◇臨死体験・気功・瞑想
1.電気とそりの合わない人々銀行に行けば必ず窓口の卓上コンピュータがおかしくなる。電気メーターに近づくだけで、そのメーターが急に速く回転しだす。スーパーマーケットに入って冷凍棚の近くを通れば、それだけでその冷凍装置が壊れてしまう。店ではたまらず彼女の出入りを禁止する。世の中には、こんなふうに電気機器とまったくそりの合わない人々が存在するらしい。 イギリスのサイエンス・ライターであり、オクスフォードで物理学を教えるマイケル・シャリスは『脱・電脳生活』(原題『ザ・エレクトリック・ショック・ブック』田中靖夫訳、工作舎)という本の中で、電気とうまく付き合えない「電気アレルギー」の人間たちの驚くべきの事例の数々を語っている。シャリスは、雑誌などで呼びかけて、電気に病的とも言えるほど過敏な反応をしめす多く人々の体験を収集した。そして、彼のいう「電気感受性人間」に該当する人々の200例にのぼるアンケートを集めた。 彼がこうした研究を始めたのは、ノーマという一人の女性に出会ったのがきっかけである。イギリスの電気のない農家で育った少女ノーマは9才とき初めてラジオに触れた。これが最初に出会った電気製品だった。彼女は、ラジオのつまみにちょっと触れたその瞬間に凄い勢いで部屋の隅へ飛ばされた。やがて成人して結婚したノーマにとって電気との深刻な戦いがはじまった。いつもというわけではなかったが、「レコード・プレイヤーに触れたときにもラジオのときと同様に部屋の反対側に飛ばされしまう。」 テレビの場合は「電気の力でエネルギーや意志が吸い取られてしまうかのように」ぐったりと気分が悪くなった。また、電球は彼女が部屋に入るたびに切れてしまった。 同じくイギリスの女性シーラは、異常に静電気を帯びてしまう体質の持主である。それ以外の点ではごく普通の主婦であるが、体に静電気をためこむ能力は通常の範囲をはるかに越えているという。帯電すると、傷つける恐れがあるためペットの犬に触れる事もできない。また、「部屋のスイッチに手を伸ばせば、指の先から5センチも閃光が走る。」さらに「アイロンをかけていると、突然青い閃光が激しく発生し、台所の壁に背中からぶつかっていったこともある。アイロンの底はすっかり吹き飛んでいた。彼女はすでにアイロン、ビデオデッキ、回転式乾燥機をそれぞれ3台壊していた。」 ノーマと同じように彼女が近くにいると電球はすぐ切れてしまうし、取りかえようすれば破裂してしまう。「地元のスーパーマーケットで冷凍棚をよく壊してしまったので、近くの店は彼女を出入り禁止にしているという。」 こうしたことのすべてが、シーラの日常生活を悲惨なものにしているのは言うまでもない。 シャリスは、ノーマやシーラと同じような電気異常の例をイギリスで60例以上研究してきたという。事実、『脱・電脳生活』のなかには、これに類する徴候を示す人々の例が数多くおさめられている。 また、こうした「電気人間」たちが、その体から光を発していたという例もいくつか報告されている。たとえば、シーラには3人の息子があったが、この三人にもシーラと同じ高帯電性が遺伝した。この親子が近づくと、電気火花が散り、閃光が走り、激しい痛みを伴うこともあったという。そして、「シーラは青く輝いているのを観察されたことがあるし、彼女自身も、電気感受性の高い息子と一緒にいたときに、自分のまわりに青く輝く光を認めたことがある。」 同じく『脱・電脳生活』によると、過去の資料でもこうした「発光人間」の話はいくつか報告されているという。たとえば6週間もの間、指先から4センチほどの閃光を、時には15秒ほどの間隔で発しつづけた女性に関する報告(1838年の『アメリカン・ジャーナル・オブ・サイエンス』)もある。1952年、カージフのプイアン・ウィリアムズという人物は手で電球を擦るだけで発光させ、周囲で見つめる人々に自分が「電気人間」であることを納得させたという。 1930年代の記録によると「ピラノの発光女」と呼ばれた人は、病床で胸のあたりが青く光ったと言われている。その強烈な光は、医師たちが写真撮影できたほどだったという。別のケースでは、「ある患者の癌原発巣が発光し、患者から数フィート離れた所でも時計の針を読み取ることができた」と、二人の医師によって報告されている。 00/3/3追加 |
