あの人は今!

エンジェルその2

びじゅある〜

何でこの頃の写真ってモノクロのしか無いの?

 

フランク・ディミノ インタビュー 1999年7月31日


Q:75年から79年のサウンドに相対して、バンドの音の「開発」みたいな部分についてはどうでしょう?
A:今自分たちの音を進化させてる最中なんだ。でも、ベースとなっていたサウンドに戻りつつあるね。ちょうどキーボード風味があんまり入っていないようなね。もっと肉体的な音だよ。後期のアルバムに入ってたような壮大なオルガンサウンド、っていうのとは反対だね。そういうのを使うともっと環境音楽的になるけど。

Q:個人的な変化も含めて、そういった音の「進化」があるんだとすれば、エンジェルの名前を使うっていうのはどうなんでしょう?
A:フェリックスと2曲、5〜6曲がパンキーと。全部で9曲入ってる。彼らが参加する前、実際エンジエルで行くか、ソロプロジェクトみたいな感じで行こうか随分迷ったんだ。でもバリーと僕は、ずっと離れなかったし、新しい時代に名前を持って行こうと決めたんだ。

Q:パンキーとフェリックスが参加してない曲には誰が参加してるんでしょう?
A:ギターには、リチャード・マルケロ、彼は70年代、DCで演ってた頃からの知り合いさ。ベースはレオ、ってヤツで、彼は、サンタナやジノ・ヴァネッリでプレイしてたんだ。彼とも結構長い知り合いなんだ。

Q:僕達の名前も新しいCDのリストに載りますかね?
A:もちろんさ。絶対だよ。

Q:やあマット、フランクにどうして「サイクルV」をやったのか聞いてみてくれませんか?
A:ジョルジオ(注:ジョルジオ・モロダー。初めソロ・シンガーとして、のちにプロデューサーとして活動。ほとんど無名であったドナ・サマーを一躍スターにしたてあげたのも彼。また、L.A.オリンピックの公式テーマ曲も提供) は、それをやるように僕に頼んだのさ。彼とはいろんなスタジオワークをいっしょにやってMetroPolisJacket.jpg (29938 バイト)きた。僕はスパークスのLPでバックボーカルをやってた。ジョルジオは映画「メトロポリス」(注:1925年に、製作されたその当時の特撮技術を駆使した21世紀を舞台にしたSFサイレントムービー。ジョージ・ルーカス、スティーブン・スピルバーグを始めとする多くの映画監督に大きな影響を与えている。84年にジョルジオ・モロダーの総合プロデュースでリメイクされた。)のサウンドトラックのリメイクを5、6曲依頼されてたな。僕たちはそのプロジェクトに関わってたキース・フォージーといっしょに仕事をしてたんだ。僕たちはLAのジョルジオのところに行った。ジョルジオがやってる「フラッシュダンス」(注:83年の大ヒット映画)のサウンドトラック用の家までこの曲を誰かが持っていったんだ。それが、「セデュース・ミー・トゥナイト」さ。彼らが使いたかったその可笑しいパートは、ストーンズに「ブラウン・シュガー」をやらせたかったらしいんだけど、ストーンズの要求したギャラが高額でね。誰も「フラッシュダンス」がそんなビッグヒットになるなんて思いもしなかったから、「ブラウンシュガー」みたいな高いヤツは使おうとは思わなかったのさ。で、「セデュース・・・」に行き着いたというわけ。それでジョルジオは部屋

(フレディーマキューリーの「LOVE KILLS」が一番よく流れてましたね)

に来てこう言ったんだ「フランク、私が昔この曲をキミと演奏したことがあるのを覚えているかい?」僕はええ、と応えた。彼は「それをこのサウンドトラックで歌いたくないか?」と聞くので僕はもちろん歌いたい、と答え、いつ?と聞いた。「今すぐさ」Flashdance.jpg (6810 バイト)
で、僕はキースと午後中ふらふらしてた。METROPOLISプロジェクトの上で歩き回ったり、ちょっと酒を飲んでみたりね。よし、OKだ。それで僕たちはすぐスタジオに入り、2、3テイクを取った。

Q:「サイクルV」というのはどこから来た名前ですか?
A:ジョルジオがどっかから持ってきたんじゃないかな。「サイクルV(ファイブと読む)」なんてドッグフードかなんかの名前みたいだよな。

Q:僕は南アフリカでのエンジェルの大ファンなんだけど、エンジェルのアルバムCD全部追っかけるのはすごく大変だったんです。何枚かはもう絶版だったし。マット、フランクに聞いてくださいよ、エンジェルのアルバムを再リリースするプランがあるかどうか、って(そうなったら再マスターだろうか?)。例え日本向けだけだとしてもね。エンジェルのCDコレクターとして

(個人的には「マニアック」が一番好きな曲ですね)

はそれがすごいフラストレーションなんです。


A:そうだね、新しいアルバムがリリースされた後になるだろうけど、アルバム全部が少なくとも日本とアメリカでは再リリースされると思うよ。でも、それは僕達がどうこうできるもんでもないしね。オリジナルのレーベルがまだそのアルバムの権利を持っているんだ。

Q:それから、何ヶ月か前に、BBSのCoallierからのメッセージがあって、70年代のコンサートフィルム、それと最近の「イン・ザ・ビギニング」のスタジオセッションのフィルムはどうかって。僕もこのビデオが出るかどうか知りたいんですけど。
A:うん、スタジオでもカメラは回してるよ。そうだね、可能性は高いんじゃないかな。

Q:個人的には、初期のアルバムの美しさってのは、そのストーリー性で、リスナーにイメージを持たせるところにあると思うんです。で、質問だけど、そのアイデアの元ってのはどこから持ってくるんでしょう。例えば「タワー」とか「ロングタイム」(リアルプレイヤーで聴けます)のような曲の意識的な試みってのはすごくビビッドだし、ディテールに凝ってますよね?
A:その通りさ。そういった曲は、このバンドがその全ての大元さ。僕たちはそういった曲をもっと作りたかったよ。線に沿って物事が流れ落ちるようなもんさ。どんなバンドでも反対の見方ってのはある。僕たちはかなりそういった曲のスタイルからだんだん離れていってしまったのさ。でも、今僕たちはまた再びそういったところにフォーカスを当てているところだから、そんな感じの曲をもっと書くよ。

Q:バンドの道筋っていうかマーケティングの方向は誰が決めてるんですか?マネージメントをする誰か?それともバンド自身で?
A:僕達全員でさ。

Q:以前に作ってしまったイヤなイメージを思い描きながらスタートしたのでしょうか?A:いや、僕らがやってきたこと、それに、僕たちのビジョンがそれにフィットしたってことは、その時点ではバンドのためだったんだ。音楽は常にまず僕たちと共にあったけど、イメージは僕たちが一体誰なのか、そして僕たちがバンドと共にどこへ行きたいのか、っていうことの延長に過ぎないのさ。最終的には、僕たちはその最後のツアーでの生っぽものをやりたいと感じてた。ただ、バンドと音楽、それだけさ。僕たちは幾分その最後のツアーでどっちの方向へ行くのかってのがよくわかってなかった。コスチュームに関しての感情と矛盾してたんだ。


フランク・ディミノへのインタビューその3