| 覚醒・至高体験の事例集
あえて分類せずの場合 |
渡邊満喜子氏
| ここでは、「臨死体験事例集」でも取り上げた渡邊満喜子氏の「至高体験」を取り上げる。『聖なる癒しの歌―ヴォイスヒーリングへの道
(現代のさとり体験シリーズ) ■ その1:バリケードのかたわらで 私は、幼いころから「人間として押しつけられる不自由さ」に激しい拒否感と怒りを感 じる子供だった。この資質は、後年私がヒーラーへの道を歩みだすためのひとつの起爆力 になったのではないだろうか。私が求めていたのは、他の友人たちのように「革命」では なく、もっと根源的な「身体感覚につながるような」自由だったのではないだろうか。 一九六八年の初冬、私はその根源的な自由の感覚を解放するなかで、忘れがたいエネル ギー体験をした。友人たちが起居する大学のバリケードを抜けだして、自分が住んでいる アパートに帰る途中だった。素晴らしい夜明けだった。大学の建物の六階から、私は一緒 に徹夜した友人とすり鉢状に夜空をじりじりのぼってくる暁を見た。誰かが廊下の端のほ うで、電気コンロでみそ汁をつくっていた。 バリケードの入口は、迷路のように材木や廃材が立てかけられて、入るのも難しいが出 ていくのもけっこう一苦労だった。私はその迷路を抜けて道を歩きだしたとき、行く手に 見える丈の高い銀杏の樹が朝日のなかにくっきりと浮かびあがるように立っているのを見 た。不思議な感覚が身体のなかに入ってきた。私は、まるで銀杏は私とほとんど変わらないかたちで生きているようだ、と思った。私の身体のなかば高揚感と解放感でいっぱいだ った。いってみれば全開状態だったのである。 私は樹のかたわらを通りすぎることができなかった。私が幹に手を触れると、樹は歓びにさざめいた。金色に輝く梢から「あなたが好きだ」と聞こえたような気がした。まだ手つかずの朝の大気のなかで、銀杏の樹は強い風のような呼吸にふくらんだ。私たちは、素晴らしいエネルギーを分かちあった。 ■その2:メキシコにて この町(グァダラハラ)に友人や家族と旅行した。この町には有名な革命期の画家オロスコの壁画がある。かつては孤児院であったその建物は、内部に24の小さなパティオがある独特の構造をもっていた。 私はオロスコの絵を見てしまうと、ぼんやり窓の外をながめた。絵のある部屋は窓の外にあふれる午後のひかりにくらべると、薄い闇におおわれているような気がした。私は窓 に近づいて、ひかりにくっきり浮かびあがったパティオをながめた。小さな庭の真ん中に がっしりした樹があった。見つめていると、樹の輪郭がわずかにずれているのがわかった。 樹はゆらゆらと視界のなかで揺れた。 「この樹は樹であって、しかも樹ではない」と何かが私にささやいた。 「あの樹が樹でないことがわかれば、私もまた私ではないことがわかるだろう」 私はとっさに方向転換した乗り物のように、日常の水面に浮かびあがった。みぞおちに 恐怖感のさざ波が打ちよせていた。部屋の薄い闇の奥から、娘が小走りに駆けよってきた。 暖かいそ一の体を抱きよせると、微かに汗のにおいがした。それはいとおしい「こちら側」 の手触りだった。 ■その3:2度目のメキシコ、その大地 旅の途中で私たちは、子供のかつての学校の校長先生の家族と、テポストランにピクニ ックに行った。テポストランは首都から一時間ほどで行ける素朴で美しい谷間のプエブロ (村落)である。 いつかメキシコで見た、人類学者オスカー・ルイス原作の「サンチェスの子供たち」と いう映画があった。都市貧民である主人公のアンソニー・クインが、宝くじで当てたお金 で生まれて初めて自分の土地を買う。その土を手ですくいあげ、口にふくんで味わいながら「豊かな大地だ」とつぶくシーンがあったが、あれはたしかテポストランが舞台であっ たはずだ。 小さいが豊かで緑濃い美しい村に着くと、私は自分の身体が深い歓びにふるえるのを感 じた。校長先生の夫である著名な漫画家は、早速スケッチブックを開いて絵を描きはじめたが、かたわらの私に親しげな笑顔をみせて、
