人妻と影男  〜フロントマン・乱二世が綴る競馬への深い思い〜


5月3日 『やっぱりラスカル』


テイエムオペラオーに一強時代突入のファンファーレを鳴らされてしまった。
もちろん僕が買った馬券は「ラスカルスズカ」・単勝のみ。
天皇賞。武豊。母ワキア。
これで買わないわけにはいかないだろう。
しかし負けてしまった。
その差は3分の2馬身。
この差は大きく見えた。

決着はついた。
だれもがそう感じたことだろう。

天皇賞の決着はついた。
そう意味では3頭の決着はついた。
??
オペラオー>ラスカル>トップロード、でいいのか。
答えは、NO、だ。

ただこう書くと僕の独りよがりな希望的観測に見られてしまうが、そうではない。
競馬は血統だ。
例えば、オリンピックで400メートル走に100メートル走の選手が出場したらどうなるか。
たとえそれが世界一の100メール選手であったとしても、400メートルの選手には勝てないであろう。
それは100メートルを速く走るためには遅筋よりも速筋を鍛える方が大事で、両方のバランスを必要とする400メートルでは不利になってしまうからだ。
では、それぞれの選手が200メートルで競うとどうか。
どちらが勝つか。
それは分からない。
なぜなら、ある意味では100メートル選手が有利であり、またある意味では400メートル選手が有利だからだ。
だから200メートルは面白い。

血統。
そう、サラブレッドのその体内に流れている血の中には、この距離に対する遺伝子が含まれている。
オペラオー=ステイヤー〜中距離
ラスカル=中距離
トップロード=中距離〜マイル
じつは三頭が共に得意な距離を持っていて、それが微妙に異なっている。
そしてこの三頭の距離適正が唯一重なる点。
2000メートル・天皇賞・秋。
2200メートル・宝塚記念。

今回はいわばオペラオーの土俵上で行われたレースであり、三頭が100%の力を出し切れば、オペラオーが勝つのは目に見えていた。
そして現実、その通りになった。
仮にサイレンススズカが出走していても、オペラオーには勝てなかった、と断言してもいい。
すなわち、血統。

3分の2馬身。
大きいと伝えられたこの差は、実はラスカルにとっては逆転可能な些細な差に過ぎない。
次は負けられない。
自分の土俵だ。
敵は強い。
だが、その体内に流れる血がこの距離での敗北を認めるわけにはいかないだろう。
快進撃を見せた夏がやってくる。
競馬を辞めようかとさえ思っていた僕に、微かな夢の音をたてて走り出したあの季節がやってくる。
そう、ラスカルが走り出した熱い夏だ。
そして、あいつが獲った夏だ。

だれもがその差は大きいと感じている。
だれもが一強時代を感じ始めている。
だれもがヒモ探しをしている。
そんな時だ。
ステイゴールドを二着に引き連れて、堂々とゴールを駆け抜けてくれ。
そうすれば、僕も今年は熱い夏が迎えられるから。
1月26日 『血統論』

競馬といえばサラブレッドという名が示す通り、血統を重んじるスポーツである。名馬が名馬を産む。これが当然のように思われるが、時には駄馬が名馬を産む。これが競馬である。しかし競馬歴がまだまだ短い僕にとっては、血統というものは活字の中の世界としか感じられず、身近に感じることは少ない。「サラブレ」という雑誌を読んで少し知ったかぶりをする程度である。

血を繋ぐ。この言葉を、しかし、最近になってようやく身近に感じられるようになった。そのきっかけはやはり、あのサイレンススズカからだった。

今年の競馬はなかなか調子がいい。開催はしていないが、日曜になると(今は受験の追い込みなので塾講師である僕土曜日はは忙しい)馬券を買いに東京競馬場へ行く。そしてだいたいトントンぐらいで家路につく。先週も友人と府中へ行き、AJCCは的中・平安Sはハズレという無難な結果の後、電車に乗り込み、調布でその友人と別れ、そこから一人電車の中で揺られていた。暇だったので、今年の競馬について思いを巡らせていた。

何といっても今年の目玉は、外国産馬でも出走出来ることとなった「天皇賞・春」であろう。今までもこの春天はいくつもの名勝負をつくり出してきたそうだが、今年は一段と面白くなりそうだ。だって今年は外国産馬である、あのグラスワンダーや、僕の大好きなナリタトップロード・ラスカルスズカ・テイエムオペラオーなどなどたくさんの馬が3200メートルという大舞台で、強いのは俺だぜ、って本気で闘うのだから。僕は電車の中で無言でニヤニヤしてしまい、隣の小学生は不思議そうに僕を見つめていた。それには気がついたのだが、このニヤニヤを自分でも止めることが出来ないくらい、考えただけでもすごいメンバーだ。天皇賞・春に行きつくためには、その前にいろいろな前哨戦がある。その前哨戦でも何頭かは闘うことになり、名勝負をつくり出していくだろう。僕のニヤニヤは加速した。

