2002年1月12日〜14日
私はYMPに参加2年目、40代後半の塚本です。
1日目、私の小2の娘「小百合」と共にお昼から参加。作業は炭焼きです。皆さんが炭焼きに働いている横で、「私は以前より気になっていた、YMPの片刃ナタの刃こぼれを直したい」と暁央君に申し出て許可をもらいました。夕方までその仕事にずっとかかっていたので、その間娘のことなんか、ほったらかしでした。しかしそこはYMPのこと。小百合は早速優しそうなお姉さんを見つけて、べったりと付き添っていました。侑ちゃんごめんね、預けっぱなしで。あっ、その他のお姉さんがたは優しくないという意味ではありませんよ。
夕方になって、私の友人、村田さんが奥さんと小3の娘「万里子」ちゃんを連れて登場。村田さんと万里子ちゃんは3回目のYMP。真理子ちゃんは前夜うれしくて眠れなかったそうです。その様子を見てお母さんは「私も行く」と言い出しました。
暁央君から「家族参加はYMP初だ」と言われたことを、村田さんはとても光栄に思っているそうですよ。
夕食後は炭焼き指導をしてくれた草間さんの「木酢液の効果」というお話がありました。
懇親会が始まり、子供も寝たので。私は外の焚き火に行って一杯。やりたかったんだー、こういうの。大沢さん、おいしい干物をご馳走様でした。
2日目の朝、炭焼きが予定より伸びて、朝4時までかかったことを知る。最後まで作業をされた皆さんご苦労様。私はぐっすり寝ていました。窯を開けるのがお昼に伸びたので、空いた午前中を私は昨日の続きの作業に没頭していました。その頃、コテージの中で何が起こっていたのかも知らずに。(ここからは又聞き)その頃コテージの2階では、マイマイを指令塔に万里子ちゃんと小百合は男をめがけて格闘の嵐。ついに男は全員2階に上げられて、二人の攻撃を受けたそうです。それ以来、子供二人は男全員と、とても仲良くなりました。
午後はいよいよ道作り作業へ出発。50分歩いてやっと現場に到着、しかし今回の現場は遠い!
来月のイベントに備えて、急ピッチ作業で道を伸ばしたいとのこと。私も張り切ってしまうが29人の人が4重になって、上下作業になっている。あまりに危険なので、途中、危険に敏感なマイマイに笛を渡し、仕事はしないで落石などの監視をするように頼む。午後3時過ぎ終了、新道は20メートル、補修整備は50メートルほどできた。
2日目の夜は夕食後、砂漠緑化団体 地球緑化クラブの原さんに「砂漠の緑化について」を聞く。
この夜も焚き火のところに行き一杯。7〜8人でいろんな話ができました。冬の星空と、パチパチと鳴く焚き火の明かりは最高!子供達が寝る前に「あーあ、楽しかったのは明日でおしまいか」とつぶやいていた。
3日目、作業は昨日の続き。人数は16人に減ったが、まだ上下作業が続く、危険が一杯な作業現場。皆とちょっぴり息が合ってきた頃に昼食。そして、私達親子と村田さん家族は下山することにしました。なにしろ子供は明日学校があるもので。皆さんごめんなさい。
こんなわけで、楽しい2泊3日の森林(やま)作業は終わりました。私と村田さん家族が帰る車中で。若い人達の目が綺麗だったこと、年を気にせず若者と同じ作業を楽しめること、一つの森林(やま)をずっと守り続けていくこと、などを話しながら檜原村を後にしました。
追伸、万里子ちゃんは翌日、先生とクラスの友達に炭を配りました。小百合は自分がつけたあだ名を、お母さんに教えていました、「アキオプーサン」「マイマイマイマイマイ」「折り紙名人」などなど。