| 以下は、林光彦氏の『心と光のプレリュード―巨(おお)いなる意識革命
』(たま出版、1994年)の中に記された、林氏本人の体験である。その描写は生き生きとして躍動にあふれ、読むものを感動させる力をそなえている。
わたしの神秘体験 ところで、神秘体験というか、生命のふしぎな至高体験とでもいうべき、れを感じたのは、私が十六歳の頃、座禅を体験したあとのことだった。
私はなんとなく予感していたのである。 昨日までの、森の中の古い仏閣の禅堂で坐っていた自分とは、まるで違ったその日のまぶしいような光の乱舞。
城が島へ向う、石ころの多い田舎道をとびはねるように走るオンボロバス。ところが乗っている私は、それをユリ籠に揺られているような喜びで、ニコニコ笑っているのだ。車に乗っている人たちの顔が、なんとも壊しく感じられる。バスからおりて、小さい舟に揺られて、緑色のビロードのような海をわたってゆく。
ところが、この水の色のなつかしいような想いはどうしたことか。この波の上に横たわり、一緒に日の光の中でたゆたっていたいような、そんな思いだ。 百合と太陽の対話 やがて、貝殻の山とつまれた海岸ぞいの家をみながら、有名な「白秋の碑」の立つ岩へ向かう。
茶店で、お茶をもらって、私は老婆と話した。岩の向うに、子供たちの泳いでいるのがみえる。 「これ以上は、道がありませんから、行かれません。太平洋側は、誰も行ったことはありません。みな、ここから戻って、反対側にある燈台をみて帰ることになっています」
老婆は、たしかにそういった。 私は、「太平洋側は誰も行ったことがない」という言葉に魅かれた。 私の足は、もう、そちらへ向って歩み出していた。
しばらく岩から岩をつたい、遠くにきこえていた子供たちの声もきこえなくなっているのを確めながら、やがて私は、大きく屏風のようにはだかっている崖を登りはじめていた。
その崖を登りきった瞬間、私は、さえぎるものの何一つない天空をそこに見出した。 眩しいような陽光の乱舞する世界。 眼下にはるかにひろがる果てしない太平洋。水平線に屹立する積乱雲。ひかる雲の峰。その壮大な大自然のなかに呑みこまれるように、私はそこに立ちつくし、恍惚として見とれていた。
ふかい感動に酔うように立ちつくしていた私は、ハッとわれに返ったように、自分に気がついた。さきほどと同じ姿勢で立っている自分が、そこにいた。どれくらいの時間がたったかは分からなかった。
ふと後ろをふりかえった私は、そこに風にそよぐ野の百合の花を見出した。 その百合の花は、巨大な大自然の中で、私に生きもののように語りかけている。
そばにかけよった私は、いとおしい思いにつきあげられて、百合の花の、その朱色の花びらに頬をすりよせた。 その瞬間、空をみあげた私は、突然、別の世界に招かれてしまった。岩壁にうちよせる大きな波濤の音も、消えてしまった。
みえる世界は、太陽の焔の色に包まれ、その中を無数のきらめく光の粒子が、私をめがけて急降下してくるのである。私は百合になったのか、むせかえるような光の験雨の中にいた。
名づけがたきものとの出違い 我にかえると、再び巨大な波の音が耳をうった。照りつける陽光のもと、私はそこに一人たたずみ、さきほどからの感動に声もなく酔っていた。
私はそこで、自分というものが消え、雄大な大自然と一体になっていた。 私は百合となって潮風にそよぎ、光となって輝き、太陽となって光をふりそそいでいるようであった。
そして、あの遠くに白く光る入道雲も、空も海もみな私と一つであった。私が空であり、海であり、雲であった。それらは別々の分れた存在ではなく、おりなす光によって結びめなく、一つに結ばれた、ゆたかな光あふれる大調和の世界であった。
これらは外での出来ごとではなく、みな私の中での出来ごとであった。 百合と太陽は互いに一ついのちであり、互いに祝福し合い、語らっていた。 大海原といい、大空といい、そして遙かにみえる草原といい、みな一つ生命に生かされた私のいのちの兄弟であった。
それらの天地を一つに光で結び合わせている、その奥なる無限なる名づけがたき聖なるものと、私はすぐそばにあり、あたたかく一つに結ばれていることをそのとき、体験したのであった。
万象悉くわが生命 この光の饗宴ともいうべき、すばらしい世界に招かれた私は、踊りあがるような歓びに全身をふるわせて、丈なす自分よりも高い草原を走りぬけて行った。
反対側の燈台のあるという、人里近くにやってきたとき、耳をつんざくようなはげしい赤子の泣き声が聞こえてきた。その声は、私の中の生命の誕生を告げるかのように思われた。
私の中には、このときの生命体験がいつも生きている。主観と客観は一つで あり、大自然の万象は悉(ことごと)くわがいのちの表現であるという感動が。
そして今、眼の前に、天地の初めを思わせるような華麗な美しい風光が展開している。 そこに、眼には見えないが、ふしぎな光を感じ、拝みたくなるような歓びをふつふっと感じるのである。
こうして日常の中にある至高体験は、私たちに「実在」する世界の光と美と善とを啓示してくれる。 『アクエリアン革命―’80年代を変革する透明の知性
』を書いたマリリン・ファーガソンは、透き通った愛と光に輝く世界が、新時代にふさわしい世界であるといい、今はその夜明けのときであるといっている。
無我になって心の眼を開くとき、私たちは、そこに新しい天と地を今も見出すことができるのである。 林光彦氏 昭和14年生まれ。幼少より書・絵画・文学などに親しみ、長じて宗教および精神世界を探求。16歳のとき「神秘体験」を罫線紙、以後、光と愛といのちに輝く世界を指向するうちに「成長の家」に触れる。
著書には上述の他に 『光がこだまする』(日本教文社)がある。 2001/3/11 追加 |