はじめに No.3
平成26年7月29日
今月、67歳になった。
現在、何をして日々過ごしているかと聞かれると。
・ ここ霧ヶ原での野菜作り
・ 大学で聴講生
・ パソコン教室
・ NPOでIT担当
・ 孫の保育園送迎
ということになる。
勝手にやめられないのは”孫の保育園送迎”だが、絶対に”ダメ”かというと、
そうでもない。
やめたら、誰かに迷惑をかけるのは ”パソコン教室”、”NPOIT担当”かなと
思うのだが、これも相手が決めることで、困る人も困らない人もいるはずだ。
必要とされることは、”張り”でもあるが、責任を伴う。
責任というものは、時々”負担”にもなる。
”張り”とはなんだろう。
誰かの役に立っていると思えること、感じることかなぁ。
ただし、相手はそう思っているとは限らない。
幼い子供を育てているとき、子育てに”役立っている”と思うが、子供には”感謝”
とうい概念がない時期があるはずだが、成長していく姿をみると””張り”はある。
子供は後には”感謝”することもあるだろうが、”役立っている”ことと”感謝”は
必ずしも同期しない。
なんで、こんなことを書くのか、ふと我に返ってみると、”どうしても、やらなければ
ならない”事が無いということに気づく。
ただ、私の年金は、あと数年は必要だろうから、生きている必要はあるとは思う。
私は”何かを見失っている”のか、それとも”真理が見えてきた”のか。
どうにも、”ブルー”なことを書いてしまって、やめようかとも思ったが、もう少し時間
過ぎた後で読み返したら、なにを感じるのかなぁと思うので、このままにしておく。
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