々な歌い方で歌い、一つの歌に仕上げてると わたくしは思いました。 事件以降、怨念と苦しみと悲しみを今も歌いつづける歌い手として、わたくしは明菜さんにエールを送りたい。