今月の活動は予定を変更して道の補修になった。関東地方を直撃した台風のためだ。久しぶりにYMP本来の活動ができ、面白かった。また、参加者の約半数が他団体の方であったことも印象的だった。
9月15日、私は目が覚めたと同時に枕もとの携帯電話を見た。デジタル時計は10時半を指している。通常の13時集合なら間に合う時間だが、メーリングリストでは「買い出し班は11時集合」となっていたはず。「11時に行く」とは言ってなかったが、シラっと13時に現れるのもどうかと思い、マイマイに電話した。第一声で「寝坊した」と正直に告げる。もちろんその時の私に、マイマイが前日徹夜していたことを知るよしは無い。
武蔵五日市駅に着いたのは12時30分の少し前だった。次のバスは1時15分とある。40分そこそこならば、迎えに来てもらってもコテージにつく時間は変わらないだろう。一応連絡をとったが、迎えはいらないと言った。
ところが、オチはしっかり待っていた。この日、9月15日はただの土曜日ではなく、勤労感謝の日だったのだ。もちろんダイヤも休日ダイヤだ。1時台にバスは無く、次は2時過ぎだった。私はまた連絡を入れ、さらに30分ほど待ったのだった。
離れに到着し、すぐに着替えて遊学の森に向かった。みんなはすでに作業を始めているはずだ。事務所の電話から(馬場では携帯が使用不能になるので)連絡をとり、マイマイの班に合流することになった。つり橋から秋川を見て驚いた。明らかに増水しているし、水が濁っている。通常川原である所がほとんどない状態だ。しかし、台風の影響を肌で感じるのはその後だった。
つり橋を渡りきったところに岡田さんやたっちゃんの班が作業をしていた。その現場は見るも無残な光景だった。本来そこは沢が流れていて、その上に木の橋が数本ある所だ。沢はいつもどおりだが、そこらじゅうに間伐材が転がっていた。おそらく沢が氾濫し、材を運んできたのだろう。もちろん木の橋も元の位置にはない。あまりに変わり果てていてその先の道が分からなかったほどだ。
遊学の森入口に着くと、そこの作業はほぼ終わっていた。どうやらここも橋が流されていたようだ。ついた時点では橋は元通りになっていたが、橋の周りの道がぬかるんでいるので、石を敷き詰める。こうすることで、「今は石が剥き出しになっているが、そのうち土がかぶさる」と田中さんは言う。同じように沢の音小路のぬかるんでいる場所に石を敷き詰める作業を繰り返した。単調な作業の割には腰にくる。最後に、水場付近の橋を元の位置に戻し、その日の作業を終了した。
今回のYMP以外の参加者が同一団体の方々だということは、離れに帰って知った。皆さんは日本財団にお勤めとのこと。夕食の準備はYMPの女性陣がいないこともあって、日本財団の女性二人に任せっきりになった。
食事が終わると交流会といういつもの流れも、今回はやや違った。女性二人に食事準備を任せ、早々と飲み始めてしまったのだ。典型的な日本人男性の悪い例といえる。もちろん感謝の言葉は忘れなかったが、「台所が狭いから」という大義名分に乗っかってしまった形だ。他団体の人数の方が多い事に加え、今回は学生が(小学生がいたけれど)いなかった。あらためて、YMPの変遷ぶりを痛感した。
次の日はカエデの横道の修復をした。がけになっている部分が何か所かあるが、どこも上から流れてきた土砂で道が狭くなっていたのだ。私にとって久しぶりの道作りだったので、少々はしゃいでしまった。二日目は田中さんが用事で来れなかったため、チェーンソーが使えなかった。チェーンソーを使わないと修復不可能な場所がまだまだある。台風のせい(おかげ?)で今後も道作りが続きそうだ。
(文/矢口 竜太郎)