しかし、隣に座っていた小学生が降りた稲田堤駅を過ぎたころ、僕はある困ったことを発見した。それは、楽しみが増えれば増えるほど応援するべき馬がたくさんいすぎてしまうことである。出走しそうな有力メンバーを考えただけでもグラス・トップロード・ラスカル・オペラオーなどがいるが、これにブラックタキシードやトキオエクセレントなどが出走してきてしまうと、全てを買わなくてはいけなくなってしまう。それもどうかと思う。今まで怪しい一人笑いをしていた僕は急に深刻な顔になり、考え込んでしまった。どうしよう。

去年一年競馬をやってきて僕が見つけたポリシーに、「GTでは単勝を買わなくてはいけない」というものがある。特にダービー・有馬記念・天皇賞では、単勝馬券を握りしめていない奴はたいした奴じゃねぇ、といい続けてきた。でも、このままだと春天では五頭ぐらいのボックスを買ってしまうことになりそうだ。それじゃあイカンのである。「私を楽しむ」。僕の楽しみ方は、GTでの単勝握りしめ、だ。では、こんなに好きな馬出走する「天皇賞・春」はどうするか?なぜだか結論はすぐにでた。、ラスカルスズカ、だ。

強いのか、それとも大したことはないのか、常にファンをやきもきさせるグラスワンダー。大好きだ。
騎手と馬とが一緒になって成長する。笑顔の一番に会う男に出会ったナリタトップロード。大好きだ。
見たこともない迫力で他馬をなで切ってゆく豪快さ。愉快な男に出会ったテイエムオペラオー。大好きだ。
でも、一頭を選べといわれたら、即座にラスカルスズカという。
なぜだろう?他の馬も僕の中にさまざまな思いを植え付けてゆく、大好きな名馬達なのに、それよりも遙かにラスカルが僕の心をとらえてゆく。

初めて意識した。血。

いうまでもなくこれは血の作用だ。サイレンススズカ。他馬に先頭を譲ることなく最初から最後まで駆け抜けていった馬。その馬は僕の心の中でも常にトップを走り続けている。そして、今後もずっと先頭を走ってゆくに違いない。初めて競馬を見て笑った弥生賞。初めて競馬で涙を流した天皇賞・秋。物語は象牙の塔の中だけで展開されるものではなく、現実でも目のあたりにされるのだ、と痛切に思い知らせてくれたサイレンススズカ。その想いが「血」というフィルターを通して、そのままラスカルスズカに繋がっているのだ。ある意味呪縛ともとれる結論を出し、僕は南大沢駅の改札をくぐった。

冬の真っただなかの季節になってしまったので、夕方五時だというのに駅から遠ざかるにつれ光は乏しくなり、独り、やけに広い道を徒歩で家に向かう。ラスカルスズカ=サイレンススズカ。この方程式を何度も頭の中で反芻し、枯れ葉さえなくなった薄暗い木々を眺めながらゆっくりと歩いていた。ここでまたふとした疑問が生まれた。では、僕はラスカルスズカ自体が本当に好きなのか?ただ単にサイレンスの代替品としてしか見ていないのではないか?それで本当に単勝握りしめ作戦の本命馬になりうるのか?急な下り階段を降りたところで薄汚い野良ねこを見つめながら、少し複雑な気分になった。

死んだ兄の夢、という言葉で弟を見る。勝手なこじつけが弟の本当の姿を見つめることを遮ってしまう。

ぽつぽつと点在するしょぼくれた街灯の下で、僕は似たようなシチュエーションの物語を思い出した。それは、「タッチ」である。これを思い出した瞬間、僕はさっきから感じていた何かもどかしい気分が急に晴れたような気がした。

