『Higher』

「あい、お疲れさ〜ん」
「今日は本当に長かったものね」
「もう、朝になってしまってますぞ」
仕事が終わり、解散の合図が出た。
メンバーが思い思いのねぎらいの言葉を掛けあっていたのだが
「…黒ポン?」
異変に気が付いた安岡が声をかける。
「えっ? な、何っ?」
僕の順番?
急に呼ばれてはっとする、黒沢に他のメンバーも近づく。
「今日の分は全部終わりましたよ」
たった今、解散になったばかりですけれど。
それより
「どぉしたの〜? ぼぉ〜っとしちゃってさぁ」
何か悩み事ぉ?
心配そうに見つめる4人に黒沢は笑って答えた。
「う、ううん。なんでもない。ちょっと眠くなっちゃって…ね」

ふ〜ん
今日は大変だったですからな
それじゃゆっくり休んでくださいね

それぞれ声をかけた後「それじゃ」と出口へ向かっていく。
「うん、また明日〜」
手を振って見送り、黒沢も立ち上がる。
「じゃ、テツ。僕も帰るね」
そう言って歩き出そうとした途端
「おい、黒沢」
呼び止められ、振り返ると
「車、乗ってけよ」
えっ
「気になることでも、あんだろ。聞いてやるから」
ニッと笑われると強がっても仕方ないかと思えてくる。
「…ありがと」
さすがにテツには隠せない…かぁ

「あのニュース見てから、だよな」
歩きながらテツは呟くように尋ねた。
「お前が何か真剣に考え出したの」
気にしてないようできちんと全員を見てくれてるんだね。
だからこそ、安心してついていける。
僕はテツのそんな優しさを知っているから、素直になれるのかもしれない。
「何がそんなに気になったんだよ」
なんてこと無い朝のニュースだったろ?
うん……日常の通勤風景だった

でも、無表情だったんだ みんな

今にも雨が降りそうな曇り空。
そんな中、急ぎ足で駅へ向かう人の流れを見ていたら
普通に生活している人は
こうして埋もれながら日常を過ごしてるんだって気が付いて。

それが、とても気になって。
「なに? 将来への不安ってやつ?」
俺たちは先の見えない職業だからな
ううん、そうじゃない……ない、けど。
僕は歌を歌うことが好きだから。
歌うことで生きていけるのなら、不安なんてないもの。

だけど、それは歌手としての僕。
ひとりの男としての僕は……

「僕は誰のために生きてるんだろう」
―― 何が、出来るんだろう
そう思っちゃうと、どんどん深みに嵌っていって。
「あのな、黒沢」
うつむき加減に、言葉すくなに答える僕の右腕を取り、テツは自分の胸に当てた。
「ココに居る、大切な人」
親 兄弟 友達 もちろん、彼女もだけど
「そん中にはお前も居るんだぜ?」
他のメンバーだって、そうさ
それは一緒に仕事をしてるからって割り切れるような思いじゃない。
「お前、黒沢薫 って男を認めてるってことなんだよ」
わかるよな
うん…テツの言葉は解る…でも。
「信じられねぇか?」
仰ぎ見るように顔を上げた僕の心を見透かしたようにテツが尋ねる。
僕はその表情を見た途端、気持ちが軽くなるのを感じた。
そして、自然と首を横に振る。
「もう、大丈夫だから」
その言葉は僕のものなのに、とても力強く感じられて。
僕は久しぶりに素直に笑えた気がした。
それを見てテツも笑顔になる。
「よし、そんじゃ帰るぞ」
そう言って車のドアを開ける。
僕も助手席に乗り込み、仕事場を後にした。

車は華やいだ街並みを通りすぎていく。
楽しそうな人たちの笑顔を見ながら
僕は のことを考えていた。

買い物をした後、交差点の真ん中で不意に立ち止まったことがあった。
「どうしたの?」
引き返して僕をのぞきこんだ
「ちょっと立ちくらみしただけ」
大丈夫だよ、と笑顔で歩き出す僕に
「本当に? ちょっと休む?」
と心配して声をかけてくれる彼女が本当に大切な人だと感じることが出来た。
―― あの時、本当は立ちくらみなんてしてなかった
彼女の背中を追いかけながら
掛ける言葉が見つからなかったんだ。
僕の心は まだ 戸惑いながら
不安定な今を彷徨いつづけているから
を守りながら生きていけるのか、分らなかった。

車は走りつづける。
窓から空を見上げる僕は、今なにを見ているんだろう
この空? それとも の面影?
それとも……

「黒沢ぁ」
テツが僕の後頭部を軽く叩いて現実に呼び戻す。
「着いたぞ、お前の帰る場所に」
えっ?
ここ、僕の家の前じゃないよ?
テツの意図が飲み込めず僕はどうすればいいか分らなかった。
そんな僕にホラ、と前を指し示す。
?」
どうして、ここに……
「教えてくれたの、薫が悩んでるって」
みんな心配してるんだよ

僕は、ひとりじゃない。
そのことに気がついたから。
大切な人たちのために、この想いだけを胸に生きていこうか

だから、迎えにきたのよ
そう言って微笑むその瞳だけを信じて生きてみようか

今を踏みしめながら
今に流されながら
そんな現在を壊しながら
ただ必至で駆け抜ける毎日の中のどこかに
今の僕には手の届かないような遠い彼方に眠る
僕だけのための 全ての答えに向かって……