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■ 活動内容
JICAフィリピン研修員受け入れと大掃除
■ 所感
4月2日
家を出るのが遅れてしまい、武蔵五日市駅には9時10分ぐらいについた。当然バスはないので、石山さんにごめんなさいの電話をかけ、タクシーにのる。
私がコテージに着いた時にはすでにみんな外にいて、作業に行く準備ができているようだった。石山さんとフィリピンからの研修員らしき方々、のみ。<他の人はいないのか?参加者少ないって書いていたけど俺一人か?どうすんだよ?>とおろおろしながら荷物を置きにコテージへ。中に田辺さんを発見してほっとする。
それから作業の準備をして自己紹介をするが、名前がぜんぜん覚えられなかった。研修員の方々は、私がイメージしていた姿と違っていて、栄養が行き届いている感じだった。
最初の作業は研修員の方々と道の整備をすることになった。会う前は試しに英語話したいなと思っていたけれど、なんだか話す気になれなかった。
やっとお昼になって、お昼ごはん持参とは考えていなかった私は田辺さんからおにぎりをひとつ分けてもらい、石山さんからパンをもらう。感謝感謝。昼食の間、通訳の方から話を聞いたり、田辺さんから話を聞いたりして、この研修員の人達は官僚なんだと知った。フィリピンでは月6,000円でメイドが雇えるらしい。フィリピンに住んでいる日本人はみんな運転手付きだそうで、フィリピンに来ればあなたたちもそういう生活ができると言っていた。彼らもメイドを雇っているらしい。
そういえば一ヶ月くらい前に読んだ本にフィリピンのことが書いてあったかも知れないと、これを書いていて思い出したので、本をひっぱりだして読み直してみると、フィリピンでは100万を超える家族が焼畑をしていて、焼畑が森林破壊の最大の原因となっており、二番目の原因は伐採で、日本が大きく関わってきたらしい。(「地球環境報告」石弘之著)。森林が激減したために、災害大国になってしまったとも書かれていた。フィリピンに行って見たくなった。
昼食が終わり、研修員の方々はこれで檜原村での滞在は終わりらしく、お別れすることになった。私と田辺さんは作業のために遊学の森へ。道の補修に使う材を整理する。途中紫陽花の群生があることを知った。YMPの活動で植えたらしい。すごい。一面紫陽花。花が咲くころに是非訪れたいと思った。そして片栗。ちらほらかわいく咲いている。カメラを持ってきていないことを今回も後悔する。田辺さんがおいしそうに葉っぱを食べるので私も一枚つまんでみる。<甘い!おいしい!>。片栗の花は咲くまでに7、8年かかるそうだ。しかも数が減っている。<贅沢なことをしてしまったかな>。片栗の花言葉は「初恋」。素敵。
山に来ると木々が生きていることをしっかり感じることができる。木々も私たちと同じ時間を生きていると感じる。人はもっと違った生き方ができるのではないかという思いにとらわれる。ほんの少しだけれども世界に触っている感じがする。そういう気持ちになれるからというのが、私がここに来る理由のひとつ。
そんなふうにのんびり登って材を集める場所に着く。もともと集めてあった材が乾くように、横木を下に渡して空間を作る。しばらくして研修員の皆さんを見送った石山さんが合流。<ご苦労さまです>。3人で材を移動する作業を始める。移動する道のりが遠く、材は重い。<あー肩いてー。田辺さん軽いって言ってたけど全然重いし、湿ってるじゃん。これすごい筋トレだよ。あ。右肩ばっかりだと体おかしくなるから左も使わなきゃ。参加キャンセルしなくてよかったわ。毎週やりたいね。少ない人数ものんびりしてて、濃くていいかな>と思いつつ作業に励み、終了。かなり筋力アップの予感。5時前にコテージへ帰り、道具のお手入れ。私は相変わらず鉈が研げているんだか研げていないんだかよくわからないが、研げたことにしておく。
続いて夕食を(石山さんが)作っていると伊藤さんが現れる。夕食はカレー。YMPの活動に参加すると、普段の3倍くらい食べる。こんにゃくがおいしい。今度実家に買って帰ろう。
夕食を食べ終わってのんびりしていると、プリンの差し入れと共に惣次さんが現れる。私は地位のある人や人望のある人に対して気後れするたちで、惣次さんに対してもうまく近づけない。なのに伊藤さんは帰り際に「彼は真瀬くんっていうんですけれども、農業やろうか迷っているらしいので決断するように言ってやってください」とか何とか言い残し、その場を去ってしまい、私はおろおろしてしまった。<農業の話したくないな。まだはっきりしていないし。農業やっていけるのかどうかも自信がない。作りたい作物も特にないしな。ただ、やるんだったら専業でやりたい。自分の子供ができたとしたら、自分が育ってきたのと同じような環境で育てたいと思っているだけで。豊かな作物の恵みに囲まれて育てたいんだよね。土に汚れる生活がしてみたいな。でも、実家の周りも変わってきてしまってるし、結婚の予定なんかも全然ないしね。サラリーマンすらまともに勤まらない俺には、農業だってつらいかもしれないな>と、惣次さんがこんな私に話をしてくれるのを聞きながら思っていた。
しばらくして惣次さんも去り、また三人になった。私はかなり眠かったので先に寝てしまった。
4月3日
コテージの清掃。朝、おにぎり持参で篭島さんが助っ人に現れる。掃除をはじめてしばらくして、羽鳥さんに会う。今日は浜仲間の会の活動日らしい。一回しか会っていないが顔を覚えてくれていた。でも、羽鳥さんにも気後れしてしまう。もったいないなーと思う。
私は外側の窓の掃除を主にした。自分の部屋も掃除せねばと考えながら掃除に励む。しかし、人数が少ないためか、フォレストまで終わらずに退散することになった。ちょうど帰るころに雨が降りはじめ、ご好意に甘えて五日市駅まで惣次さんの奥さんに車で送ってもらうことに。感謝感謝。別れ際に惣次さんは「またゆっくり話そうな」といってくれた。
川崎に帰ると、雨は上がっていた。今回も行ってよかった。筋力アップしたし。