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* Ayako's DIARY *
-2002.12-


結果。
Date:2002/12/26(Thu)    

あまりにも物を食べない私の行動に
家族も心配したみたいで

あまり口をきいてくれなかった父も
『留年だって命を取られるわけじゃないんだから…』
等と話し掛けてくれるようになった。


同じ大学のOGである母も
「うちの大学の卒論なんだから、
 そんなに思いつめなくったって大丈夫よ!」
と、半ば呆れ顔で言った。


クリスマスなのに、何も食べていなかった私を見て
弟がバイト帰りにケーキを買ってきてくれた。



そして、今朝。
いつものように部屋でボーっとしていると
家の電話が鳴る。
呼び出し音が止まって数十秒後、
私の部屋の内線が鳴った

「・・・○○先生(ゼミの教授)から!
 いい?切るよ??」

受話器の向こうで母が言った後、
外線に切り替わった。

ボーっとしていた頭が一気に醒める。


淡々とした先生の声。

話の内容は
ゼミの先生が私の論文を検討した結果、
評価はA。
しかし、提出の時の事態を踏まえると
素直にその評価を出すことはできないと言うことだった。

評価が出ると言うことは、成績がつくということ。
つまり
留年はない、ということだ。



もう、評価なんて何でもいいから
自分が卒業できるのかできないのか
そこが一番気がかりだった私は、

AがBになろうと、Cになろうとどうでもよかった。



先生に謝罪とお礼の言葉を精一杯伝え、
受話器を置いた。


「留年はないって。」


母にこう言ったあと、心の底からほっとした。

自分の努力が報われたとか
そんな感じじゃなくて
あの程度の論文に救済措置を取ってくれた
ゼミの先生に大して、
ただ、感謝と申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


【留年はない】

卒論提出日から五日。
結果が出た。


 
No.15


続・私という人間。
Date:2002/12/25(Wed)A    

「こんなはずじゃない」
…自分の思い通りにならないことだらけの今年。

今までにないくらいの落ち込みの中


やっと『私』っていう人間が見えてきた


見えてきたら、不思議と楽になった。




私は思っているほど強くないし
カッコ良くも生きられてない。

過去、思い通りの結果を出してきたことが
当たり前のようになっていたけど
その頃の私は、ちゃんと努力してた。


何もせずに結果が出ていたわけじゃなかった


結果が出ることが当たり前になって
何もしなくてもそうなると思っていた。


「私」は「思い通りの結果を出せる人間」じゃなく

「私」は「努力して思い通りの結果を出す人間」だった。




過去の私は、全く自分と向き合っていなかったようだけど
実は、ちゃんと向き合ってた。
無意識のうちに。



いつの間にか
他人と自分を比較するようになって
他人の評価を鵜呑みにするようになって

自分を見失っていた




私って言う人間は、もっとデキナイ人間だった。

だから、人一倍努力していた。
きっと、もっと自分に厳しかった。



その上で、結果が出ていた
他人にも認められるようになった

無意識にある
私の根底にある何かを忘れかけていた。
恐らく、一番大事なものを。



 
No.14


私という人間。
Date:2002/12/25(Wed)    