天才高校球児と騒がれた弟・上杉和也が甲子園出場目前で他界してしまう。それで、今までその陰に隠れていた兄・達也が弟の夢を果たすべく、また弟と南の約束を果たすべく、甲子園を目指すようになる。達也もだんだんと活躍するようになってくるが、最初は単なる弟の代替品として見られていた。しかしその強さが証明されてゆくにつれ、上杉和也の兄という言われ方から、上杉達也という、一人の人間としての見方に変わってゆく。そしてみごと甲子園出場を果たす。ここで人々の意識は変わる。上杉和也=上杉達也という方程式が崩れ、それぞれを別の人格として見るようになった。そうして二人の呪縛に縛られていた南も和也と達也をようやく切り離して考えることが出来るようになり、だから達也もあの名ゼリフ(?)をいうことが出来た。「上杉達也は、朝倉南を愛しています。」こうなったとき、人々は上杉達也という若くして他界してしまった天才高校球児と、それとは別の天才高校球児上杉達也の両方を、お互いに尊敬することが出来るようになった。

僕がラスカルスズカにこだわる理由の一つには、ただ単に兄・サイレンススズカの夢を受け継いで欲しいということもあると思うが、その裏に、ラスカルが本当に強くなることによって、今でも僕を縛り付けている感傷的なサイレンススズカへの思いから解放して欲しいという無意識が働いているんだ、ということに気がついた。全てをサイレンスにつなげて考えてしまう今の状況を抜け出せば、さらなる楽しみ方を見いだせそうな気がする。そのためにはラスカルがこの最強メンバーにうち勝つことが必要なんだ。ラスカルスズカ。いい名前じゃん。サイレンスの思い出に浸ってばかりはいられない。僕らには明日があるからね。それにはまず、ラスカル自身へ夢を託そう。兄から引き継いだものではなく、おまえ自身に向けた夢だ。ここからが本番だ。そう思ったとき、ちょうど自分の部屋にたどり着き、見慣れた部屋の明かりを灯した。
一二月五日 『ザ・ワイド』

 平日の昼下がり、少し猥褻な響きを持つこの時間帯に奥様方を賑わせるワイドショー。毎日毎日誰かが台本を書いているかのように新しい話題が登場しては消えて行く。現代は人間の死さえ、消費されて行く運命にある。どこまでこの莫大な消費社会は膨らんで行くのだろう。って、こんなことはどうでもいいのだ。こんな薄っぺらい話題などは到底及ぶことが出来ない出来事が、昨日・12月4日、勃発。 『ワイド登場』、である。

 本日のわたくしの成績、8戦4勝。なんと、勝率・5割。どえらいことが起きたのだ。いつもは朝から競馬場へ行ってだいたい13〜14レースを買う。そのうち3回当たればいい方なのだ。自分で言うのも何だが、僕はあまり勝負運がない。だから必ずといっていいほど大負けして帰る。この秋はなかなか調子が良かったのだが、それでもここ2・3ヵ月で5万円は負けている。それがどうだ、一体どうしたんだ、俺。今日はお札さんがまだ財布の中に残った状態で、東府中行きの電車に乗れた。この原因を考えると、やはりそれは『ワイド』の故だろう。

 当たりが3つある。単純に思えることが、すごい意味を持っているなんて良くあることだ。その典型がこの「ワイド」だ。当たりやすくなるのは当然で、それに加えてオッズが下がるのも当然。だからといって配当が期待できないのかといえば、そうでもないことは今日万馬券が出たことでも否定できる。でもこれも当然の結果である。人気がない馬がくると、そりゃワイドだってマンケンになるのは当たり前のことだ。だから僕は今日競馬場に行く前に、この三つのことはもちろん分かっていた。しかし、一つだけ予想出来ないでいたものがあった。それは、精神的な影響である。

 「粘れ〜、差せ!そのまま、そのまま!」 生競馬の醍醐味はこの臨場感にある。熱いものが俺の体をよじ登り、何かが頭の真ん中で弾ける。会心の予想。一点買い。ゲット。凄まじいカタルシス。一度体験するとLSDよりも常習性を植え付ける。それが馬券だ。だが、これはLSDよりも悪魔的だ。一度でもこの興奮を味わってしまうと、次はさらなる臨界点を求め、次レースに今とったばかりの大枚をつぎ込んでしまう。勢いで買ってしまう馬券というのは、大した予想も、思い入れもなくただ興奮だけを求めて買うことになるので、結局稼ぎ賃を呑み込まれる結果となるのみだ。先程のカタルシスを知る者には、この負けの痛さを感じている余裕がなくなっており、次こそは、と思い勢いでまたダラダラとした馬券を買ってしまうこととなる。そして最終レースが終わり、駅へ歩き出すときにとてつもないリバウンドで、寂寥感を感じ始めるのである。

