■アマンドラ 希望の歌
◎概要
注)ストーリーや登場人物などについては、上記の公式サイトかミニパラ を参照してください。
タイトル アマンドラ 希望の歌
原題:Amandla! A Revolution in Four Part Harmony監督・製作年 リー・ハーシュ(アメリカ人) 製作年:2002 放映時間など 104分 舞台となる国 南アフリカ共和国 Republic of South Africa
在日大使館のHP
外務省ホームページ(各国インデックス・南アフリカ)
空間的移動など その他のタイプ:主にインタビューと過去の記録フィルムから構成 アクティビティの
ポイント○アパルトヘイトとその影響
○音楽と大衆運動との関係感想一言 アパルトヘイト廃止運動をその時代に歌われた音楽から概観した映画。学者たちが書いた本からは想像できない、時代と闘った人々の息づかいを聞くことができる。
多様で文句なく素晴らしい音楽。ラップやゴスペル、ジャズに興味がある人は、オリジナル・サウンド・トラック(2520円)を聞いたほうがいい。
配給会社 クロック・ワークス 公式サイト 公式サイト アマンドラ 希望の歌 (CDの案内あり) ◎アクティビティ
Q1: 南アフリカの位置を地図で確かめよう。
A1: 下の地図に周囲の国の名前や、海洋の名称を記入してみよう。
Q2: 面積などを南アフリカと日本で比較してみよう。
A2: 比較表を作成してみました。
南アフリカ共和国 日 本 面積 1221千キロ平米 377千キロ平米 人口 4503万人(2003) 1億2765万人(2003) 首都 プレトリア(69万人)(1996) 東京(区部人口808万人、2003年) 緯度 プレトリア 南緯25度45分
(緯度は沖縄とほぼ同じ)札幌 北緯43度03分
東京 北緯35度41分
那覇 北緯26度12分月平均気温 プレトリア 1月22.6度
7月12.1度東京 1月 5.8度
7月25.4度年間降雨量 プレトリア 699mm 東京 1466.7mm 国の周囲 北西はナミビア、北はボツアナ、ジンバブエ、北東はモザンビーク、スワジランドと接し、領土内にレソトがある。西は大西洋、東はインド洋に面する。 海に囲まれた島国 国 土 アフリカ大陸の南端にあり、高原(平均1200m)と多様な温帯気候になっている。特に、南西部のケープタウン付近は地中海性気候の特性を持つ。 アジア大陸の東縁の島国
気候は南部が温帯、北部は冷帯言 語 アフリカーンス語、バンツー語(ズールー語、コサ語、ソト語、ツワナ語ほか5言語)、英語(以上11言語が公用語) 日本語 宗 教 キリスト教80%、イスラム教、ヒンドゥー教(インド系)など 仏教、神道、キリスト教
Q3: 南アフリカの民族構成を整理せよ。また他のアフリカの国に比べて、白人の構成比が高い理由を考えよ。
A3: 民族構成は黒人76.1%、白人12.8%(うちオランダ系が6割、イギリス系が4割)、混血(カラード)8.5%、インド系2.6%。
ヨーロッパ人の入植は、1652年のオランダ移民がケープ植民地を開いたのが始まりで、1795年にはイギリス植民が進出し、1814年イギリス領となった。オランダ系植民者は北方へ追われ、トランスヴァール共和国、オレンジ自由国をつくった。
アフリカ大陸においては温暖で、ヨーロッパと気候が似ている南アフリカは、ヨーロッパ人にとっては住みやすい環境といえる。また、19世紀中ごろに発見されたダイアモンドや金などの豊富な鉱山資源は、植民を加速させるとともに、イギリス・オランド両植民の対立を激化させた。
Q4: アパルトヘイト政策とは何か。
A4: 1948年国民党(オランダ系植民者の政党)が政権をとると、アパルトヘイト(人種隔離)を法令化した。これは、黒人を劣悪な居住環境のゲットーに強制移動させ住み分け(人種隔離)を行うという白人優遇政策であった。
国連では、1955年にアパルトヘイト政策非難決議を採択、1962年には対南アフリカ経済・外交制裁決議を行うなど国際的な非難が高まり、また1964年の東京オリンピックにはIOCから出場停止の処分を受けるなど、各分野で南アフリカは国際的に孤立していた。
Q5: サウンドトラックのNo.7「気をつけろフェアワールド」で、フェアワールドとはどんな人か。何に気をつけろと歌っているのか。
A5: 「気をつけろフェアワールド」は、黒人活動家で多くのフリーダムソングを残したヴィジーレ・ミニの書いた曲。ミニは刑死したが、この映画にあるようにアパルトヘイト廃止後に支援者などによって埋葬しなおされた。
