『夏風』

暖かい夏の風が僕の脇を吹き抜けていった。
その瞬間、笑顔の君が立っているような気がした。
もう、言葉を交わすことも出来ない、触れることも出来ない君なのに。

― 僕の心はまだ といたあの夏の日に残されたまま ―

「ごめ〜ん、待ったぁ? ……よね」
待ち合わせ時間を大幅に遅刻した黒沢はメンバー間を謝りながら歩き回る。
「まぁ〜た、電車間違えちゃったんでしょぉ?」
「ほんっと、お前はいつまで経っても変わんねぇよ」
「オレもさっき着いたばっかですからっ」
とにかく謝り倒す黒沢に怒鳴りつけるわけでもなく、メンバーは半分呆れながら微笑んだ。
「あれ? 北山…どこ?」
円陣を組むように待っていたメンバーの中にいないことを黒沢が疑問に思っていると
「いつものこと、ってか」
「そぉそぉ。歩いてて何かを見つけちゃったんだよ。きっと」
「あの人はたまに複雑怪奇な行動をとりますからな」
これまた諦めムードのメンバー。
「あぁそうだよねぇ」
などと妙に納得する黒沢の背後から独特の低音が聞こえた。
「あ、すみません。お待たせしました」
言葉の割にはさほど悪びれた様子もなく、焦りもしていない北山だった。
「おせぇじゃねぇ…か」
「北山……」
小言をいいかけた村上が絶句したのに続き振り返った黒沢が言葉を詰まらせる。
不思議に思い酒井は視線を上げた。
「なっなんなのだ、ソレはっ」
彼が見たのは大きな花束を抱え、全身をモノトーンカラーで統一した北山だった。
「せんせ〜、今日のDJ、男だよぉ?」
花束なんか持ってきてどうすんのさぁ
メンバーの理解を超えた行動を取った本人は驚いて言った。
「えっ本当に仕事なの?」
― でも今日は
言いかけた北山を制するように酒井がすかさず突っ込みを入れる。
「その役はあんたじゃないっての…」
そして全員が黒沢の方を見る。

えっ?

だって今日は仕事で集まったんでしょ?
だから普段通り、いつもの僕でいようって。
そう決めてきたのに。
みんな今日が僕にとって特別な日だって覚えていてくれたの……?

「彼女の好きな花、白百合でしたよね」
「う、うん…」
答えると北山は花束の中の一輪を引き抜き、茎を適当な長さに折った。
その百合を黒沢の目の前に差し出す。
「?」
ためらう黒沢に北山は微笑むとその百合を彼の胸元へ差し込んだ。
「コサージュですよ、黒ぽんは今日の主役ですからね」
―― やっぱり
僕だけが忘れなければ、僕の心に生きていてくれたらいい
そう思っていたけれど。
「ありがとう」
自然に口から出た言葉。
だけどもうひとりの主役は……。

は、もういないんだ

口に出してしまうと認めてしまった気がして。
を思い出にするのは、まだ僕には早すぎるから。
黒沢は無言で宙を仰いだ。
流れ出そうになる涙を留めようとするかのように。

その二人の様子を見ていた村上はため息を漏らしつつ声を出す。
「さすが北山先生、見事な展開」
ここまでお膳立て出来るって尊敬するね。
「しっかしこの花束、邪魔なのよね〜」
どうするよ。持ってけねぇぞ。
そうだねぇ、と同意しながら安岡は北山から花束を受け取り
「あい、お願い」
そう言ってにこにこっと黒沢に預けた。
「……えっ?」
きょとんとした表情で現状を察知していない様子の黒沢に4人は呆れたとため息を漏らす。

「こっちのラジオは何とかしますから」
「今日は黒ぽん、風邪引いちゃって声が出ないとか?」
「あ、それいぃ〜横にいるんだけど存在感が出せないってやつでしょぉ?」
「だ・か・らぁ」
みんなの気持ちを村上が代弁する。