遠くの道を葬式の行列が歩いていた。野辺送りの行列は白い花で覆われたお棺を担いでいた。私はそのとき突然、自分がばらばらと大粒の涙をこぼしたことにびっくりした。 「死者は死んだわけではなく、自然に帰ったのだ」と私は思った。私はしゃがみこんで 左手で地面に触れた。澄んだ美しいふくらみのあるエネルギーが手のひらをゆっくりと渦巻き模様になでてから、私のなかに入ってきた。 「私はこの土だ、私はあの森だ、私はあの死んだ人だ」と何かがささやいた。そして私はその言葉をそのとき、自分がほんとうの意味で理解したことを知った。 ■その4:「活元」を体験する 以下は帰国後、不整脈などの症状に悩み、「野口整体」 の「活元」によって身体が開かれ、様々な不思議な体験をしていく過程である。 突然身体が開く 私は、いままでとはまったく違う「空気」のなかにいた。たとえばそれは、脱ぐまではそれと気づかなかった堅牢な鎧をはぎ取られて、肌にじかに触れてくる微細なヴァイブレ ーションの重なりのなかに裸で坐っているような感覚だった。身体全体が歓びにさざめい て、歌をうたっているようだった。 「知っている!知っている!私はこれが何であるか知っている!」と私は思った。私 は、いままで自分にはりめぐらされていた壁か扉のようなものが、いきなりストンと落下 してしまったことを知った。 私は夕闇がひろがる部屋に坐して、自分の身体感覚がどこまでもどこまでも、たとえ地の果てまでも伸びていけることに気づいた。いってみれば、私は「世界」を呼吸しているのに等しかった。私は私でありながら、この世界のなかに溶けてしまったようだった。 こうした非日常的な体験からやっとの思いで身を起こし、食事の支度や子供の世話をしていると、自分がバラバラになってしまいそうな辛い気持ちになった。 あらゆる感覚が全開状態になった
それは、私がいった言葉ではなかった。「誰かが」私の身体のなかでそのようにいったとしか思われず、私は思わずあたりを見まわした。声は私の意思とは関係なく、胸の間を ある力をもってのぼってくるのだった。そしていまや「何者か」が左手を宙にかざして、 バッハの音楽に聴きほれていた。私は「手」が音楽を聴いていることを実感した。 午後になって買い物に行こうと、私は当時暮らしていた団地の五階から階段を降りて地 面に立った。そのとき、身体が道をふいとそれると、道に沿って植えられた桜の木の下に 立った。私は足元の地面を両手で触った。 「土!土!」と私はつぶいた。 そして驚いたことに、土と私の間には何の遮断物もなかった。土は、いい換えるなら 「大地」は私そのもののように身体のなかにあった。ふるえるような感動がおそってきた。 私は鳴咽を止めることができなかった。 そのようにして、不意に私の身体は開いたのである。私は木立のかたわらを通るたびに、 みぞおちのあたりに木のエネルギーが入ってくるのを避けることができなかった。木は私に挨拶しているのだった。一本一本の木に向かって、私は挨拶をくり返した。そして木立を抜けて買い物をするころには、すっかりくたびれ果てていた。 それだけではなかった。身体は休むことなく開いていくようだった。私は自分のあらゆ る身体感覚が大きく見開いた眼を閉じることなく動かして、「世界」を感じとっているこ とを知った。私自身がピカピカに磨きあげられた球体のようだった。もはや一秒間の休息も許されないような状態がはじまっていた。 私はほとんど夜眠れなくなった。食べ物もほとんど喉を通らず、かろうじて飲み物だけが胃に納まった。緊張はどんどん高まっていくのに、身体は少しも衰えなかった。何かま ったく経験したことのない不思議なエネルギーが、私を満たしていた。 そしてこうした私の状態をかろうじて理解したのは、不思議なことに夫だった。彼は人類学の知識から、私の状態はいつか読んだ文献の「沖縄のユタに訪れるカミダーリ」とい う現象にそっくりだといった。もちろん、彼は深い困惑からそういったのである。 彼は私が日常的に陥っている特別な状態を受け入れたわけではなかったが、さりとて妻 が狂っているわけでも、お芝居をしているわけでもないことを、かたわらで理解したのにちがいない。 「なんて美しい音楽でしょう!」と叫んだ声は、やがて頻繁に胸のなかをのぼってくるようになった。