フェアワールド(オランダ語読みでフェルヴェルドとも表記される)は、分離発展政策と称してアパルトヘイトを推し進めた南アフリカ大統領(在位期間1958-1966)で、その政策に反対して「フェアワールドよ、背中に気をつけろ(なぐられる、撃たれるから)」というのが曲の内容。詞はズールー語(南アフリカの言語)のため、白人には意味が理解できず、明るいメロディーの曲と思われていた。フェアワールドは1966年に暗殺された。
Q6: 南アフリカのアパルトヘイト政策に対して、日本はどのような態度をとっていたのか。
A6: 1950年代後半から60年代にかけて(フェアワールド大統領の時代前後)、南アフリカにおいて日本人は名誉白人待遇を受けた。当時の南アフリカでは、「白人」「黒人」「カラード(インド人など)」に分けて人種差別的な白人優遇政策をとっていたが、日本人は有色人種でありながら例外的に「白人」待遇するというものである。これは、国連からの経済制裁などによって南アフリカが外貨獲得に困難な状態にあったにも関わらず、日本が南アフリカの豊富な地下資源などの輸入のために積極的な貿易を行っていたことへの当時の南アフリカ政府の感謝の意が込められている。
また、1970年代から80年代にかけて欧米やアフリカ諸国を中心に強力な経済制裁を南アフリカに対して行っていた際も、日本は「財界に貿易自粛を要請する」程度の実効性のない政策を繰り返していた。その結果、1987年には、南アフリカの最大の貿易相手国は日本となり、国際的な非難を浴びることとなった。非難の理由は次のことである。
1.経済制裁は関係各国が協調して始めて有効になる。日本のように実施しない国があれば効果が薄い。
2.経済制裁は、制裁を行う国も経済的損失を被る。つまり日本は国際協調よりも自国の利益だけを考えている。
3.当時の南アフリカは地下資源を日本などに売り、その代金で武器を購入したり作ったりして黒人への弾圧を行っていた。日本は直接的には武器を売ってはいないが、武器を買うお金を供給しているのだから間接的に武器を売ったのも同罪だ。
日本は、地下資源の確保のために熱心なあまりに過ちを起こした前科がある。例えば太平洋戦争を起こした理由の1つとして、大東亜共栄圏と称して中国の鉄鉱石、インドネシアの石油を確保することが挙げられる。こうした日本の地下資源確保への熱望は周辺諸国への脅威となったり、南アフリカの件のように国際的な非難やそれに伴う軽蔑の対象となることに注意する必要がある。
Q7: 1980年代に、南アフリカの音楽が注目されるきっかけとなったアメリカでの出来事について、知っていることを書きなさい。
A7: サイモンとガーファンクル(「サウンド・オブ・サイレンス」「明日に架ける橋」など、1960年代から70年代にかけて人気のあったアメリカのディオ)を解散した後、ソロ活動をしていたポール・サイモンは、1986年にアルバムGraceland(You Can Call Me Alなどを所収。1986年のグラミー賞アルバム・オブ・ジ・イヤー)を出して南アフリカの白人ミュージシャンと共演した。
しかし、当時南アフリカのアパルトヘイト政策への非難が高まりつつある中で、白人ミュージシャンとのみ共演したことに批判が集中した。彼は「コンドルは飛んでいく」など世界の音楽に注目した活動をしており人種差別的な意識はなく、翌年、南アフリカから国外追放されていた黒人ミュージシャン(下注)を含めて再びコンサートを行って話題となった。
このことは、南アフリカの音楽のレベルの高さを知らしめたとともに、アパルトヘイト政策について、特にアメリカの人々に広く関心を呼ぶきっかけのひとつとなった。おそらく彼は純粋な音楽活動としてアルバムを作ったのだが、そのことが結果的に大西洋を隔てた南アフリカの政治や人々に影響を与えた特異な例である。
注)ヒュー・マセケラ。オリジナル・サウンド・トラックのNo.9、19)。
特にNo.19「ブリング・ヒム・バック・ホーム」は、マンデラの釈放を要求するキャンペーンソングとして、英語で歌われ広く欧米のメディアに取り上げられた。
Q8: 後に大統領となるマンデラ氏とはどんな経歴を持った人か。また「マンデラ・ジャイブ」とは何か。
A8: 黒人運動指導者として早くから頭角をあらわしたが、1964年に捕らえられ終身刑となり、ロベン島の牢獄に1992年まで幽閉されていた。このため、開放されるまでは実際に彼の姿をみたものは少なく、伝説上の人物となっていた。アパルトヘイト廃止後の南アフリカは、国内では黒人と白人の融和を図りながら、国際的な信用を回復して経済制裁などの解除を実現することが重要な課題であったが、マンデラがリーダーとして十分な資質を持っているかどうかは全くの未知数であった。
