コウノトリの歌

◎概要

タイトル コウノトリの歌  原題:Song of the Stork
監督・製作年 ジョナサン・フー(シンガポール)、
グエン・ファン・クアン・ピン(ベトナム)  製作年:2001
放映時間など 99分
舞台となる国 ベトナム社会主義共和国 Socialist Republic of Viet Nam
 在日大使館のHP
 外務省ホームページ(各国インデックス・ベトナム)
空間的移動など 前半:移動型(ホーチミン・ルート・北ベトナム)
後半:ほぼ1点型(サイゴン・南ベトナム)
アクティビティの
ポイント
○ベトナム戦争
○戦争による心の傷跡
感想一言 前半はホーチミン・ルートを移動するベトコン兵士である詩人とその妻の絆を中心とした話、後半はサイゴンで諜報活動を行う北ベトナムの兵士とその妻の別離を描く。
「無数の仲間が死んだのに、なぜ私は生き残ったのだろうか」と回想する元ベトコン兵士の言葉には、平家物語の無常観に近いものを感じた。ベトナムで傷ついたのは、当然ながらアメリカ兵士だけではない。
配給会社 GAGA
公式サイト GAGAの公式サイト コウノトリの歌
 注)ストーリーや登場人物などについては、上記の公式サイトかミニパラ を参照してください。

◎アクティビティ

Q1: ベトナムの位置を地図で確かめよう。

A1: 下の地図に周囲の国の名前や、海洋の名称を記入してみよう。

 

Q2: 面積などをベトナムと日本で比較してみよう。

A2: 比較表を作成してみました。

  ベトナム社会主義共和国 日 本
面積 332千キロ平米 377千キロ平米
人口 8138万人(2003) 1億2765万人(2003)
首都 ハノイ(375万人)(2000年) 東京(区部人口808万人、2003年)
緯度 ハノイ 北緯21度04分
(沖縄よりさらに南)
札幌 北緯43度03分
東京 北緯35度41分
那覇 北緯26度12分
月平均気温 ハノイ   1月16.0度
      7月29.0度
東京 1月 5.8度
   7月25.4度
年間降雨量 ハノイ 1704mm 東京 1466.7mm
国の周囲 北は中国、西はラオス、カンボジアと接する。東トンキン湾、東シナ海、南は南シナ海、タイランド湾に面する。
南北に長く、その長さは約1650km。
海に囲まれた島国
国 土 インドシナ半島の東半分を占め、南部は熱帯気候、北部は温帯気候。海岸線が長く3260kmに及ぶ。 アジア大陸の東縁の島国
気候は南部が温帯、北部は冷帯
言 語 ベトナム語 日本語
宗 教 仏教(大乗仏教など)55%、カトリック8%、カオダイ教3%、ホアハオ教3% 仏教、神道、キリスト教