私はときおり、自分の知らないことをしゃべる自分がいることに気づくよ うになった。たとえば「今日の午後、誰それから某の件で電話が入る」とか、「明日誰それが来ることになっているが、病気で来られない」とか気づく間もなく言葉になった。そ して、それはまちがいなくそのとおりになった。 しばらくそういう私を見ていた夫は、私が予言めいたことをいいだすと本気で怒るよう になった。「きみはそんなことに振りまわされていると、ほんとに気が狂うぞ」と彼はい った。そして私の理性が(彼のいうとおりだ)とささやいた。 声がのぼってくる気配がすると、私は意識的にそれを遮断するようになった。際限なく 私の意識が知らないことをおしゃべりしそうだった現象は、それきり止まった。 また、そのころ私は、電車に乗ると隣に坐った人の健康状態が手にとるようにわかった。 左手がそのことを察知するのだ。うっかりすると、するすると左手が見知らぬ人の背中に伸びて触れてエネルギーを送り込みそうになった。私は、しっかりと左手を右手で抑えて座席で緊張した。 もしかすると、この全身で感じている緊張はある日プツン!と切れてしまうものかも しれなかった。私は昼も夜も自分のこの緊張感を持続させ、日常を狂わせないことだけに いのちを削っているような気がした。とうとう、私は一心に祈るようになった。 「私の身体をもとに戻してください。私の身体を閉ざしてください」と。 私の祈りは、まるで予定されていたもののように、こうした状態の終わりをある日、運 んできた。しかし、それはより平穏な日々が訪れたということではなかった。いってみれ ば、私はそのとき「絶えることのない神秘体験」の舞台となる身体をようやく準備しおわったにすぎなかった。 ■その5:「父」が去ったあと 以下の文章は、「臨死体験事例集」の渡邊満喜子氏のケースに収録した、「自分の存在の根源である、父なる存在」との交流、および「活元」による癒しの後に起こる体験である。そちらをまだ読んでいない方はぜひお読みいただきたい。 しかし、こうした心にも身体にもある負担がかかる辛い現象は、それが終われば信じら れないような歓びと幸福感をもたらした。記憶の彼方に没しているそれらの「ネガティブ な感情」が、ほんとうの意味で「消失してしまう」ということは、私にとってはかりしれ ない希望となった。 この「体験」はまた人間として、私を急速な成長に向かわせた。私は以前よりもずっと 自分を省みることが多くなり、素直になり、謙虚になった。私は以前よりずっと他人を信頼するようになり、自分を肯定できるようになった。 いままで感じたことのない「人間というものへの深い信頼」が芽生えてきた。それは私を以前よりオープンな性格にしたし、行動的にもした。私は「世間知らずの娘としての人生の延長」を三十代後半まで引きずって生きてきたのだが、仕事や人間関係をとおして以 前とはくらべものにならない成熟に向かいつつあった。 ある日、リビングで瞑想していると、突然ひかりの羽根のようにある認識が降りてきた。 そして瞬く間に私の存在すべてを満たした。それはこう語ったのだ。 「宇宙の根源は至福であり、私たち人間、そして生きとし生けるものすべてはその分身 である」と。 私はふるえて泣いた。これほどの歓びはいまだかつて経験したことがないと思った。 渡邊満喜子氏(わたなべまきこ) 1944年、栃木県生まれ。明治大学文学部卒。 1977年から79年まで メキシコに滞在。生来の自然に感応する敏感な身体感覚が、メキ シコの大地がもつ深く大きな自然の力と共鳴するというエネルギ ー体験を起こす。 帰国後、不整脈などの症状に悩み、「野口整体」 の健康法のプロセスで、「活元」による自然発声からヴァイフレ ーションを基にする歌が生まれる。 さらに88年、メキシコ旅行の 途中で「自らを癒す歌」から「他者を癒す歌」が生まれる。 92年 から従来のフリーライターの仕事に重ねて、自然のエネルギーに 導かれた「ヴォイスピーリング」を仕事としてスタート。生命の 根源から生まれる声と歌にようて、多くの人を癒している。 〈主要著書〉 10/06/24 追加 |