◇臨死体験・気功・瞑想
| 覚醒・至高体験の事例集
スポーツ選手の場合 |
闘牛士・ベルモンテ
| 鈴木大拙はその著『禅と日本文化
(岩波新書) ☆ 翻訳者のノートの一部に曰く、 『闘牛はスポーツではない。それと比較するわけにはゆかない。闘牛は、諸君が好むと好まざるにかかわらず、認めると認めざるにかかわらず、絵画や音楽と同じく一つの芸術である。諸君はそれを芸術としてのみ判断することができる。その情感(エモーション)は精神的である。それが心の深奥にふれる点では、偉大な指揮者のもとで行われる交響管弦楽を知り、理解し、愛する人の心に比すべきものがある。』 ファン・ペルモンテは、彼が闘牛の真只中で最も精神力の強調した瞬間における自分の心理を、つぎのような言葉で述べている。 『相手の猛牛がでてくるや否や、私はそっちへ向って行った。三度目の「あしらい(ハーセ)」で観衆が起ち上ってワッと叫ぶのが聞えた。私はなにをしたのか。私は不意に、公衆も、他の闘牛士も、私自身も、そして相手の牛のことさえも忘れた。私は以前、囲地(コラール)や牧場で夜独りでしぱしぱ牛と闘ったように、闘い始めた。まるで黒板に図案を描いているような、精確さで闘った。ケーブでする私のパーセと、ムレータ(赤い布をつけた棒)でする私の働きは、その日の午後、見物にきた人々にとって、闘牛術における一種の天啓であったということだ。私は知らない。私には判断する力はない。私はこう闘うべきであると、信じた通りに闘ったに過ぎない。やっていることに信念を持つ以外になんらの考をも持たなかりた。最後の闘牛をやったときにも、私は観衆のあるなしには意識を持たずに、ただ闘うということの純粋なよろこぴに自分の身も魂も任せ切ることに、初めて成功したのだ。私は国でただ独り牛をあしらりている時、よく彼らに話しかけたものだった。その午後も私は牛と長い会話をつづけた、私のムレータがわざ(ファエーナ)の渦紋を描きつづげている間、絶えずやった。外にどうしてよいか判らなかったときは、私は牛の角の下に膝まずいて、その鼻先に自分の顔を持って行った。 「さあ、チビ公」、私はささやいた。「つかまえて御覧」 私はまた起ち上って、牛の鼻の下にムレータをひろげ、独白をつづけ、牛をはげまして突撃をつづげさせるようにした。 「こっちだ、チビ公。しっかりと進んでこい。どうもありゃしない……ソラおいでなすった。……ソラおいでなすった。……己が見えるか、チビ公。どうした? 疲れてきたのか。さあこい。己を捕えろ。卑怯になるな。己を捕えろ」
ここに一言を附け加える。 『私は絶望状態に陥った。「自分は闘牛士だなどという考をどこでえたのか。馬鹿な、自惚れにもほどがある。」と思った。「お前はピカドール(初めに槍で牛を怒らせる騎士)も使わずに一度や二度ノピリャーダスに僥倖をえたというだけのことで、なんの取柄があるのだ。」』 しかし、彼はこの絶望感から覚醒した。彼はいま、荒狂う牛の面前に立っている。彼は忽然として、これまでまったく気もつかなかったものが、その心の奥底からでてくるのに目ざめた。 このあるもの(サムシング)はしぱしぱ彼の夢にでてきた。すなわち、それは彼の無意識のなかに深く眠っていて、白昼はけっしてでてこなかったものである。いまや絶望感に押し詰められて心理的絶壁の頂に突立った彼は、心身を捨ててそこから跳び下りた。その結果、『私は陶酔状態でなにがなにやら夢中だった。「それ」には気づかずにいた。』 事実は「それ」(彼が傷いたこと)のみならず、いっさいの環境に気づかずにいたのだ。「不動智」のみが彼の案内者だった。彼は自己をまったくその案内者に任せたのだ。鎌倉時代の有名な禅匠は歌う。 弓も折れ 箭幹(やがら)なき矢を弦なき弓より射れば、そはかならず、かつて極東の人々の歴史に起ったように岩をも貫き通すであろう。 00/8/20 追加 |