□ Home □
* Ayako's DIARY *
-2002.09-


結婚式
Date:2002/09/28(Fri)    

題名を見て、「うそ?!」と思った方。
そうなんですよね

一昨日:お通夜
昨 日:告別式
今 日:結婚式

冠婚葬祭目白押し。


ということで、今日は従兄の結婚式でした。
しかも@神戸。

朝8時に出発、母と共に東京駅へ。
7年ぶりに乗る新幹線で一路新大阪まで
そこから乗り換えて
神戸の「夙川」へ着いたのが午後1時半前。


今回、結婚式にただ出席するのではなく
ワタクシ、教会にて歌を披露。

【夙川カトリック教会】という
めっちゃ天井の高い教会で
思いっきりイタリア歌曲を歌わせていただきました。



実は一昨日の夜あたりからノドの調子が悪く
昨日の告別式へ行く前には
思いっきり扁桃腺が腫れている状態だった私。
(恐らく熱も出ていたと思う。測ってないけど。)

告別式を気合で乗り切り、
薬を飲んで、
なんとか今日の朝には歌える状態へと回復(←早い。)

式が始まる前に
伴奏をしてくれる母とリハーサル。
いやはや
やっぱり天井の高い教会は響きが違う…。
リハをする前に
「マイクを使われますか?」と聞かれたけど
全くもって必要なし。


本番もめっちゃ緊張したけど
高いGの音まで引っかからずに出たので
私的に合格(笑)

親戚一同をビックリさせたので、満足。

その後の披露宴では
母とのピアノ連弾。(4曲)
聴衆は…ほぼ耳を傾けてくれなかったと思うけど
新郎新婦が感動してくれたので、結果オーライ。

しかし
ピアノを弾く時間帯に
肉料理(メイン)を持ってくるのはどうよ?!(怒)
ま、母娘共々意地で完食しましたが。


さすがに現役モデルのお嫁さんはキレイだったわ♪
従兄のお兄ちゃんも
身長ではなんとかつり合ってたし。
顔もカッコいいけど★

ブーケトスの頃には
ワタクシ
疲れきってブーケ奪取することは出来ませんでした。
まぁ
急いで結婚する気もさらさらないし(大笑)

体調的には厳しいスケジュールだったけど
気持ちを切り替えて上手くいったので良かった。


但し、
前代未聞の肌荒れを除いては。

 
No.11


告別式
Date:2002/09/27(Fri)    

朝から冷たい雨。

昨日から家に来ていた祖母が
「涙雨だねぇ」とポツリ。


昨日の夜、親友から
《明日の葬儀の時、火葬場まで来てほしい》
とのメール。 …断る理由なんて無い。


お昼頃に斎場へ着き、告別式へ参列した。
式が終わり、出棺の時。
「…最後のお別れです」
そんな事、言われなくてもわかってる。
だけど
最後なんて思えないって。


喪主であるおばちゃんに代わって
長女の親友が挨拶をした。
しっかりした挨拶で、
・・・しっかりしすぎで。

こっちが困った。


火葬場まで行って
私は、彼女の側にいることしか出来なかったけど
彼女も、彼女の妹も弟も、おばちゃんも
悲しみより疲労の色が濃く見えた。


おじちゃんの棺に
手紙と
おじちゃんが大好きだったワーグナーの
オペラの序曲のスコアを入れてもらった。

CDを一緒に入れることは出来ないけれど
スコアならいつでもどこでも
音楽を奏でられると思って。



確かにおじちゃんは逝ってしまったけれど
遠い病院の集中治療室にいるより
今の方が近くに感じる。

親友にも言った
「これからは一番近くにいてくれるんだからね…」と。

 
No.10


お通夜
Date:2002/09/26(Thu)    

親友のお父さんのお通夜。

リクルート用に買った黒いスーツが
就職活動はもとより
教育実習
祖母の葬儀
そして今回のことにまで役に立つとは思わなかった。


おじちゃんが亡くなった事は
私の中でもまだ実感がなくて
しばらく涙も出なかったけれど


お焼香する時に
泣きっぱなしで目がはれてる親友の顔を見たとたん
ダメだった。
一気に泣いてしまった。

地元の友達も何人か来てくれてて
みんな一様に信じられないといった感じだった。


親友は…私が言うのもなんだけど
人徳がある、っていうか
同性にも異性にも好かれる人。

地元の友達から高校時代の友達
大学のゼミメンバーなど
沢山の人が訪れていた。


みんなの想いが届いたのか
彼女も時々だけど笑顔をみせてくれてた。


明日は告別式。

 
No.9


5年日記。
Date:2002/09/24(Tue)    