これが、典型的な負けパターン。僕はこれに何度やられたことか。原因はもちろん、「勢い」である。小心な僕みたいな奴に限って、一度当たると勢いに任せて馬券を買ってしまうのである。しかし。ここにワイドが登場した。

昔阪神が優勝したとき、福間という渋い中継ぎ投手が活躍した。僕は阪神ファンではないが、福間選手の出身地が僕と同郷だったので覚えている。物事には起承転結がある。4コマ漫画も全てがオチで構成されていたら、面白いわけがない。つまり、最初から最後まで100ではダメだ、ということだ。リリーフピッチャーが登場するまでしっかり押さえておく。4コマめの前に上手いフリを作っておく。こういう一息つく場面というのが何事にも必要だ。この役割こそワイドの最大のポイントだ、と僕は言いたい。

競馬場に到着。早速自信のレースで勝負。よし、とった。気持ちいい〜。次もいったるでぇ。この盛り上がった気持ちの時に、ワイドが待ったをかける。ちょっと、次のレース、ホントに会心の予想なの?勢いで適当に買おうとしてない?さっきのレースみたいに自信があるんだったらガツンと買えばいいけど、いまいち自信がないんだったら控えめにした方がいいんじゃないの。あっ、そうだよな。このレースはいまいち予想できないんだよな。60%ぐらいしか自信がないから本当は買いづらいんだけど、でも馬券は買いたいし。あっそうか、ワイドか。よし、このレースは500円でちょろっとワイドから遊ぶか。

はい、良くできました。これが今までの僕にはなかった発想だったんだよな。でも、ワイドのおかげで、このちょっとした心の余裕が生まれてきた。こういう心の余裕があると、自信レースでは逆に今まで以上に燃えることが出来ることにも初めて気がついた。するとどうだ。的中率5割。すごい結果になった。

これからの俺はひと味もふた味もちがうぜ、とほくそ笑んだ。
一二月三日 『Time Flies.』

 たくさんの時間がすぎて行く。僕たちは一体、時間の過ぎゆく様を、何を基準に感じているのだろうか。

 一頭の馬がターフを去った。ひたすらに口をわり、そこからダランとした舌を出しながら、四年間を駆け抜けた少女。いや、もう既に少女ではなく強い「女」になっていた。メジロドーベル。彼女は最後まで女王であり続けた。僕が競馬にハマったのが1997年頃から。その年にオークス・秋華賞と二冠をとったのがドーベルだった。折り合い信仰が氾濫する近代競馬の中にあって、がむしゃらに口をわり、舌を出しながら走るその姿に僕はちょっとした恋心を抱いた。一発で惚れてしまったのだ。首の高い不格好なファームで走る姿は「私が勝つのよ。あなた達はせいぜい落ち着いて走っていればいいわ。騎手の言いなりでせいぜい頑張ることね。」と言っているように見えた。彼女に騎乗する吉田豊は必死に彼女をなだめようとするが、そんなことはお構いなしで彼女はひたすらに前を目指す。しっかり捕まっていればいいのよ、といわんばかりにゴールへ一直線だ。しかし先頭でゴール板を過ぎたときには、彼女は吉田豊騎手に首筋をポンポンと叩かれることを嬉しそうに受け入れていた。鞍上の吉田豊がお得意の派手なガッツポーズを披露しているときは、私のおかげなのよ、とツンとすましているようにしてはいたが、吉田騎手が大喜びしているのを一番嬉しく思っていたのは、他ならぬドーベル自身であったように見えた。

 言うことを聞かない女性を何とかしてなだめようとして必死になる男。そして勝利の時には自分の手綱さばきで気荒な女性を優勝へ導いたのだと確信する。
 一方、馬7・人3と言われているように結局は私が強いから勝てたのよ。あの人は私の上でちょこまかしていただけで、私の力で勝利ジョッキーになれたんだわ、と言い放つ牝馬。
 この二人が出会ったとき、最強の牝馬伝説が始まった。お互いがこの勝利は自分の力のおかげなのだ、と確信する強気なカップル。しかし同時に感じる相手への強い信頼感。馬とジョッキーの名コンビはその数あまたあるだろうが、今時のヤンキーカップルのように人よりも何倍も喧嘩をしながら、しかし心からお互いを信頼していけるという破天荒なコンビは他にはいないであろう。自分のおかげと信じながら、同時にパートナーの喜びを人一倍噛みしめられる。そんな名コンビだったような気が僕にはする。
 一般に、牝馬は好調時が長く続かないと言われる。四年間で毎年GTを勝ったドーベルは男勝りの牝馬であったのだろうか。いや、そうではない。ドーベルほど牝馬らしい牝馬はいないと思う。こんなにも長く活躍した理由は、パートナーを愛する力が他のどんな牝馬よりも強かったためであろう。つまり、彼女は一番女性らしさを持っていたのだ。吉田豊が最後に見せた涙。それは決して自分がGTを勝てた喜びに対してではなく、パートナーへの最大のご褒美だったにちがいない。僕がほのかに恋心を抱いた最強牝馬は、残念ながら最高のパートナーを得てしまった。悔しいことではあるが、頼もしいことでもあった。

