このお話は、G.B.シャラーの「ラスト・パンダ」をお読みになっていると、一層面白くご覧頂けます。
ここは神奈川国の川崎省北部に位置する、山田平である。
(と、言いつつ、上の写真、実は東武ワールド・スクエア)
山田平の調査基地。入口から顔を覗かせているのは香織隊員。
序
梅林に沿ってのぼる坂は、夏のけだるい暑さに包まれたアスファルトの上を、尾根に向かってつづいていた。尾根の上では梅林も雑木林にとって替わり、周囲には灰色の団地が真っ青な空に起立している。
「ほら、あそこが山田さんちですよ」案内してくれた近所のおばさんが言った。山田家の敷地内に入ると、通路は奥の庭へと続いていた。花壇は伐っても掘っても悪夢のように再び花壇の縁にその姿をにょきにょきと現す、無数の笹に囲まれていた。これなら庭でパンダを飼えそうである。
今回我々パンダ調査隊はこの山田平に棲息するパンダを調査するため、庭の中に調査基地を構えることとなった。
木登りをするルゥルゥ
1.パンダ狩りの歴史
わたしは長いあいだ、フィアット・パンダに魅せられてきた。残念ながらフィアット・パンダは動物ではなく、イタリア産の小型車、自動車である。
まだ、結婚したばかりの頃、高崎の実家へ行く途中、環状八号より関越道練馬インターへ向かう谷原の交差点角に、JAXという輸入車の店があり、店頭にパンダが並べられていた。それを見る度、「免許があったらあんな車に乗りたい」と思っていたものだった。ある年の春、主人の雅弘隊員が転勤となり、勤務先から高崎が近かったため、私達は2年ほど高崎の実家に身を寄せることになった。その際、交通の便の悪さから、私は遂に免許を取る必要に迫られることとなった。フィアット・パンダのことは暫く忘れていたが、教習も仮免の頃になると再び思い出され、どうしてもパンダが欲しくなった。
私は「壊れやすい外車はやめるべき」という周囲の反対を押し切り、遂に念願のフィアット・パンダのオーナーとなった。そして、パンダ・オーナーになると今度は愛車のマスコットにパンダのぬいぐるみが欲しくなった。しかし、パンダのぬいぐるみはなかなか見つからなかった。既にパンダ・ブームも去って久しく、百貨店にもおもちゃ屋にもパンダのぬいぐるみはなかなか姿を見せてはくれなかった。私が最初のパンダのぬいぐるみを手に入れたのは、川崎に戻ってからであった。
ようやく見つけたそれは、小さなパペットであったが、ぬいぐるみには違いなかった。暫くのあいだ、私は車のリアにその小さなパンダを乗せて走ることで満足していた。そして、やがて川崎方面にも進出してきた大型トーイストアーで、やはり小さなパンダであったが、オオイケ社の「上海パンダ」を見つけて捕獲することに成功した。
後にこのパンダは「陽陽(ヤンヤン)」と名付けられたが、この時はまだ「フィアットくん」と呼ばれ、時折私と一緒にドライブを楽しんだりしていた。その後、私は妊娠した。結婚して10年来待ち続けていた待望の子供だった。そして初めて童心社の「パンダのルゥルゥ」に出会ったのはそんな時であった。大きくなり始めたお腹を抱え、デパートでベビー用品を選んでいたとき、おもちゃ売場のぬいぐるみコーナーの隅にひっそりと座っていたのだ。背中をまるめ、笹をはんでいるかのような後ろ姿。毛並みは真っ白でなく少し黄色がかっているところが、本当のパンダらしくていいと思った。尻尾は黒かった。ルゥルゥはおもちゃ業界では珍しくない突然変異種だったのである。当時はパンダの尻尾が白いのか黒いのか私はまだ知らなかった。私達は生まれて来る子供の友達にしたい想いで、ルゥルゥを捕獲した。
Lサイズの大きなルゥルゥは、妊娠中の私のクッションになるなどして、随分私を助けてくれた。しかし、ルゥルゥはこの後、生まれてくる当の飼い主によって苦しめられることとなるのであった・・・。
調査基地の小屋に入り込み窓から顔を出すルゥルゥ(左)
捕獲され香織隊員に懲らしめられるルゥルゥ(右)2.ルゥルゥの悲劇
何ヶ月も前に、ルゥルゥは山田平を見渡す二階の部屋を自分の行動域に選んだ。そしてたまに私の寝室に連れて行かれる以外は、隔絶したその地域を出ないで暮らしていた。平和が乱されるのは、たまに猫達が入ってくるときくらいのものである。それが、1997年10月、香織隊員が生まれて変わった。育児の施設がつくられたのは、ルゥルゥの行動域のなかだった。赤ん坊の声がよく聞かれるようになった。
香織隊員は、最初のうちはパイル地でできた小さなパンダのガラガラを研究することで満足しているようだった。しかし、よちよちと歩くようになると、様々な他の物に興味を持つようになりはじめた。
香織隊員は、子供部屋と私達が呼んでいる、独自の研究施設を持っていた。彼女の研究施設に対して設備投資したのは、我々育児プロジェクト・チームであった。我々は施設に様々な備品や研究材料を提供したが、そのほとんどはまともな使われ方をしていなかった。幼稚で乱暴な香織隊員はすぐに備品を壊したり舐めたりしてしまうのであった。彼女の横行がもっともひどかったのは1歳半から2歳にかけてで、ある時など、子猫のぬいぐるみを振り回し、たたきつけ、子猫の腹の縫い目が裂けてしまった。裂けた腹から白い綿がはみ出し、私は緊急に子猫に対して外科手術を施さねばならなかった。間もなくルゥルゥは香織隊員によって捕獲され、研究施設へ送り込まれてしまった。ルゥルゥが何か悪いことをしたわけでもないのに、何故このような悲惨な運命に翻弄されねばならないのか。
ルゥルゥは何度も香織隊員に連れ出され、耳や尻尾をつかまれては引きずり回された。ときにはレスリングの相手にされ、馬乗りにされるなどして、上からぎゅうぎゅうと執拗に懲らしめられた。
私は「かわいそうでしょ、おもちゃをもっと大事にしなさい」と何度か提案したが、聞き入れてはもらえなかった。まだ赤ん坊同然の香織隊員には、私の提案など理解できないのも仕方の無いことだった。
私はルゥルゥが可哀想になった。ルゥルゥは高額で出来のよいぬいぐるみであることに加えて、何カ月にも及ぶ妊娠期間を経るうちに私にとって特別なパンダとなっていたからである。
私は香織隊員の研究施設に対して、ルゥルゥを解放するよう、強く要請した。しかし私の要請はあえなく却下された。ルゥルゥの解放には何らかの交換条件が必要とされた。私はもう少し安く、想い入れのないパンダを提供することで、問題の解決を見ようと試みた。果たしてこの要求は受け入れられ、ルゥルゥはようやく解放された。しかし、ルゥルゥは元の自分の行動域には戻らなかった。再度捕獲される危険を避け、一階の私の寝室に落ち着くことにしたのである。