2.気功家が起こす電磁気的な現象以上、電気と人体にかかわるいくつかの不思議な話を紹介した。ここに紹介した人々の多くは自分の意志に反して突発的にこうした現象に見舞われるのであり、何か特別な訓練の結果こうなったわけではない。ところが、何かしら特別な訓練をかさねた「気功家」と呼ばれる人々に中にも、これらとよく似た現象を引き起こす人々がいるのだ。 たとえば人体から発する「気」のエネルギーだけで蛍光灯に光りを灯すことができる気功家がいるという。ハーバード大学の医学者であるデビィド・アイゼンバーグは、気功療法の調査を主目的とした調査団の一員として中国を訪れたさいの体験をつぎのように語っている。(『気との遭遇』林幹雄訳、JICC出版局) 「気功家は三度大きな呼吸をした。吐く息のうなりのような音だけが聞こえた。三十秒ほど呼吸が続いて、何かを叩く音が聞こえた。気功家は、右の掌でガラス管の右端から一フィートぐらいのところを叩いていた。そして掌で管を握り、右から左へと一フィートほど支える位置を移動させた。彼が管の中ほどですばやく手を動かすと、皮膚がガラスに擦れる音がした。二度三度管を叩く音が聞こえた。一秒ほどの間隔だった。管が白い光を発し始めた。気功家の手が管の中央部を移動し、それを追うように蛍光が彼の手の前を流れた。」 この実演をして見せた気功家は、こうしたことが出来るようになったいきさつをアイゼンバークにつぎのように語った。気功の指導者の一人が稽古を終えた直後に蛍光灯の管に手を伸ばしたら、そこに明かりが点いたのだという。それ以来、外気功を行う者なら誰でも、訓練しだいで「気」で管に明かりを点けられるようになった。明かりを点けることが、たやすい時とそうでない時と、日によって差がある。また、なぜかビルの五階より高いところでは明かりは点かない。ただし、その理由ははっきりしないという。 気功家の例ではないが、これと似たような報告は旧ソビエトにもある。レニングラードにあるウトムスキー研究所の神経生理学者セルゲイエフは「超能力」の研究でも著名だが、その実験中、超能力者にサイ体勢で念を集中してもらうと、その超能力者の体の周囲に強力な静電界が形成されて、ときにはそのためにネオン管が発光したという。 (井村宏次『サイ・テクノロジー』工作舎) 「気」と「気」が触れ合うことで人が飛ばされる、あの西野流呼吸法で有名な西野皓三氏についてもこんな話がある。彼の門下生の一人は、西野氏と直弟子たちとの稽古のときにつぎのような不思議な体験をした。 「先生(西野氏)が両手を向かい合わせて“気”を出しているところへ、何人かの人たちが手を入れてみました。私が手をいれたちょうどそのとき、稲妻のような青白い光がはしりました。指先に異様な感じがあり、見てみると、そこには“火”で焼けたようなやけどの跡が残っていたのです。そのやけどの跡は3〜4日くらい消えませんでした。“気”のエネルギーでやけどをする。そんなことが現実におこったのです。」(西野皓三『西野流呼吸法』講談社) また西野氏は、「気」で電気機器類を壊してしまった経験を何度か持つという。たとえば、西野流呼吸法を紹介するビデオを撮影中のことである。 気功家の身近では、こうした理由のはっきりしない電気機器類の事故が意外と多いのかもしれない。 「個人意識の覚醒を目的とする」という「智超法気功」で最近関心を集めている知抄さんは、全身から神秘の光りを発光するということで、海外でも「光りの子」と評され注目されたという。その知抄さんも、同じような電気機器の故障を引き起こしているということだ。「ヘアドライヤーが火を吹き、私は、二つも壊していた。しかも、コーヒーポットはショートし、自宅の掃除機も使用不能になっている。そればかりか、ファックスや電話も、私が触るとこの数日間おかしくなってしまう(それほど、パワーがたかまっていたのである)。」
こうした現象に関する科学的測定による裏付けもいくつかは存在している。その一つを紹介しよう。宗教心理学研究所の所長である本山博氏は、ヨーガの実践家であり、超能力者としても著名である。氏が開発した生体エネルギー測定器(チャクラマシーン)は、人体が発するあらゆる生体エネルギーの物理的・生理的データをきわめてわずかな変化でも精確に同時に測定するものであるという。氏は、ヨーガの行者や超能力者などを何人も測定した結果をつぎのように語る、 3/3追加 |