 彼女の引退式。いつものようにあの男を背中に乗せた彼女は、しかし、いつものようにその男に喧嘩を売っているようには見えなかった。最後のレースで彼女へ初めてご褒美をくれた人へ、今度はドーベルがご褒美をあげようとしているかのようだった。そんな優しい目をしていた。でも最後に府中の直線を二人で駆け抜けてきたとき、またしてもあの会話がなされているようだった。「俺のおかげでこんな引退式がしてもらえるほどになったんだぜ、感謝しなよ。」「馬鹿。あなたこそ私のおかげでこんなに注目される騎手になれたのよ、感謝されるのは、こっちの方だわ。」

 僕が競馬にはまった1997年。そこでクラシックをあらそった、輝いた、駆け抜けたメジロドーベルが引退した。僕の中で一つの時代に区切りがついた気がした。あっという間。久しぶりに時間が確実に過ぎゆくことを感じた。Time Flies.
 二年連続で有馬記念で買い続けたドーベルはいなくなったが、彼女に教わった競馬の楽しさは僕の中で俄然盛り上がってきている。一区切りが終わったら、また次の区切りへ向けてスタートを切ってしまう。「週末に向かって生きている。」 また、あっという間に時間は過ぎるんだろうなぁ。
十一月十日 『素敵な笑顔』

 涙のあとには笑顔が残る。涙があるからこそ、笑顔は本物になる。

 ダービーの時、勝ち鬨をあげた者よりも目立った男がいた。泣きじゃくる二十四歳、渡辺薫彦その人である。馬は誰がために走るのか?そう考える人はたくさんいる。しかし、それに騎乗する騎手も誰かのために走っているのではないか。たとえば、自分のため、馬のため、ファンのため、馬主のため、愛する人のため、友達や仲間のため、そしてお世話になった数多くの人のため。それら全員の夢を乗せて馬を駆る。今回の菊花賞はこんなふうに騎手という素朴な人間にスポットライトを当てられたレースだったと思う。

 あの馬は強い。だけど、あいつが乗っている限りは良くて二着だろう。その言葉は本人の耳に確かに聞こえてきたであろう。もちろん調教師にも幾度となく届いていたであろう。乗り変わり。競馬の世界では常識である行為だ。条件戦で乗っていたジョッキーも、その馬が重賞に挑戦するときにはもう一つ上のランクのジョッキーにその馬の騎乗をとられてしまう。厩舎の方も、馬主も、その方が勝つ確率がより上がるのでそうすることを望むことが多い。しかしナリタトップロードはこれと異なった。沖調教師は自分の愛弟子である渡辺薫彦を乗り役にすることを頑なに守った。そして、きさらぎ賞・弥生賞での涙の勝利。そこまでは嬉し涙で綴られた、これ以上はないという物語であった。この二戦で、この馬の強さが証明され春の主役にまで駆け上った。しかし物語はこの後、暗いトンネルの中へと入り込んで行く。皐月賞・ダービー・京都新聞杯。いずれも惜しいところまではいくが、勝ちきれない競馬が続いた。ここであの言葉が充満し始める。

ナリタトップロードは強い。だけど、渡辺が乗っていてはやっぱり勝ちきれないだろう。

 三強対決、といわれた今年の菊花賞。しかしその評価は微妙に二強対決に傾いていたように思われる。各新聞紙上では◎はアドマイヤベガ、テイエムオペラオーに打たれ、トップロードは印こそ沢山つけられていたが、それは○や▲がほとんどで、単勝を支持する◎はあまり見られなかった。トップロードが連に絡むことはあるだろうが一着の可能性は結構低いんじゃないか、という見方が大半を占めていた。絶対に三強で決まる、という人の中でさえ重い印はベガ、オペラオーのどちらかに打たれ、トップロードは必ず三番手の評価だった。これには血統や展開面からの要素ももちろんあっただろうが、おそらくは騎手によって評価を下げられたのが一番の原因のように思われる。もし、トップロードに武豊が乗っていたら、おそらくこの馬が一番人気になっただろう。このことを一番強く感じていたのはほかでもない、渡辺薫彦本人だったに違いない。