ここ数日間ほぼ何も食べない日が続いている。

水分さえ取っていれば
人間って結構大丈夫なのかも、と思うようになった。




今回のことで、自分っていう人間について考えた。

小さい頃から
「自分のことより他人のことを考えなさい」
と言われて育った私は
高校生くらいまで
『自分』という概念が抜け落ちていた。


他人がこう思うだろうから私はこういう行動をしよう。

他人に迷惑がかかりそうだから私は我慢しよう。

私は他人にこう思われているから
それを壊さないような行動をしよう。


大げさかもしれないけれど
私の考えや行動のコアはそういうところにあった。



いつの間にか
「私はこうでなければならない」
っていう枠を自分で作り上げていて
それから外れる行動はしなかった。

してはいけない、
と思っていた。
するはずもない、と思っていた。



小・中学生の時が一番ひどかったし
その頃にこのコアが出来上がってしまった。


高校に入って、
それでも少し柔軟にモノゴトを考えられるようになった。

だけど、やっぱり『自分』という概念はなかった。


情けないかもしれないけど、
大学に入ってから『自分』というものを考えた。
就活するときに“自己分析”とかやってみた。


少しだけ自分を知った気になった。



でも、
結局それは

「こうでなければいけない自分」を知っただけで


「こうでなければいけない自分」を再構築しただけだった。


だから、
就活して内定することが当たり前だと思っていたし
内定がもらえないわけがないと思っていた。

自信過剰…っていうか

「私」という人間の行動には
必ず結果がついてくるものだと思っていたから。
今まで…ずっとそうやってきたから。


就活やってて、
途中で教採の勉強に切り替えて合格できる程
簡単な試験じゃないってコトはわかっていた。

でも、『私』ならどうにかなる、って
ココロの隅で思っていたのかもしれない。

結果は不合格

分かりきっていた結果なのに
思いっきり落ち込んだ。



卒論もそうだ。
テーマが決まるのが遅くて
その分取り掛かるのが遅かった
「間にあわないよ」 って言われたけど

『私』ならどうにかすると思っていた。

根拠の無い自信だけで論文を進めてた。



就活も
教採も
卒論も


全て崩れ去った今年。



思いっきり『自分』について考える
いい機会になった。

 
No.13


世間ではクリスマスイヴ
Date:2002/12/24(Tue)    

中退したら教員免許がもらえない。


去年の12月から就活を始めて、
5月の途中まで本気で就職するつもりで

でも、
教育実習へ行って
昔の決意を変えるわけにはいかないと思って
教員を目指すことにした

就活もきっぱり止めた。



今年の採用試験には合格できなかった


そんな選択をしてきた私にとって
教員免許が取得できないという事実は

今年の私の行動すべてが
無駄になるということだった。



今年の行動、っていうか
これからの私の生き方全てに関わってくることだった。

教員になるために
一般企業への就職活動をやめた


去年の12月から活動をしていて
教員になるという決意をしたために目標を変更し
就活による結果は何も出ていない

だからといって
今年の教員採用試験に合格したわけでもない

ここでも結果は出ていない。



卒業論文を書いた。

提出が遅れた

どんなに頑張って書いた論文でも
受理されなかったら何の結果も出ない。



この一年、
頑張っていたかもしれないけれど
何一つ結果を出せていないことに気付いた。

自分がこんなにいい加減なヤツだと思わなかった



私っていう人間が分からなくなった。



今日も飲み物以外何も口にしなかった

 
No.12


留年=中退。
Date:2002/12/23(Mon)    

私の論文がどうなるのか
結果がわかるまで数日かかる。

いつ結果が来るかわからない
それがいい知らせかどうかも保証はない


そんな状況の中で留年について考えていた。


留年ということは
一年間の授業料を払わなくてはならない。
年間1,800,000。
既に4年間、その学費を両親に出してもらっている。

もう一年なんて言えない。

1,800,000÷12(ヶ月)=150,000

自力で授業料を払うとして
一ヶ月150,000稼がなければいけない
普通のバイトじゃ無理。

…普通じゃないバイトをするか(爆)



現実的に考えて、留年なんてまず無理だった
留年=中退。

やっぱり、そうなるしかないのかも。


中退か…

そうすると、教員免許がもらえない。

 
No.11


とりあえず寝た。
Date:2002/12/22(Sun)    