| では、上に見た「電気異常」の人々や「発光人間」たちの例と、気功師たちが引き起こす電気的現象との間にはどのような違いがあるのだろうか。あるいは、何ら違いのない、まったく同じ質の現象なのだろうか。先に挙げた例のように人体が発光するには、そこによほどの充電が想定されなければならない。 まず指摘できるのは、それが電気であるか「気」であるかは別として、「電気アレルギー」の人たちが「それ」をコントロールできないのに対し、気功家たちは「それ」を意のままにコントロールできるという点だろう。シーラは、自分が帯電した静電気でいつ相手を傷つけてしまうのではないかと常に脅えていた。シャリスが報告している多くの「電気人間」たちにとっても事情は同じだった。
第二の違いは、それぞれの健康度の違いである。言うまでもなく気功家たちが病気に苦しんでいるという話はあまり聞かない。気功がめざすところの一つが健康である以上、気功の専門家に病人がまれなのは当然だろう。 第三の違いは快感度の問題である。気功によって体内に「気」を養い、あるいは「気」を練ったり流したりすることには、ともあれ大きな快感が伴うことである。気功を始めてある程度すれば、多くの人々が独特の「気感」を体験するようになる。最初は数センチに開いた両手の間にかすかな「もやもや」を感じる程度だったのが、徐々にたしかな気の感覚が育ち、やがてはその気を正中線に沿って任脈・督脈を巡らせることもできるようになる。そうした日々の練功を支えるのが、気に伴う独特の快感であり、この快感は練功とともに益々大きなものになって行く。これは、気功を愛する多くの人々にとって否定できない体験的な事実だろう。 さて、以上のような幾つかの相違点を挙げると、「電気人間」と気功家とのそれぞれの内で起こっている現象にはやはり何か大きな根本的な違いがあるように思えてくる。しかし同時に、彼らが引き起こす現象の少なくとも一部には、何かしら「電気的」という言葉でくくらざるを得ないような共通点があることも確かである。これらの違いと類似を追及することは、電気と「気」との相違点と共通点は何かを追及することである。また「物心両面の性質をあわせもつ」とも言われる「気」が、純粋に物質的と思われる電気とどのように関係するかという問いを追及することでもある。 「気」の働きには確かに、物質的および精神的という両方の面がかかわっているように思われる。「気」は、意志やイメージの力によって自由に体の周囲や体内を巡らすことができる。また、自分の気をコントロールすることによって、ある時には大腸菌の成長を促し、ある時には大腸菌を殺すこともできるという。だからこそ、多くの研究者たちが「気」を、「意識を持ったエネルギー」・「意識によってコントロールされるエネルギー」・「心を持った物質」・「情報処理能力のあるエネルギー」等々という位置づけで捉えるのだろう。(佐々木『気のつくり方・高め方』ごま書房) いずれにせよ「気」という現象においては「もの]と「こころ」とが一体となっていると言えそうだ。 その物心が一体となったところを追及する一つの手掛かりとして、筆者は「気」の電気的・磁気的現象としての側面に注目したいのだ。電気的・磁気的現象としての「気」の姿を追うことで、逆に「もの」から「こころ」へと広がる「気」の実体が、ある程度見えてくるのではないかと思う。そして、この物心両面への「気」の広がりは、気の「質」、さらには気の「レベル」の問題にも深く関係しており、この問題を理解する手掛かりともなるのではないかと思う。そんなことをテーマとして意識しながら、これからの話を進めていこう。 3/12追加 |