 しかし。結果は周知の通り。勝った。ナリタトップロードが最後の一冠をとった。いや、渡辺がトップロードにその栄誉をとらせてあげた、と言いたい。もちろん、トップロードが強かったのは言うまでもない。それは春先にも幾度となく証明されている。僕は菊花賞の前後で渡辺が言った言葉が印象に残った。「この馬を一番理解しているのは僕だと思います。馬と騎手がお互いに分かり合えているのは、僕とトップロードのコンビ一番だと思います。」こう言い放ち、渡辺とトップロードは京都のウィニングロードを駆け抜けた。武が乗ってもこの馬の能力を十分に引き出せない、と口にしたのと同じだ。そして、勝った。この男いきには感動した。三千メートルという距離は、馬が自分だけで走りきれる距離ではない。まだあと二千メートルあるよ、まだスパートしてはいけないぞ、よしここからいけ!などと騎手が馬に教え、そして馬が騎手を信じて走ってこそ、勝利を掴むことが出来る。トップロードと渡辺のコンビはこれを一番上手くやってのけたのだ。菊花賞では一番強い馬が勝つという。しかしその裏には一番馬を理解した騎手が勝つという意味も込められているのだ。馬が走るとき様々な人の夢がその背中には乗っている、とアナウンサーはいう。しかしその背中で誰よりも夢を込めているのは、他でもない、その背中にまたがっている騎手であろう。本当に夢が叶ったとき、人は泣かないで笑う、と僕は思う。トップロードに乗って重賞を勝ったとき渡辺は泣いた。ダービーで惜敗をしたときに渡辺は泣いた。でも菊花賞をやっとの思いで勝ったとき、渡辺薫彦は笑った。精一杯微笑んで見せた。うれし泣きではなく、力の限り笑って見せた。おそらくトップロードも嬉しくて踊り出しそうだっただろう。ここにまた、競馬史上に残る名コンビが生まれた瞬間を見た。

 僕は、オグリキャップと南井克巳のコンビを知らない。シンボリルドルフと岡部幸雄のコンビを知らない。サニーブライアンと大西直宏のコンビはもういない。サイレンススズカと武豊のコンビもこの世では見られない。でも、もう悔しくはない。これからの楽しみがある。あのコンビが走るから。泣き虫なあいつがやってくれた。それだけで競馬がもっと素敵に見えた。

 涙のあとには笑顔が残る。涙があるからこそ、笑顔は本物になる。

 今年の菊花賞は時計は残せなかったけど、たくさんの想いが僕の心に残った。ちなみに、お金は残らなかった。ラスカルスズカがもう少しで二着だった。サイレンススズカは先週武豊の背中を押してスペシャルウィークを勝たせたが、今週も弟の背中を押してあげることはなかった。う〜ん、サイレンスは兄貴としてはいまいちだな。
十月十日  
 競馬だ、競馬だ、競馬が来たぞ!

 そう、待ちに待った秋の東京開催。胸が高鳴るのは何も空高くの秋晴れだけのせいではない。ついに今月九日から競馬が帰ってきました、府中の杜に。寝ボスケである僕が珍しく土曜日も日曜日も第一レース(朝十時)から、行って参りました。

 先週までの中山開催でも、大いに盛り上がっていましたが、やはり、生だよね。何にしても、生を怖がっている奴は大したことがないもんな。気持ちいい方がいいじゃん。競馬も生。パシャーンと響く緊張のスタート。観客は第三コーナー手前で一瞬声をひそめる。そして長い直線での咆吼。これだ!

 ブラウン管を通して、じっくりと検討する大人の競馬も、それはそれで楽しいが、三ヶ月もそんな状況が永く続いていくとやっぱりこの目で直に見たい、という気持ちが募ってくる。そうなると、バンドの練習があってもなかなか起きられなかった僕も、自然と早起きをしてしまうのであります。そこへもってきての、いきなりの毎日王冠。いや〜ぁ、もう、チョー勃起です。

 馬券の方は二日あわせると二万近く負けてしまいましたが(当てるには当てたが、結構つぎ込んだ勝負レースに限って当たらない。適当に勝ったレースがよく当たる。トホホ。)でも、そんなことはどうでもいい。確かにそこには競馬があったのだ。