人生最大で最悪なミスを犯した翌日
死んだように寝ていた。


前々日から何も食べていなかったのに
まったくおなかが空かなかった
おなかはグーグー鳴っているけど
食欲がゼロだった。


寝て
泣いて
寝て
泣いて



私ってこんなに泣く人間なんだ…って思った。

24時間があっという間に過ぎて
すぐ夜になった。

 
No.10


卒論提出。その後の続き
Date:2002/12/21(Sat)B    

高校時代からの友達(S)の家に着いたら、
彼女があったかい紅茶を入れていてくれた

前日の昼間から何も食べていなかった私は
彼女の入れてくれたジャム入りの紅茶を飲んで
少し…落ち着いた。


S:「何で遅れたの?」
私:「どうしても…最後まで書きたかった」

しばらくしてから彼女が言った

S:「昔っからそういうトコ、何も変わらないね」



結構、この言葉がキツかった。


少し落ち着いたと言っても、
まだ混乱していた私はSに向かって
色んなコトを話していたらしい。


一生懸命やりたかった
最後まで諦めたくなかった
せっかくやるならいいものを書きたかった

論文はどうなるんだろう

卒業できるのか

・・・

あんまり覚えていないけれど
そんなことを彼女に向かって話していた。




とりあえず、私の論文の扱いがどうなるか
ゼミの先生へ連絡を取ってみるということで
彼女の家を出た。


帰りの電車の中で、幼なじみと親友と
あと…何人かに事情を伝えるメールを送った。

とにかく疲れていたけれど、
不思議と眠くもならなかったし
何も食べていなかったけれど、
おなかも空かなかった。



家へ帰って、家族へ状況を説明した

ゼミの先生へ連絡を取ってみたけれど
ずっと留守電になっていた。



友達のKから電話があった。
彼女も高校時代からの付き合いで、
メールの内容に驚いて電話をかけてきてくれた。

ゼミの先生と連絡がつかなくてまた不安になっていた私に
彼女は冷静にアドバイスをくれた。

ゼミの先生に電話する内容や言う台詞まで考えてくれた。

やっぱりまだ混乱していた私にとって
彼女の電話はものすごい救いになった。



しばらくしてゼミの先生と電話が繋がった。

先生:「…あなた、、、、どうしたの?」


激怒されるかと思ったけど
驚いたような、呆れたような口調で先生は電話に出た。

「どうしても最後まで書きたくて…」

言ってる途中で涙が止まらなくなった。


とりあえず休みなさい。
あなたの論文がどうなるか分かったら連絡するから。

そう言われて電話を切った。



またすぐ先生から電話があって、
今現在の私の状況を伝えられた。

現状では私の論文は「預かり」はされたけど「受理」はされず、
このままだと失格扱いで留年ということ


先生は、可能な限りの救済措置を取るということで
留年にはならないようにするから、と言ってくれたけど

教授会へかけてみないと確定は出来ない、ということだった。



結果が出るまで数日かかるということで
とりあえず待つことになった。

 
No.9


卒論提出。その後
Date:2002/12/21(Sat)A    

提出に行った先の研究室には
うちの学科の教授が何人か待っていて、
私がその研究室の前に行くなりすぐ、

「○○さん(←私の名字)?!」

と、相当血相を変えて怒鳴られ。


自分でも時間を過ぎていたことは分かっていたので
「ハイ。○○です…(時間を過ぎているのは)
 分かっています。」
と言ったところ、

私が何か言うか言わないかの間に
「何やってんの!!だらしなさ過ぎるわよ!」
「ルーズすぎです。」
等とお叱りの言葉を数々と投げられ。

その教授の授業を受けたことはあるが、
いっつも蚊の鳴くような
細々とした声で授業をしていた。
彼女の声とは思えない剣幕で怒鳴られた私は

ムカつくより先にあっけに取られ
果たして受け取ってもらえるのか、という疑問を解消するため

「受け取ってもらえるんですか?」と聞いた。

彼女(ドラえもんのような体型の中年〜高年女性教授)は
「・・・一応預かります」と言い
私の論文を奪い取った

その時点で丸二日寝ていなかった私は
ほぼ思考能力が停止状態。
相当ヤバイ状態だってコトは理解していたものの
何を言われても、もう何も考えられず。

そのまま学校から駅へ向かう
帰り道の途中で、高校時代からの友達から電話が入った。
「卒論、どうした?提出できた?」

彼女には提出直前まで
「もうムリかもしれん…」と言っていたこともあり
心配してかけてきてくれたらしい。

事情を話すと、学校の近くに独り暮らしをしている彼女は
今から家においで、と言ってくれた。
確かにこの状態じゃ家にも帰れない私は
彼女の家に行く事にした。


朝から降り出した雨は今にも雪に変わりそうだった。


学校から彼女の家まで、号泣しながら歩いた。
「何やってんだろ。」
自分を信じられなくなった。

ゼミの先生へ、何て言えばいいのか
今まで論文を書くために
協力してもらった人たちに何て言えばいいのか

私の論文はどうなるのか

卒業できるのか


思考回路は停止してるはずなのに
ありえない速さで頭の中に
いろんな思いがぐるぐると回った。


冷たい雨の中を15分ほど歩き
彼女の家に着いた。


 
No.8


人生最大のミス。
Date:2002/12/21(Sat)@    

卒論の提出日。

実技の試験も終わり、
卒論に集中できる日が5日間だけあった。


私の書いている論文のタイトルは
【山崎まさよしの楽曲分析を通してみる
 日本のポピュラー音楽の変遷】


ということで、論文+楽曲分析がある。

山崎まさよしの楽曲は
アルバム5枚(+ミニアルバム2枚)で60曲以上。

そのうちアルバム5枚分(59曲)を取り出して分析した。

歌詞の内容、時制、言語
旋律の種類、リズム、楽曲形式、使用される楽器

10項目以上について分析をした。

で、音楽の分析で何が怖いかって…

■結論が出ない。
■切り口が曖昧。
■例外が多い。
■分析者の感覚によって結果が異なるため
 結果が一つじゃない。

とりあえず、
分析すればするほど混乱してた。

今日が提出だって分かってたけど
前日から今日の朝にかけて
分析が終わらなかった。
できるだけ完璧な分析結果を出したかった。


結果、当日の朝になっても
全く結論が書けていない状況になった。

今考えればある程度のところで分析を途中で
切れば良かっただけの話。



卒論の提出は16時30分。

もちろん【厳守】






私は提出に7分遅れた。

 
No.7


声楽卒試→→?
Date:2002/12/16(Mon)    