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さて、「電気感受性人間」と気功家との違いをいくつか指摘したが、にもかかわらず両者が引き起こす「電気的現象」には否定できない類似点もあった。そしてさらに、両者を結び付けるかもしれない媒介項がもう一つ残っている。それが「超能力」だ。 シャリスの『脱・電脳生活』によると、彼が調査した電気異常の多くのケースには、二つの共通する特徴があったという。第一は、すでに触れた電気異常とアレルギーとの結びつきである。第二は電気異常と超能力、さらにはサイキック(心霊)との結びつきである。調査にあたった「電気感受性人間」のうち70%近くが何かしらアレルギーに罹っており、また同じく69%の人が何らかのサイキックな体験をしたことがあったという。 たとえば、すでに何度か登場した「電気感受性人間」シーラも、しばしばサイキック能力を発揮している。予知能力が高く、誰が電話をかけてくるか、家を訪ねてくるかをピタリと言い当てる。よく人の体のまわりにオーラを見るし、少なくとも二回は「幽霊」を見たことがあるという。最初に紹介したもう一人の電気異常の女性ノーマも不可思議なテレパシー能力があるという。
同じくシャリスが調査したジェーンという女性は、シーラほど極端ではないがやはり電気アレルギーで、料理に電気器具を使うことができず、またテレビを見ることもできない。見ようとすると刺されるような感じに襲われる。病的な状態では多量の静電気にも悩まされる。そしてジェーンもまた不思議なサイキックな能力を発揮する。
シャリスは、ジェーンに次のようなESP実験を試みた。10枚の紙切れにそれぞれ言葉を書いて封印し、それを手渡されたときにどんな感じがするかを言ってもらう。言葉を当てるのではなく、どんな印象を受けるかを感じ取ってもらうだけだという。 この実験にジェーンとともに参加した、同じく重いアレルギー患者のジャネットは、同じ『純白のウェディング』と書かれた封筒に対して「虹色の輝き。愛と聖霊の交わり。気にいったわ。優しくて、愛らしいもの。」と反応。また彼女は、別室でジェーンが触っていた封筒を手渡されたとき、その事情を知らなかったにもかかわらず、「誰か病気の人がこれをつかんでいましたね。私、その人の悩みがわかるわ。」と答えたという。 先に旧ソビエトの神経生理学者セルゲイエフの超能力研究の出来事に少し触れた。その実験のおり超能力者にサイ体勢で念を集中してもらうと、その超能力者の体の周囲に強力な静電界が形成されて、ときにはそのためにネオン管が発光したという点だった。これは電気感受性人間が、サイキック能力を発揮するのとちょうど逆の現象だとはいえないだろうか。電気感受性人間が超能力やサイキックな能力を発揮する傾向があるのとちょうど逆に、超能力者は、何かしら電気的な現象を引き起こしやすいのではないか。 00/3/12追加 |
| さて、こうした電気感受性人間の超能力やサイッキック能力に対して気功家の場合はどうであろうか。もちろん気功家の場合にも超能力やサイッキック能力を持つ例がかなり多く報告されている。よく知られているように中国では気功家の超能力のことを「特異功能」と呼び、国家の援助による研究も盛んとのことだ。したがって気功家の「特異功能」に関する報告にもこと欠かない。そのいくつかを紹介しよう。
「中国気功科学研究会」という国家機関の名誉理事である張恵民によると、浙江省の区漢栄と江波という二人の気功家は、相次いで重病にかかったが、気功の鍛練によって自分たちの病気を治したばかりでなく、ほかの人の病気を発見することもできるようになった。区漢栄は、患者の病気の部位を「空間に形成された電磁場によって感知」できるといい、江波は内臓の表面の色を透視することができるという。 日本医科大学教授であり、脳波の研究で名高い品川嘉也氏も、かつて中国を訪れたとき似たような能力をもつ気功家に出会ったという。その気功家は、同行したある日本人女性を診断した。彼は、その女性を2〜3分じっと見てから「左側の上の背骨にケガのあとが残っています。左側の乳腺のところが、気の流れがあまりよくありません」と診断したという。気功家が指摘したのは、この日本女性がかつてモンブラン山中で雪崩に遭い、800メートルも滑り落ちたときの傷跡だったようだ。(品川嘉也『気功の科学』光文社) 日本の気功家の超能力については、筆者自身のささやかな経験にまず触れてみよう。筆者の気功入門は、まず西野流呼吸法から始まった。西野流の道場に通い始めて数カ月たち、ようやく「対気」で弾けるように壁の反対側に飛ばされるようになったころ、医療気功で活躍する、ある気功家にお会いする機会があった。その気功家にお会いして挨拶が終わるか終わらぬうちにいきなり彼は筆者に聞いた、「あなた、硬気功やっているね」 西野流も硬気功(武術気功)の一種と言える部分がある。つまり、そのときすでに筆者は何かしら西野流の波動と呼べるものを身に付けていて、それが彼には見えたか感じられたかしたのであろう。そしてこれも、一種の「超能力」といえるだろう。