 今日のメイン、毎日王冠。感傷的な思いに耽るのが好きな僕は、去年のこのレースの思い出を心に思い返し、その延長線上でグラスワンダーを買った。去年は僕の大好きな二頭、サイレンススズカ・グラスワンダーの一点勝負。見事に負けました。その借りを返すためにも、ぜひグラスがらみで馬券をとりたかった。しかし。相手を間違えてしまった。ドーベルとスティンガーからいったのだ。ガビ〜ン。

 去年の借りに、今年もさらに上乗せをすることとなってしまったが、まあよい。グラスワンダーが見れたんだから。勝ち方としては納得のいくものではなかったが、それはそれ、勝ちは勝ちである。圧巻だったのが、返し馬でのグラスである。他馬たちが騎手との呼吸を確かめるように、あるいは徐々にテンションをあげていくようにスタート地点へ走り抜けて行く中、グラスワンダーはじっくりと、歩きながら、観客の前を通り過ぎていった。そんなに意気込まなくてもいいんじゃないのかい、レースで走ればいいんでしょ、とでも悟ったかのように、一頭だけ悠々と歩いていた。勝つのは僕ですよ。そう言っているようにも見えた。ほとんど雨が降らないという、十月十日体育の日。その青空の下で、一頭だけ空気の気持ちよさを楽しんでいるようだった。栗毛の馬体は、青空によく似合う。そういえば去年勝った馬も確か栗毛だったけ。

 僕が感慨に耽っている間にいきなりファンファーレが鳴り響いた。日本の競馬にはファンファーレが付き物だが、そういえば凱旋門賞にはそれがなかったな。そう冷静に思いながら見ているつもりだったが、気がつくと僕もまわりの人達と同じように、手拍子を打っていた。競馬だ、競馬だ、競馬がやってきた!

 馬券的には悪夢のような日だったが、久しぶりに胸の高鳴る日でもあった。

 ちなみに京都大章典はツルマルツヨシ・テイエムオペラオーの一点勝負。感傷的な気分の好きなぼくも、さすがにこのレースでは叫びまくりました。惜しい惜しい一着・三着。会心の予想だっただけに、本当に悔しい。
十月七日  先週末、日本中が注目する凱旋門賞が行われた。僕の家では衛星中継が見られないので大学の後輩の家に夜中押しかけて、強引にチャンネルをひねった。

 結果は周知の通り、エルコンドルパサーは僅差の二着。展開がもう少し違っていれば、僕らが期待した場面が見れたのかも知れない。でも、それは言ってもしょうがないことだ。僕は素直にエルコンドルを誉めてあげたい。

 でも、一つだけ本当に、絶対に許すことが出来ないことがある。レース後コメンテーターが「エルコンドルはよく走りました。これが最後の競馬となりましたが、一度も連対を外さなかったのは凄いことですね。」と言った。何と、エルコンドルはこれで引退だそうである。何で?

 あのタイキシャトルでさえ世界を制したあと、日本のファンにその走る姿を披露してくれた。最後は負けてしまったが、それでもファンは大満足だった。しかし。エルコンドルのオーナーは言う。「日本の馬との勝負はもう既についています。だから世界に挑戦したわけで、その大役を果たしたらもうこれで引退になります。」う〜ん。まあ、そういう考え方もあると思う。

 でも、果たして本当にエルコンドルは日本でも最強なのだろうか?去年のジャパンカップを四歳で制したのはとてつもない偉業であることは確かである。しかしあの時の他の馬たちはエルコンドルに比べて、かなり調子を落としていたのも確かである。エアグルーブは五歳の頃の勢いはなく、スペシャルウィークも菊花賞を最高の仕上げにしていたので万全の体調ではなかっただろう。毎日王冠のグラスワンダーは言うまでもない。それぞれに言い訳があった。ハイレベルの争いでは、馬の調子はかなりの割合を占める。だから、競馬を支えているファン達は、最後の決着が見たいのである。

 スペシャルウィークも今年で引退なので、すべてのレース、最高の状態で出走してくるだろう。勢いに乗ったグラスワンダーは誰にも止められないような勢いで走る。新たな走りを見せたセイウンスカイの本当の力は物凄い可能性を感じさせる。今年の四歳3強は三頭ともドラマチックな物語を背負っている。エルコンドルパサー、こいつらを蹴散らしてからでも遅くはないんじゃないのかい。たとえ負けたとしても、君の強さが色褪せることはないはずだよ。競馬が始まったとてつもなく単純な理由。「一体、どの馬が一番強いんだろう?」。相手をしていないうちに走ることを止めてしまったら、一番強いとは言われないのではないか。