大親友のお父さんが亡くなった。

半年前くらいに倒れて
それからずっと意識が無かった。
こんなに早く
逝ってしまうとは思ってなかった。


小さい頃からしってるおじちゃんが
小さい頃と変わらない顔のまま眠ってた。


悲しいぐらい何も変わってなかった

今にも起きてきて
色んな話をしてくれそうだった。


真っ赤な目をしてる親友の
少しでも力になりたいと思ったけれど

今出来る事はとても少なくて
自分がとても無力に感じた。



一番つらいのは家族だろう。
今、出来ることは少なくても
これから先、出来る事は沢山ある。

そう思って
彼女の家を後にした。



 
No.8


高校時代。
Date:2002/09/20(Fri)    

本音を話せる友(K)と
久しぶりに語った。

久しぶりと言っても先月泊まりに来て以来だから
そんなに久しぶりじゃないか(笑)


教員採用試験の結果が出てからというもの
私も彼女も、普段のテンションが低い。
元々高い二人だから、
その変化は周りから見たら【異常】


今日は彼女と
高校時代の思い出話をしてた。
3年間同じクラスで
共有する思い出は多い。


高校時代は
今よりもっと生き生きしてた。
何に対してもがむしゃらだった。

「歳を取ったってことかなぁ」
「その一言で済ませたくないよねぇ(苦笑)」

なんて話をしてた。


高校時代に比べて
音楽に対する熱意とか意欲が
格段に落ちてる二人。
高校時代の目標に「音大入試」があるのは確かだけど
それを差し引いても…その変化は激しい。


「こんなにピアノをキライになると思わなかったよねぇ。」
「なんかあの黒い塊に脅迫されてる感じ(笑)」
「ピアノに向かうだけで自然に泣いちゃう時とかあるし。」


これが今の私(…と彼女)


教師になるために大学に入ったけど
何故「音楽」だったのか

答えが出ないのが情けないわ。

 
No.7


control
Date:2002/09/18(Wed)    

何もかもコントロールが上手くいかないときがある。

時間の管理
体調の管理
感情の管理

しっかりしなくちゃ、って思ってるんだけど
「ま、いっか」に
なってしまうときが多い。


今はほとんどそうだ。

しかも
「時間の管理」が出来ないのを
「体調」や
「感情」のせいにしてしまったりしてる。

体調はともかく、感情は
もう少し自分でコントロール出来るようになりたい。

感情で左右される程
時間に余裕があるわけでもない。


『何となくやる気が起きない』
という理由で
済まされることはないのだから。

 
No.6


音の記憶。
Date:2002/09/16(Mon)    

久しぶりにCDを買った。

アルバムを3枚まとめて(笑)
お金無いはずなんだけどなぁ・・・
確かそのお金で
洋服買うとか言ってなかったっけ?(汗


で、その中の一枚は結構昔の曲。
MISIAのmarvelousっていうアルバム

これが発売されたのは去年
私がTBSのデジタル放送でミキサーとして
毎週一回の放送をしてた頃。

リアルタイムで買おうと思ってたんだけど
結局買わずにいたアルバム。

CDを再生した瞬間。
懐かしい曲が流れてくる。



放送で使った曲ばかり(笑)
ホントはアーティストが偏っちゃいけないんだけど
みんな誤魔化しながら隔週とかでMISIAを
かけてた気がする。


溢れ出した懐かしいメロディーと共に
いっぱい記憶が蘇ってきた。


記憶というほど古いものではないんだけれど
去年の話なんだけれど
今の私からは
とても非現実的な時間のように思える。

『TBSのスタジオで
  生放送のミキサーをしてたんだよ』

なんだか
ウソにしか聞こえないようなホントの話。



 一緒に放送を作ってたメンバー達。

 そこで出会ったかけがえの無い友達。

 その頃してた恋愛。

 決して思い通りにいかなかった人間関係。

 一度だけ起こしてしまった放送事故。

 納得いくまで録り続けたラジオドラマ。

 一瞬にかけたミキサーとしてのプライド。

 いい物を作ろうと思って
 ぶつかりまくったミーティング。

最終回。

 あんなに他人の前で大泣きしたのは初めてで
 まるで子どものように
 しゃくりあげる私がいた。

 どんなことがあっても
 メンバーの前では見せなかった涙が
 一気に溢れ出したようだった。





ミキサーとしての期間が終わってしまえば
私はただの音大生に戻ってしまって
毎週毎週、
当たり前のように顔を合わせていたメンバーとは
もう
会う事は無くて。
一緒に放送を作ることもなくて
どうしても
涙が溢れてとまらなかった。




