| アリさん(1)に続く掲示板での対話と、アリさんが「至高体験の諸々について」ということで語ってくださった、その他の至高体験をここに掲載します。 アリさん自身は、これらをひっくるめて「魔境」と捉えているようです。どういう名称で呼ぶかはどうであれ、こうした体験を無条件に素晴らしいものとして自己理解していない人々がいるということは、しっかりと把握しておく必要があると思いました。
アリさん 魔境というのはそこに留まってしまう意識状態のこととして捉えているんです。 至高体験は良しにつれ悪しきにつれ(後者は私のことですが)その一瞬の体験から全てを見ようとするところがあるように思うのです。
Noboru 至高体験そのものは、一瞬であれ様々な執着から解放されるという体験でもあると思います。いや、そんな感じの至高体験もあると言ったほうがいいかな。しかし、解放された一瞬の過去があまりに輝かしいために、今度はその過去に執着してしまう、それが魔境となるともいえるのではないでしょうか。
アリさん ええ、そうだとも思います。 そしてそれからも解放されることが良いんでしょうね。 Noboru
全体的な印象として、やはりアリさんの場合は、乗り越えるべき否定的な体験だったというニュアンスが強いように感じられます。
こうした印象は、間違っていますか。 アリさん そこなんですが、私もずっとそのことを考えていた時があったんです。
あの現象そのものは単に何かのエネルギーなんだと思うんですよ。 ところがそれがその時その人にとって必要な何かとくっつくと色々なことを起こしてしまう。 そういうモノかも知れないと今では思ってます。
包丁は使う人次第で凶器にもなるしうまい料理を造る道具にもなるというあれですね。 Noboru
つまり何らかのエネルギーそのものは、良くも悪くもなかった、使い方次第だった、ということですか。 そのエネルギーに執着してしまい、自分にとって一時、否定的な意味合いをもって>しまった‥‥そんな感じでしょうか。
アリさん ええ、そういうことだったんだと思います。 そのエネルギーが大きければ大きいほど執着し易くなるんではないかと思います。 Noboru
ご自身の体験が「自分が自分らしく生きるきっかけを作ってくれた‥‥ 」とありましたが、自分らしくという方向は、至高体験の方向と逆なのですか。 それとも螺旋を描きながらでも再びそこ(至高体験)に戻っていくような感覚が少しでもおありですか。
というのは、やはり私が集めてきたのはほどんどが肯定的な要素の強い至高体験だったからです。 螺旋を描きながらある意味でそこに戻っていくような意味なら、体験そのものは肯定的で後からのとらわれが問題ということになるのですが、
そういう要素はまったくないのかな、と思ったのです。 この辺は、すごくお聞きしてみたいところです。 アリさん 答えになっているかどうかは分かりませんけど、
多分、私が豊かな人生を送るためのきっかけの一つだったんだと思います。 この体験自体は普通の世間の人にとってはそんなにあることではなくある意味特殊な出来事だと思います。
でも、それが特殊な出来事だからそこに固執するというのはそれがすでに 「捕らわれた」 と言うことになるんだと思います。私にとってはやはり色々あった人生を豊かにするための現象の一つ、単なるワン・オブ・ゼムだったんですね。
Noboru それから、もう一つお聞きしたいのは、このサイトに集めた体験を読んでどんなことを感じられましたが。
やはり魔境の一種のような感じをもたれましたか。 アリさん そうですね、色々読ませて貰ってとても面白かったです。
でもそれだけで魔境を感じてしまったかどうかというと、正直読んだだけでは分かりませんね。 お会いするとその人から漏れ出てくる色々な隠れたサイン・シグナルの類を感じるかも知れませんけど・・・。
私の話したことで良くお分かりにならないところもあると思います。 そこでよろしければ過去経験した奇妙な体験の一部を簡単にいくつかお話ししたいと思います。
もちろんそれでも何故私が至高体験を単なるワン・オブ・ゼムと思えるか分かってもらえないかも知れませんが・・・。 どうでしょうか? Noboru
ぜひお聞かせください。 アリさん
至高体験の諸々について 2002/02/07(掲示板の通し番号 2019)
1 中学校2年生の時、1回目の至高体験と2回目の至高体験の間におきたことです。 女子生徒が教室に持ってきた花がとても美しく輝いて見えたことがあったのです。
それまで花を見て美しいと感じたことの無かった私は我を忘れて夢中でその鉢植えの花を眺めました。 それはこの世のモノとも思えないほどの美しさでした。 まるで命そのものの輝きをそこに見いだしたような感じでした。