14日のショックも解消されないまま
声楽の卒業試験の日を迎えた。

『何故あんな演奏だったんだろう』

そればっかりを思って過ごした2日間。
私の中で一つだけ答えが出た。


4年間の音大生活で私に欠如していたもの
多分
 【音楽に対する真剣な姿勢】

これが原因だったんだろう。


2年の時、先生と上手くいかなくて
ほとんど練習しなかったこと。
3年の時、ラジオに関わることで練習量を減らしたこと

4年の時も、就活だ何だ、って
練習しないことを正当化する理由を後付けしていた。



いくら卒業試験のためにどれだけ練習したって
積み重ねてきたものがなければ
結局、付焼刃にしかならない。

そんなこと自分が一番理解していたくせに
卒試で大ミスして
やっと思い知った。

情けないやら悔しいやら


でも、いくら後悔したところで
もう私の卒業試験は戻ってこない。

気持ちを切り替えようって思っていた。


結局、今日の声楽の試験も
かなり中途半端な歌しか歌えなかった

「部屋が響かない」

そんなことは理由にならないし、したくない。


ここまできたら私のいい加減だった音大生活のツケを
思う存分味わうしかない。

イタイしツライけど、仕方ない。

それが私の4年間でもあるのだから。

 
No.6


卒業試験(ピアノ)→→崩壊。
Date:2002/12/14(Sat)    

とうとう卒試当日。

9時半からの試験で私は3番目。

少し早めに学校の駅に着いて
近くに一人暮らしをしている友達の家にお邪魔する。
試験前、少しでも指を動かしておきたいため。

朝早く、しかもバイト前だった友達に
感謝をしつつ30分ほど練習する。

時間を見計らって学校へ。


9時30分。試験開始。
3番目の私はすぐに試験室へ入り
前2人の演奏を聞く。

一人5分という持ち時間のため
10分後には私の順番になった。


私が試験曲に選んだのは
古典派の大御所の作品。
ミスしたら一発で分かる曲

なのに

1頁目の3段目で大ミス。

練習では一度も間違えたことがない場所。

「ありえない…。」

冷静を取り戻そうとするが
なかなか調子が戻らない。
動揺したまま、散々な演奏が続く。

どこまで弾いても調子が戻らない

「どうして?」

軽くパニック状態。

…結局、練習したことの1割も出せず
私の卒業試験は終了した。

部屋を出る時、
試験官の先生が何人も私の顔を不思議そうに見る。


自分でも如何してあんな演奏になったか
全く分からない。
去年に比べれば練習だってある程度積んだ。

試験室の外で演奏を聴いていた
クラスメートと目が合う。
「おつかれー…」

一様にそう言った彼女達の目が同情に溢れているように見える。


『悔しい』っていう感情より
今の演奏で私の卒業試験が終わったことが信じられない。


卒論のために図書館へ行ったけど
一瞬気を緩めたら泣いてしまいそうになって
気を張り詰めて家まで帰った。


手が冷たかったわけでも、
緊張しすぎたわけでもない。

何故こんな演奏しか出来なかったんだろう…。


 
No.5


ホームレッスン
Date:2002/12/12(Thu)    