行ってこいよ、彼女ンとこ

「…いいの?」
しばらくの沈黙の後、黒沢は重い口を開いた。
「当然」
にっ、と頬を上げて村上は相棒の肩を軽く叩く。
それが合図だった。
みんなの温かい気持ちに甘えて僕は歩き出した。
君の眠る、あの場所へ。
あの夏の香りを感じさせる、この風に誘われて……。

それは7年前の夏の午後のこと。
僕は久しぶりの休暇を楽しもうと避暑地であるあの場所へ旅行者気分で行ったんだ。

― そして君に出会った ―

最初見つけたとき、人と感じなかった。
そう、まるで風と遊ぶ天女のような。
その美しさに思わず見とれて、僕は声をかけることも、立ち去ることも出来ずにいたんだ。
「……?」
そんな僕の気配を感じ取ったのか不意に君はこちらを向いて微笑んだ。
「こんにちわ」
それは他愛もない挨拶で。
なのに君の声がとても澄みきっていて暗号のように聴こえた。
僕と君しか知らない秘密の暗号……。
「こ、こんにちわ」
僕も慌てて繰り返す。君が消えてしまわないように。
その瞬間、僕は君に恋をした。
夏色の風が吹き抜けるように、爽やかな、だけど捕まえることの出来ない
……そんな、恋。

それから僕達は毎日のようにその場所で、語り合った。
他愛もない話を、何時間も、何日も。
そして笑いあい、意見しあった。
そんな時間が僕にとってとても大切な時間になっていった。
を見ているたびに僕の心は眩しい笑顔を忘れないように必至になり
の声を聴くたびに僕の心は焼け付くほどの愛しさを感じた。
それはも同じだと思ってた……。

だけど

美しすぎる恋はとても儚く脆く崩れてしまうもの。
そう教えてくれたのも君だったね。
僕はいつものように君と会うその場所へ出かけていった。
そしたら君はいつものように風に吹かれて立っていた。
「やぁ」
僕はいつものように声をかけた。
「今日は気分がいいの」
そう言って君は束ねていた長い髪を解いた。
そして
「あなたのぬくもりを感じていたい」
そう言って木陰で座っていた僕の横に腰掛けた。
肩にかかる心地いい重量感。
君の髪が揺れるたびに僕が感じる君の香り。
そっと目をやると眩しそうに微笑んで
そのまま、すぅっと目を閉じた。
「おやすみ、薫……」
その言葉の意味を感じることが出来なかった。
僕はただ、君の髪が風に舞う姿が美しすぎて見とれていた。
そして君が風にさらわれていくまで静かに見守っていたんだ。

――  はもう、僕の手の届かない場所へ帰っていってしまった

そう気がついたのは君が眠りについてから。
話し掛けてもあの微笑みが帰ってこない。
触れたくてもあの温もりを感じることが出来ない。
僕は一人でいることの切なさに絶えられずにいた。
だけど僕はわかっていた。
とは二度と会うことはない。
会いたくても……会えないんだ。
だけど、君と過ごした時間をもう一度。
あの眩しすぎる想い出を、もう一度だけ……。
そう願いながら今日まで過ごしてきた。

また、戻ってきちゃったな

あれから7年。
僕は今、君と過ごしたあの場所へたどり着こうとしている。
君の大好きだった白百合の花束を抱えて。
夏の風に尋ねたら の元へ連れて行ってくれるだろうか。
あの頃の愛しさも、切なさも、抱きしめたままの僕の心を。
「永遠に、君を忘れない」
その一言を伝えるために。

「……あぁ」
あの場所に、天女がいる。
僕の目の前に立つ、君がいる。
あの頃のままの、君が。
「薫」
そういって微笑む、僕の大切な人。
不意に涙が頬を伝った。
それは幸せの涙。暖かい、涙。
「……
僕は呼んだ。あの頃のように。
世界で一番愛しい人へ。