ところがその状態を続けまいとする自我によって普通の感覚の世界に引き戻されてしまいました。 2 高校1年生の時のランナーズ・ハイ
少しだけ在籍した陸上部の練習中のある日、どこまでも走って行けそうになったんです。 ランニング中に急に体が軽くなり呼吸も楽になりました。 その時は非常に冷静だったように思います。
これは近年医学的説明が出来るそうです。 中国針を刺して無痛手術する映像を見たことがありますが似ているのかも知れま せんね。 3
21歳?ころの拡大意識体験 それは自室の布団の上でつらつら考え事をしているときに起こりました。 段々思考スピードが速まってきて、それこそ高速輪転機が新聞を刷るような
速さ?で次々にグルグル勝手に考えが沸き起こってきたんです。 その内、意識がスピンアウトするみたいな感じで弾き飛ばされて、気が付くと自分の意識が布団一杯に広がっているような感覚を持ったんです。そしてそれがドンドン
広がって行くんです・・・。 部屋中に広がったかと思ったとたん、こんどは部屋の外に広がって・・・。 その内ドンドン宇宙まで広がろうとしたんです。焦りました・・・。
もう宇宙に出てしまって戻ってこられないんじゃないかって。(笑) 心の中で(頭の中で?)手を伸ばして必死になって自分の意識を引っ張り戻そうと したんです。その甲斐あって意識は無事戻って元の鞘に収まりました。(笑)
トランス・パーソナル心理学のセラピーでホロトロピック・ブリージングという 過呼吸とボディーアプローチ、そして意識を喚起する大音量の音楽の組み合わせで 変性意識に入るセッションがあるのですがそれなんかでは割と多く見られる
意識状態の一つだと印象に残ってます。 立花隆もそのセッションの時、神のごとき巨大な存在に片手を掴まれたとか テレビで話していたような記憶があります。(間違いだったらごめんなさい)
ところで私はミーハーなので立花隆がそのセッションを受けたことを知り自分も 初めてなので同じところで受けたのです。(笑) 4
27歳のときの体内?幽体離脱 幽体離脱というのは一般的には意識が自分の体の外に出るモノみたいですが、 私の場合は自分の体の中でそれが起きました。自分の存在?をじっと自分の
内側から眺めると言う感じでした。 自分の内側にある意識(当たり前と言えば当たり前ですが)で非常な とまどいを覚えました。 それは余暇に卓球をしている最中に起こりました。その時は自分の体が全く
自分の意志ではコントロール出来なくてこの勝負どうなることやらとハラハラ してました。(笑) 結果は勿論勝ちました。(笑) これなんかスポーツ選手には良くあることらしいですね。
スポーツ新聞を読んでいると時たま「体が勝手に動いてホームランになった」 と言う選手の談話を目にするときがあります。 5
今から二〜三年前の「悟ったちゃん」現象 夕方、交通量の少ない高速道路を奇麗な風景をちょっと気にしながら のんびりと(笑)走っていたときに起こりました。 いきなり悟ったと感じたのです。世界の全てとつながったような、全ての
事が分かったような感じでした。ヤッター!悟った〜!ビンゴー! みたいな嬉しい感情の湧き出てきました。 でも、直ぐそれを魔境だなって思い直しました。2回の至高体験で経験済みのことですからね。
だから「あ〜あ、また悟ったちゃんが来たかぁ」って・・・。(笑) もちろん私が悟ったなんて事はなくてその後も普段通りの生活を続けているだけです。
ただあの気分の盛り上がりは良いかなって思いますね。深入りさえしなければ。 偽物でもハッピーな感じがして。(笑) これらの体験を思い出すとき、廓然無聖(かくねんむしょう)という禅の見方をするようにしてます。いや、そうしたいという希望かも知れませんが・・・。
つまりカラッと空っぽで聖なるモノも真なるモノもないと思えばそれら奇妙な体験の 罠に今後もはまらずに済むんじゃないかと・・・。 何しろそれで何年間も苦しんだ訳ですから・・・。
ひょっとしたらこれらの体験は私の自我の成長を試すモノかも知れませんね。 理由は分かりませんが・・・。(笑) 以上が私の奇妙な体験の一部なんですが、これが出来れば奇妙な体験をした本人では無く、その人の親子兄弟、友人或いは恋人などの周囲で戸惑っている人達に読んでもらえればと思います。
体験者はこんなモノを読んだって魔境にはまる時ははまるんですから。(笑) だからそれによって振り回されてしまう周りの人のお役に少しでも立てれば、と 僭越ながら思ってしまいます。
02・2・24 追加 |