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福チャンの回想 コンピューターとインターネット(ページ2)

回りにはコンピューターの扱いを手助けしてくれる知り合いは誰も得られない訳ですからそれはそれは暗中模索のパソコンライフの始まりです.頼りにするのは購入先の担当の従業員と時折掛けるミネアポリスへの国際電話でのやりとり,しかしはじめて耳にするコンピューター用語の意味もわからず画面の向こうにいる頭の切れる目に見えないスゴーイ相手に立ち向かっているような気分でした.
問題なく扱えるプログラムはゲームとテレビの起動だけ..なんとも情けない..


肝心のWatchtower CD-Romとマシンの相性も良くなく インストールは上手く行かず何が何かさっぱり分からないのに画面に現れるさまざまなメッセージそれも今思えば警告のメッセージを意味も分からないままに「はい」「いいえ」のボタンを押していました.なんともおそろしい!無茶,無謀としか言いようがない...
やがて待っていたのはコンピューターシステムのストップ...当然でしょう...
真っ黒になった画面ではカーソルがひとつピコピコと動いているだけです...
あーあー

例の店員に事情を話して,快く同型式のマシンを入れ替えて設置して貰えたのはよかったのですが,数週間後には再び2度目のシステムのストップ...店員も今度ばかりは快くとは行かず「あなたの性格ではもう少しレベルの高いPCを...」と別のマシンに入れ替えることになったのです.
この度は「海外インストーラ」と云うアプリケーションが付いていたため Watchtower のCD-Romのインストールはすんなり出来,やっと 念願のプログラムを読み始めることとなったのです.

勿論,会衆の集会に出席して聖書を学び必要な情報を得ることはベストなことでしょうが その当時の 数年間は わけがあって皆んなと集会で共に聖書の研究ができない状態(除名されたわけではない)にあって聖書の情報を渇望しながらも,それが出来ない状況にあり このコンピューターとの出会いは私にとって大転機になったと云えるでしょう.


目の前に展開される各方面からの聖書の情報と知識に心をわくわくさせコンピューターの前から離れ難い思いでした.表示される数々の聖句,その説明や解説,仲間たちの活動や経験談などを自由に引きだす事ができるようになると,永年のあいだ元気に励んでいた頃の あの楽しい充実した自分の体験や又問題に果敢に立ち向かっていた頃のあの精神状態に高揚されるおもいだったのです.
例の ほんの一握りの「狭量な」グループと接触したくない思いから集会に出席していなかった事がほんとうに悔やまれるようになり自らの霊性(信仰)が癒されて回復するのを感じました.


ちなみに このWatchtower Library は当時英語ヴァージョンだけで曲がりなりにもそれまでの数十年の英語学習の積み重ねが本当に報われたようでした.書いてある内容が理解できている自分に幸福感を感じました.今時信じられないことですが例の「狭量な」のグループの「指導者」などはあからさまに 私の英語学習に圧力をかけていたのです. これは日本人によく有り勝ちな 他人の能力や努力の結果をうらやむ気持ちから 足を引っ張る 一種のやっかみに類する行為でしょう.

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