もちろん、すでに何度か触れた西野氏自身もしばしば「超能力」を発揮している。そのなかでとくに筆者の印象に残っている話を紹介しよう。サイパンで西野流呼吸法を紹介するビデオを撮影した折りのことである。スタッフは、太陽の位置や潮の干満をも慎重に考慮して、左右にひろがるビーチから海へ突き出たある場所をロケ地に選んだという。この地を熟知し、同じ時刻に何度もそこでロケを経験してきた現地コーディネーターとともに、すべての条件を確認したうえ、自信をもって西野氏らの到着を待ったのである。ところが西野氏はその場所を見るなり「ここはダメですね」と一言。一同呆然として、理由もわからぬままに急遽手前の砂浜へ移動、そして再度準備を整えた。ほぼそれと同時に、西野氏がダメだと言った砂浜は彼らの目の前で波に呑まれて消えていった。西野氏の「予知能力」を見せつけられたスタッフたちは、ひたすらため息をつくばかりだったという。(『“気”の発見』) 山梨大学の教授であり、脳波による「精神生理学」の研究で知られているすぎ村憲之氏も、気功との出会いのなかで不思議な「特異功能」をみずから経験している。龍門気功の第一人者である屠文毅の脳波測定を依頼された氏は、それが縁となって屠文毅から気功の指導を直接受けるようになった。 いくつかの印象的な具体例を見てきたが、では「気」と「超能力」との関係はどう理解すべきなのだろうか。中国の研究者たちは「気」の科学的な解明に極めて熱心に取り組んでいるようだ。現在までのところ気功師が放射する「気」は、遠赤外線輻射、静電気蓄積、磁気信号、超低周波、フォトンなどに関係するらしいことがわかっている。ところで中国の研究者たちは、「超能力」すなわち「特異巧能」の研究にも同じように熱心である。しかしこの方面の自然科学的な研究となると実際にはほとんどお手上げのようだ。気功による透視、遠隔視、予知、テレパシーなどのもろもろの「特異功能」については科学的に満足のいく説明はほとんどできていないのである。 透視、遠隔視、予知、テレパシーなどは、人間の心理的な作用に深くかかわっている。要するに「こころ」の「超能力」なのである。そして、心理的な作用や精神的な能力を自然科学的な方法(すなわち物理・化学的な方法)で解明し尽くそうとすることには、そもそも方法論にいっても無理な話なのだ。にもかかわらず多くの気功師たちが、透視、遠隔視、テレパシーその他の「特異効能」を発揮する。 それは、「気」がこうした「特異功能」を可能にする精神的な次元に何かしらかかわっていることを暗示していないだろうか。つまり「気」は、物理的な次元・生理的な次元にかかわると同時に「こころ」の次元にもかかわるらしい。 00/03/18追加 |
| ところで、近ごろ「臨死体験」に関する本が日本でも次々と出版され話題を呼んでいる。 筆者は、「気」の研究とともに「臨死体験」の研究こそが、近代科学の物質主義的・機械論的な世界観を超え出て、全く新しい科学のパラダイムを切り開いてゆく二大研究テーマになるだろうと予想している。 たとえば、アメリカのある女性は自分の臨死体験後の生理的変化のひとつをつぎのように語っている。 「‥‥わたしがいると、電子機器はみんな壊れてしまうの」「臨死体験後にわたしの体のまわりに発生するバイオ・エネルギーの場が電子機器に影響を及ぼすの。そのエネルギーは、コンピュータやコピーの機械のようなマイクロチップを使う機械には何でも影響を与えるみたい。普通の車のバッテリーでも、わたしが近づくと、ときどきあがってしまうことがあるの。わたしが近づいて、切れた電球がついたこともあるけれど、反対に、わたしが通り過ぎたとたん、街灯が切れたこともあるわ」「わたしが銀行に行くと、コンピュータが動かなくなるから、行かないようにしているの」(バーバラ・ハリス+ライオネル・バスコム『バーバラ・ハリスの「臨死体験」』立花隆訳、講談社)