MISIAの
そのアルバムを聴いて
文字通り走馬灯のように
記憶が
思い出が走りぬけた。

最近泣いてなかったのに


いつのまにか苦しくなって、泣いていた。




その頃の私と
今の私が違いすぎて。


悔しくて、泣いていた。

 
No.5


花火の余韻も覚めやらず。
Date:2002/09/11(Wed)    

今日から真面目に学校再開。
特に面倒な授業も無く、
平和に一日が終わると思っていたんだけど

例の淡谷のり子のレポートを書いた授業が
非常に腹立たしいものだった。


その講義は私が通う音大の先生が開いているのではなく
他大の教授が開いている講義。
履修したそもそものキッカケも
一般大学の教授がポピュラー音楽をどう教えるのか
というところに興味があったのが一つの理由。


しかし、ふたを開けてみれば
私との相性は最悪な授業だった。

ポピュラー音楽と一言で言っても
ものすごい幅広い。
まず、日本のものか、外国のものか
現代のJ-POPを扱うのか、昔のものなのか。

で、
彼が扱っているのは大正〜昭和初期の
日本のポピュラー音楽だった。
(だからレポートの内容が淡谷のり子になった。)


後期一発目の講義。

少し遅刻していった私もいけないけど
教室に入ると
ポピュラー音楽の授業で

『日本が戦争をしていたのを知っていますか?』

なんちゅー質問を彼はしていた。

おいおいおい
何の授業だ、これは。
と思いながら
真中よりやや後の席につく。

どうやら今日の授業では戦時中に歌うことが困難だった
日本のポピュラー音楽を扱うらしい。

それに付随して戦争の話をするのは理解できた。
しかし、
やり方が非常に腹立たしい。


決して戦争に対する知識が豊富とはいえない
音大生を相手に
完全に馬鹿にした態度で授業をする。

大教室にまばらにしか座っていない学生の
側にわざわざ行って

『戦争が終わったのは1945年ですね?
 では、日本がアメリカに戦争をふっかけたのは
 何年でしょう?』

彼の質問の偏り方もさることながら
これを即答できる学生がいなかった。

完全にムカついてた私は
このくだらない質問に時間を費やす
彼を直視するのがイヤで
窓の外を見ていた。

そんな私の前にきて

「戦争がはじまったのはいつですか?」

等と薄ら笑いを浮かべる彼に言った。

「・・・1941年12月7日。」

真珠湾攻撃の日。
日付まで即答された彼は露骨に面白くなさそうな
顔をし、答えた私に何も言わず授業を続けた。

答えられなかった学生については
しつこく何か言ってたくせに。


なんだか知らないが
彼はこれで調子に乗ったらしくその後次々と

『日本はどこの国と戦争をしていたんでしょう?』
『日本と戦争をしていなかった国はどこ?』
『国際連合を英語で言うと?』

こんな質問をしだした。


当たり前のように誤答が続く教室の中で
彼は半笑いで言った

「正直ここまで答えられない事にショックを受けています」

「ここまで時間を割かれるとは思わなかった」


1時間半も音大生を馬鹿にし続けてそれはないだろう。
自分が授業を進めようと思ったら
学生に答えを求めるのではなく
自分で進めればいい話だ。

それを学生のせいにし、
授業が進まなかったのは誤算だという態度をとる。


何度も席を立ち
「この授業に何の意味があるのか」
「質問を続けることにどんな意図があってやっているのか」

大声で抗議したい衝動に駆られたが
周りの学生が
何も憤りを感じず、
他の学生のありえない誤答に対して笑っている姿を見ると
抗議する気にすらならなかった。



彼の『偏った思想』が前面に押し出された
薄っぺらな戦争論を聞くために
私は両親に授業料を払ってもらっているわけではない。


また
それに気付いていない学生が
大多数だったことに呆れた。

 
No.4


新潟片貝祭の花火♪
Date:2002/09/09(Mon)-09/10(Tue)    

月曜から1泊で新潟まで花火を見に行ってきた(笑)
【日付横のリンク参照】


学校は始まってるんだけど
偶然にも火曜日が休みで
月曜の授業は…すっ飛ばしても問題ないヤツ。

行くかどうが迷ってたんだけど
友達の

『世界一の四尺玉があがるんだって!』

の一言に押し切られ
昨日の夜(っていうか、当日の朝方)書きあがった
淡谷のり子のレポートを友達に託して旅立ってきた(笑)



友達5人とレンタカーの旅♪
学生のクセにこういう経験が乏しい私にとって
それだけでもめっちゃ楽しかった
(途中怖い事もあったけど…)


午前中出発して新潟の片貝町に
16時30頃到着。
到着してみてわかったのは
年に一度のこの祭りに全てをかけてる町だなぁ…と。

だって、
花火会場の神社のほかには
小さな工場と田んぼと民家だけ。

普通の日に来たら
ここで世界一の花火が上がるとはだれも思わないだろう


そして19時30分から花火開始。

打ち上げ会場のふもと近くに陣取ったせいか
ものすごい間近で上がる花火に
一同興奮&騒然(笑)

しかし、後から考えてみれば全然序の口だった。

打ち上げから2時間程経過した頃
3尺玉が打ちあがるとのアナウンス。

普段の花火大会で私たちが見るもので
一番大きいのが2尺だという。
それを超える3尺って…


期待して上がった3尺玉。
花火の大きさはそれほどでもなかったんだけど
打ちあがるときの音と
花火が開く時の爆風がすごい!