 君を好きな人も、嫌いな人も、最後に君が日本で走る姿を誰もが見たいはずだ。マル外が背負った宿命もよく分かる。あんなに勝ち続けてもダービーの舞台に立つ権利さえ持っていなかったつらさもよく分かる。最後に自分の足で掴んでみないか。胸を張って言って欲しい。「それでも僕は日本代表です。」

 最後に僕の好きな中村裕之氏の言葉です。

「素敵は勇気が作る」
九月二十六日  ようやくと地獄の連敗トンネルを抜け、払い戻しの列に並ぶことが許されました。ブラックタキシード。ダービーでも穴馬として一押ししていた馬だけに、この勝利は本当に嬉しい。

 ここ数年は競馬界において「西高東低」が長く続き、なかなかセントライト記念が菊花賞につながることがなかった。やはり憧れて東京に来た身としては、関東馬にもう少し頑張って欲しいと思っていた。だから、その意味でも伝統のセントライト記念も、もう少し格を上げて欲しかった。毎年あまり人気のない馬が勝ち、やっぱり関東の重賞はあんまり実力がなくても運で勝てるんだ、と思われてきた。

 今年の一番人気、ブラックタキシード。僕の好きな馬。菊花賞で関西馬と対等に渡り合うためには勝つべくして勝つ馬が必要だ。そういった意味も込めて勝負した。そして案の定勝利を収めてくれた。これで堂々と敵地、淀の舞台に乗り込める。十一月七日。ラスカルスズカに頼もしいライバルが増えた。

 結局夢馬券のような気もするが、勝ちゃいいんだよ、勝ちゃ。ちなみにローズステークスは、配当的に夢見る馬券を買い、全く駄目でした。

 それにしても、トゥザビクトリーが一番人気とはおかしいと思うんだけどなぁ。武は上手く乗ったと思うから、馬自体が弱かった結果だと僕は思っています。ヒシピナクルとフサイチエアデールとの組み合わせで、一五倍はつきすぎだぜ。僕の本命、エイシンルーデンスはここで終わるような器ではない。一八〇〇メートルあたりの中途半端な距離でいつか穴を出すと思うのでみなさん、買い続けましょう。
九月十九日  「いつまで夢見てんだよ。大人になれよ。」あのコマーシャルは僕へのメッセージだったのか。二十四歳、定職なし。馬券はなにかしらのドラマを含んだものしか買わない。条件戦でも夢がなければ買わない。その買い方もやはり、改めるべき時が来たのか。八月に入ってから一度も当たらない。たった一回もだ。ラスカルスズカ。夢を託したもの。

 ごめんよ、サイレンス。来週は心を鬼にして当てにいく。

 まってろ、JRA!預けたものは利子を付けて返してもらうぜ。そして取り返したものすべてを菊花賞、ラスカルにゆだねる。その時まで、回収マシーンと化し、当てて当てて当てまくってやる。来週はローズステークスでほら、でったとこ勝負!
九月十三日    〜序文に代えて〜
 今週日曜日の阪神メインレースは神戸新聞杯である。このレースは毎年、春のクラシックに間に合わなかった馬たちが、最後のクラシックレース・菊花賞への挑戦権を争うという、トライアルレースである。しかし二年前、このレースを二着し、果敢にも古馬との対決・天皇賞(秋)に挑んだ馬がいた。サイレンススズカ。結果は五着に終わったが、その激しいほどの逃げ足は見るものの心に深い印象を残した。そして、その後の活躍。そして、翌年の東京第3コーナー。ここで僕の夢は終わったかのように思われた。しかし.........。
 既視感覚。母ワキア。今週の出走予定馬に表示されたその文字は、ちょうど二年前のものと全く同じものである。夢は引き継がれたのだ。ラスカルスズカ。人の遺伝子の中には全く使われいない部分があるという。その中には人間が進化の過程で辿ってきたすべての記憶が眠っている、という仮説がある。ラスカルスズカの体の中には兄の記憶が、兄の夢が眠っていても不思議ではない。そしてその夢が、目覚めることもあり得なくはないであろう。
 有馬記念を盛り上げるために、エルコンドルパサーが出走することももちろんあるが、ラスカルスズカが夢を繋いでくることも、僕にとっては大事な条件なのである。

 もちろん、神戸新聞杯は、ラスカルスズカの単勝、一点買いである。

このページでは、毎週メインレースなどの予想を、僕が主観的に、だらだらと書いて行く予定です。
ちなみに、ラジコンマンのバンド活動とは全く関係はありません。