大学の授業は終わったものの、卒試まで
日があいてしまうのでピアノの先生の家まで
レッスンを受けに行った。

ホームレッスンなんて1年以上いってなかったなぁ。


ピアノの先生の家は同じ市内で
(…といっても3駅先)
教育実習に行った学校の学区域内。
平日の昼間だったから生徒には会わなかったけど
何となく懐かしい感じ。

4年間お世話になった先生に
卒試前の最後のレッスンを受けた。

14日(明後日)がピアノの卒試だけど
やっぱり卒論と平行してやってると
体調の管理が難しい。

昼間は歌とピアノの練習に使うと
一日中卒論を進めるわけにもいかず。
結局卒論は夜からやらなくてはいけなくて
寝不足だと集中力も欠けてしまう。

私の演奏を聴き終わった先生が一言
『あなた・・・寝てる?』
演奏からもバレるのか。とビビリつつ
卒論の追い込みと平行してることを言うと

毎年4年で卒論のあるゼミに入ってる人は
同じような状況に陥ることが多いと言う。


でも、私がどんな状況であれ
明後日はピアノの卒試なわけで。

いつも通りのレッスンの後、
何となく雑談になった。
後から気付いたらこの雑談が1時間を超えていて。

こんなに普通に先生と話せるのが不思議だった。

2年の時は先生とウマが合わず、
本当に辞めようと思ったことが何度もあった。
練習もろくにしていかなかったし。

1時間も雑談ができる関係になるとは思っていなかった。
4年間、決していい学生とはいえない私と
そんな風に接してくれる先生に
心から感謝したいと思った。

***

4年になって、就活もしなくなって、
卒試に向けてのレッスンと卒論だけやればいい
という環境におかれてから

やっと自分の中での「音楽」というものや「ピアノ」
っていうものに正面から向き合ったような気がする。


卒業間際になって【今更】って思うけど、
【今】気付けたことを幸運だと思いたい。

 
No.4


初雪。
Date:2002/12/09(Mon)    

関東地方で12月中に雪が降るって
結構久しぶりな気がする。

最近は卒論に追われて、夜中の3時位まで
粘ることが当たり前になってる私。
高校時代は徹夜で試験勉強なんて
余裕でしてたのに、今は結構キツイ(汗
(10代の頃は体力あったなぁ。)


昨日も卒論が思うように進まず、
深夜2時頃まで起きていた。

あまりの寒さと
あまりにも進まない卒論に半分キレかけながら
異様に外が静かだと思って窓の外を見ると
なんと既に雪が積もって道路が白くなってる♪

夜中にも関わらず、隣の部屋の弟をたたき起こし
『雪!雪!!』と騒いでみた。


ちょうど同じくらいに横浜の友達から
雪降ってるよメールが届く(笑)

彼も卒論をやってて
この時間まで起きていたみたい。
「こっちは積もりそう!」とメールを返すと
最初は積もる気配すらないって言ってたのに、
結局横浜でも積もって、
夜中に足跡をつけに超薄着のまま外へ出たらしい(笑)

さすがに卒試を控えてるため
風邪をひくわけにいかない私は外へ出なかったけど
しばらくぼーっと眺めてみた☆


明日の朝には雨に変わっちゃうんだろうなぁ
と、半ば諦め気味で3時半くらいに就寝。

しかし、
朝起きてみたら10cmの積雪♪
それから午前中も降ったから結構積もってた。

雪大好き人間のワタクシとしては
いつもの通り大きい雪だるまを作りたかったんだけど
弟が学校へ行ってしまったので
仕方なく雪かき。

東京都(西の方)はこんな感じでした♪↓


 
No.3


通常授業終了!
Date:2002/12/06(Fri)    

私の音大生活最後の授業が終わってしまった。

最後の授業が声楽の授業なんて
なんとなく締まらないけど(笑)
K音には高校(普通科)から入ったから
高校時代から含めると7年間。

音楽を勉強することの
楽しさや
苦しさ
奥の深さ
難しさ を感じたなぁ...

音楽、っていう一つのことに対して
いろんな側面を見たし
いろんな関わり方をしたし。


大学を辞めようと考えたことも何度かあって
それより、
音楽そのものに嫌気が差したことも多かった。
何故音楽を続けているのか
どうしてこれからも続けようと思うのか。
そして、音楽教師という道を選択したのか

特に今年はイロイロ考えた年だった気がする。

考えて、考えて。

答えの出ないことの方が多いけど
結局は
一つの音楽っていうモノに対して
【考える】っていうコト自体が
私にとって必要な作業だったのかもしれないなぁ。


まだ卒業試験も残っているし、
私の音大生活の締めくくりは今月!

気合を入れつつ、
頑張ります☆

 
No.2


声楽発表会
Date:2002/12/04(Wed)    

音大生活最後(になるはず)の声楽発表会。

先月の日記にも書いたけれど
普通、発表会の幹事は3年生なのに
なぜがうちの門下は4年が幹事・・・。
会計やらプログラム作成やら雑務まで4年が担当して
発表会を仕切らなきゃいけない。


ただでさえこの時期忙しいというのに…(苦笑)

私の担当はプログラムや
OGに出す案内状の作成だったからまだいいけど
声楽科の4年は先生との板ばさみで
胃炎になっちゃって大変だったらしい。
カワイソウニ…


本番は18時からだったけど
リハの仕切りも4年のため、15時には会場入り。
ピアノの時と違って集中できなかったなぁ。

歌も・・・満足いく出来ではなかったし。

最後ということで両親が聴きにきてくれたのに
ちょっと申し訳ない結果でありました。

でも、4年全員で記念撮影とかしちゃったりして。
私にしては珍しく写ってみたり☆
全員ドレスだから華やかなのは確か(笑)

いい思い出になりました。

 
No.1