解放され、多くの民衆の歓迎の中で音楽が演奏されたとき、マンデラは突然ダンスを始めた。それは20年以上も牢獄にいた人とは思えないほど穏やかで、見ている者の心を朗らかにした。この時のダンスをマンデラ・ジャイブという(どんなダンスかは映像でみてもらいたい)。
闘い続けてきた民衆は、これ以上の闘いで傷つくことをもはや望んでいなかった。黒人も白人もみな傷ついていたのだ。「マンデラ・ジャイブ」の穏やかさ、やさしさは、マンデラがこれからの南アフリカのリーダーに相応しい人物であることを、多くの人々が認めるきっかけとなった。
Q9: 南アフリカのアパルトヘイト廃止以降で、スポーツが果たした役割を述べよ。
A9: 1964年の東京オリンピックに南アフリカの参加が認められないなど、長期間に渡って南アフリカの人々は様々な国際的なスポーツ大会へ参加ができず、また国際大会を南アフリカ国内で開催することもできなかった。アパルトヘイト廃止以降の安定した国内状況を認められて、1995年に初めての国際大会としてラグビーのワールドカップが南アフリカで開催されることとなった。
南アフリカはラグビーの強豪国として知られていたが、そのナショナルチームは1名を除いて全て白人選手という構成で、人種差別が残っているのではと疑問の声が上がった。白人監督は、優秀な黒人選手が多いことを認めながらも、チームプレーの習熟度の点から白人選手が主体となったと釈明に追われた。
しかし、大会が始まると唯一の黒人選手がすばらしい才能を持った快速ウィングとして活躍、チームのポイントゲッターとなって南アフリカの優勝に大きな貢献をした。
開催国の元首であるマンデラ大統領から優勝の祝福を受けた南アフリカチームの活躍は、南アフリカがゆっくりではあるが着実に人種間の融和が進むことを世界に印象づけるものとなった。
■オリジナルサウンドトラック
本当にいいCDだと思います。ひとつひとつの曲の詞に力を感じる。2520円。
収録曲は次のとおり。
1 アマンドラ! 〜抗議集会、ヨハネスバーグにて
2 ホエン・ユー・カム・バック / ヴーシー・マーラセラ
3 リゾブヤ / ムボンゲニ・ンゲマ
4 メドウランズ / ナンシー・ジェイコブス・アンド・シスターズ
5 サッド・タイムズ・バッド・タイムズ〜オリジナル・キャスト・オブ・キング・コング
6 センゼニ・ナ? / ヴーシー・マーラセラ & ハーモニアス・セレナーデ聖歌隊
7 気をつけろ、フェルワールド / ミリアム・マケーバ
8 イ・ジンガ / ロベン島・プリズン・シンガーズ
9 スティメラ / ヒュー・マセケラ
10 インジャンブロ〜プレトリア中央刑務所にて / ハンバニ・クニエ・ネ-ヴァンゲリ
11 マネンバーグ / アブドゥラ・イブラヒム
12 ンコシ・シケレイ・アフリカ 〜 ソウェト・コミュニティ・ホールにて
13 シナ・ロムラバ・シウゲージ / ヴーシー・マーラセラ
14 マイブイエ / ヴーシー・マーラセラ
15 シナ・シズウェ / SABC聖歌隊
16 フォーク・ヴァイブ / タナナス
17 デュブラ・ンゲシバム〜ソウェト・コミュニティ・ホール
18 ソバシヤ・アバザーリ・エクハヤ / アマンドラ・グループ
19 ブリング・ヒム・バック・ホーム (ネルソン・マンデラ) / ヒュー・マセケラ
20 ディデュー・ヒア・ザット・サウンド / アブドゥラ・イブラヒム
21 ス・バリ / ジョー・ニナ
22 マクリウェ〜ソウェト・コミュニティ・ホール
23 バーレリ・ボンケ / ミリアム・マケーバ
24 クゾベンジャニ・ナ? / ヴーシー・マーラセラ
25 “ユー・ストライク・ザ・ロック....” / ソフィ・ムグシナ・アンド・ドリー・ラシビ
26 アントールド・ストーリー / シボンギレ・クマロ・ウィズ・セムバ・ムクヒゼ
27 イヨ / ハーモニアス・セレナーデ聖歌隊
28 ウシレセラ・ウクソロ (ネルソン・マンデラ・ブリング・アス・ピース) / アフリカ全国議会聖歌隊
29 トイ-トイ・イントロダクション / クラマト / アブドゥラ・イブラヒム
2004.09.01 ヴァージンシネマズ六本木ヒルズ
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