私の文章力だとイマイチすごさが伝わらないだろうけど
とりあえず
花火大会で爆風を感じたのは初めてだった。

その後、
常識ハズレの『60連発』
これは
なんだろ・・・
花火がずっと空から消えないのよ 3分間ぐらい。
最初は尺玉ではなかったものの
途中から尺玉が連発

一同、呆然。
友達の
『いったいつまであがるねん。』

という言葉が印象的だった。
ホント、この世のものとは思えない時間だった。


そして22時ジャスト
世界一の4尺玉が上がる。
見物客がどんどん前に集まってその時を待つ。

打ちあがる前のサイレンがなって

花火の打ちあがる“どすん”という音が
おなかに響いた。
直後
新潟の澄み切った夜空に
ありえない大きさの花火と

3尺玉を超える突風。


一瞬だったけど、あの大輪の花火は
目の裏に焼きついて離れない。


今回行ったメンバーは
私以外全員4月からの進路が決まっている。
平日に行われる事の多いこの花火大会

『来年も絶対来ようね!』


って、言えなかった。
ふざけて
「来年の9月9日と10日は 全員有給ね!(笑)」
とか言ってたけど。

新入社員でそこまで融通のきく会社の方が
珍しいだろうと思う。

学生最後の夏。

このメンバーで行けて良かった



 
No.3


笑うしかない事態
Date:2002/09/08(Sun)    

本日18:00。
我が家の台所での母娘の会話。

私: 「っー(>_<) 疲れたぁ!」
母: 『随分頑張ってたじゃない。レポート?』
私: 「うん。」
母: 『何の教科なの??』
私: 「・・・ポピュラー音楽研究。」
母: 『へ〜。面白そうねぇ♪』
私: 「淡谷のり子について10枚。」
母: 『・・・。(汗)』
私: 「明日までなんだよねー(溜息)」

母: 『あんたまさかそれ・・・夏休みの宿題?!』



はい。そーです。
笑うっきゃないわー☆

今から書きます。4000字!!

淡谷のり子さんの人生ってば
なんか、カッコイイ。
今日一日で伝記を2冊読んだけどあっという間だった。

(それならもっと早く取り掛かれば良かったのに!)

書きます。
書くぞ!(半泣)

 
No.2


合宿その2
Date:2002/09/07(Sat)    

一週間前のことになるけど、
8/30〜9/1日まで中2の従妹が遊びにきていた

私とは8つ違い。
それこそ生まれた頃から知ってるから
中学生になったなんて
今でも信じられない(笑)


彼女の行ってる中学校にも音楽の教育実習生が来たらしく、
お世辞なのか私に気を遣ったのか
『あやこおねぇちゃんみたいな人が
 来れば良かったのにー!!』と言ってくれた。

理由を尋ねれば
「だってなんか暗かったんだもん!」と(笑)
・・・コドモは残酷だわ。


小さい頃はさっさと寝ちゃった従妹も
この頃はナマイキに夜更かしするようになってた。
泊まりに来た日も私がお疲れモードだったのにも関わらず、
ヤツと午前3時まで語ってしまった。(汗


自然と友達や先生の話になって
その時しきりに

「○○先生はねーホントいい先生なんだけどね…」
とか逆に
「※※先生は最悪なの!」とか言うので
現役中学生に聞いてみた。

『ねーねー いい先生ってどんな先生??』

現役中学生の彼女は少し悩んだ後
「あのねー なんか話聞いてくれるし
 授業楽しいし、面白いし!
 明るいし
 しかもね、分かりやすいのー♪
 んで、その先生の時間はあっという間に
 チャイムなるんだよねっ」


というお答えが返ってきた。

よく
「教師は授業で勝負する」とかいう言葉を聞くけど
彼女の話を聞く限り、それはウソではないようだ。
私的には
授業以外でも勝負できるのが本当の教師なんだろうと
思っているんだけど…。


まず、基本的なこと
授業を充実させる事は
いい先生にとって必要条件なのかもしれない。

 
No.1