また、ある統計的な研究によると、子供のころに臨死体験をした成人の四分の一以上が、腕時計をはめられなくなったという。この相関関係が明らかになったのは、臨死体験者へのアンケートの中に「時計をはめたり、電灯その他の電気器具を使ったりするとき、なにか困ることがありますか」という質問を入れたからだ。たとえば、ある男性は五年間に時計を三つ買ったが、すべて次々に壊れてしまった。しかし、その時計を息子たちにやったところ、修理もしないのにまた動きだしたという。臨死体験をした人々にとって、この手の経験はむしろありふれているようだ。(メルヴィン・モース、ポール・ペリー『臨死からの帰還』木原悦子訳、徳間書店) さらに、次のような体の変化を語る臨死体験者もいる。 「信じていただけるかどうかわかりませんが、私の手が電気放電を起こして火花が散ることがあるんです。そのエネルギーが私の体の中をグルグルグルグル駆けめぐっているのです。手は火がついたように熱くなって、ヒリヒリ、ピリピリします。エネルギーが指先から流れ出て行くのが、自分でもわかるんです。」(立花隆『連載・臨死体験J』雑誌「文芸春秋」1992年6月号、ケネス・リングの研究より) これら臨死体験者たちの生理的な変化の報告は、電気異常の人々や何人かの気功師たちの体験と驚くほどよく似ている。もちろん臨死体験者たちの体験後の変化には様々な側面があり、「事後効果」として盛んに研究されている。そのもっとも重要な側面が、体験後の人格変容に関するものだ。臨死体験はほとんどの場合、体験者のその後の生き方や人格や価値観をプラスの方向に変えてしまう。その変化の核心には、宗教的な「覚醒体験」やトランスパースナル心理学などでいう「自己超越体験」に近いものがあるようだ。 00//3/18追加 続く |
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これらの事実からどんなことが言えるだろうか。すでに触れたように、電気異常の人々は驚くべき電気的な現象を引き起こすことはあっても、体内の電気的エネルギーを、有機体的に統一された「気」にまで高めてコントロールすることはできないと考えられた。 臨死体験者の中には、ヒーリング能力を持つようになった人々もかなり存在する。そこから言えるのは、体内外の電気的・磁気的エネルギーを「癒しの力をもった気」のレベルにまで高めることができるようになった体験者も多いということだろう。
透視やテレパシーなど何らかの「情報」にかかわるサイ能力は、「生命エネルギー」としての「気」をコントロールする必要はないにしても、「情報」としての「気」を伝達する媒体として何かしらの電気的・磁気的現象に関係をもっているのかも知れない。 結局のところ「気」は、物理的な現象としての電気的・磁気的現象に深くかかわりをもっている。だからこそ気功家も、電気異常の人々と同じように電気機器を破壊したり、光りを発したりという驚くべき電気的・磁気的現象をしばしば引き起こす。 「気」という現象は、こうした様々な特性を持ちながら、しかも「気」というひとつの言葉でくくらざるを得ないような何らかの一貫性・統一性を持っているようだ。次回は、こうした膨大な広がりをもった「気」の姿をやや別の角度からさらに探っていこう。 00/03/25追加
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| 《参考文献》 マイケル・シャリス『脱・電脳生活』田中靖夫訳、工作舎(原題『ザ・エレクトリック・ショック・ブック』) 『気との遭遇』林幹雄訳、JICC出版局) 井村宏次『サイ・テクノロジー』工作舎 西野皓三『西野流呼吸法』講談社 西野皓三『“気”の発見』祥伝社 知抄『智超法気功』たま出版 佐々木『気のつくり方・高め方』ごま書房 張恵民『中国気功法』日本気功協会訳、徳間書店 品川嘉也『気功の科学』光文社 『「気」の大事典』新人物往来社 |