Q3: 太平洋戦争以降のベトナムの歴史を簡単に整理しなさい。
A3: 年表に整理しました。

1940年 日本軍が北部ベトナムへ進駐。その後太平洋戦争が終結するまで、ほぼ日本軍の支配下に入る。
1945年 8月 日本降伏、9月に日本軍武装解除。
9月 ベトナム民主共和国誕生(後の北ベトナム)
   フランス軍、イギリスの支援を受けて南部ベトナムへ侵攻。
1946年 12月 第1次インドシナ戦争(対フランス)始まる
1950年 中国とソ連が北ベトナムを承認。
アメリカがフランスの傀儡政権である南ベトナムを承認。
1954年 5月 ディエン・ビエン・フーの戦いでフランス軍破れ壊滅。
7月 ジュネーブ協定調印。第1次インドシナ戦争終る。
   ベトナムは北緯17度線で南北に分断。
1955年 10月 ベトナム共和国(南ベトナム)建国宣言
1960年 12月 南ベトナム民族解放戦線が結成
1961年 アメリカ軍が南ベトナムで特殊戦車の準備開始
1962年 アメリカ軍がベトナム介入開始(第2次インドシナ戦争・ベトナム戦争)
1963年 11月 南ベトナムのゴ・ジン・ジェム大統領暗殺
   アメリカのケネディ大統領暗殺
1964年 8月 トンキン湾事件。アメリカのベトナム介入本格化
1965年 3月 アメリカ軍の本格的な北爆が始まる。海兵隊ダナンに上陸
1968年 3月 ソンミ村虐殺事件
5月 パリ和平交渉開始
10月 アメリカのジョンソン大統領、北爆停止を発表
1969年 6月 南ベトナム臨時改革政府樹立
   アメリカのニクソン大統領、アメリカ軍の撤退を発表
9月 北ベトナムのホーチミン大統領死去
1970年 3月 カンボジアでクーデター、シアヌーク元首失脚
5月 アメリカ軍と南ベトナム軍がカンボジア侵攻
1971年 2月 南ベトナム軍がラオス侵攻
1972年 5月 アメリカ軍、北爆の再開と全港湾の機雷封鎖を実施
1973年 1月 パリ和平協定調印
9月 日本、北ベトナムと国交樹立
1975年 4月 サイゴン陥落、南ベトナム政権崩壊。ベトナム戦争終る。
1976年 4月 南北ベトナムの統一選挙
7月 ベトナム社会主義共和国の成立
1978年 2月 中国との国境で紛争発生
12月 ベトナム軍カンボジア侵攻
1979年 1月 ベトナム軍カンボジアの首都プノンペンを攻略
   ポルポト政権に代わるヘンサムリン政権を樹立
2月 中国軍がベトナムに侵攻 3月撤退
1986年 小規模・個人企業(私企業)の経営を許可、ドイモイ政策の開始
1991年 11月 中国との国交正常化、アメリカ・ベトナム国交正常化交渉
1994年 2月 アメリカのクリントン大統領が、対ベトナム経済制裁の
   全面解除を発表
7月 ASEAN外相会議でベトナムのASEAN加盟を承認

Q4: ホーチミン・ルートとは何か。
A4:

ベトナムは地形からみると海岸の平野部とラオス・カンボジア国境付近の山岳部とに分けることができる。ベトナム軍は、アメリカ軍の圧倒的な兵力、特に制空権を握られたことによって、平野部での兵士や軍需物資の移動は、爆撃機やヘリコプターからの狙い撃ちにより、ほぼ不可能な状況に追い込まれた。
このため戦争当初はベトナム軍の圧倒的不利と思われたが、山岳部を通るホーチミン・ルートが機能してからは、爆撃等の被害が少なくなり、兵力の機動的な移動や物資の供給が実現し、ベトナム戦争の勝因の1つとなった。
なお、ホーチミンとは北ベトナムの当時の最高指導者の名前。

Q5 ホーチミン・ルートを案内する山岳部に住む女性について、詩人のバンは「彼女たちの献身的な行動に感謝したい」と言っていた。山岳部の少数民族とホーチミン・ルートとの関係を述べなさい。
A5:

ベトナムの民族構成は、平野部に住むベトナム族が9割近くを占めている。山岳部には数多くの少数民族が住んでおり、通常はベトナム族との交流はほとんどなかったようである。そのため、当初はベトナム族とアメリカとの戦争であった。前述のホーチミンルートは山岳部の少数民族しかしらず、ベトナム族は全く知らなかった。
そのため、ベトナム族の兵士は少数民族の案内がないとホーチミンルートを利用できなかったようである。また平野部に住んでいたベトナム族にとって山岳部の環境は苛酷であったようで、アメリカ軍の攻撃よりも、衛生問題や移動中の事故、野生動物によって命を落とした者が多いとのことである。

アメリカで作られたベトナム戦争の映画では、ベトコン兵士が突然森の中から湧いて出てくるように表現されているものが多い。これも山岳部の地形等を熟知した少数民族の力によるものであろう。戦争を始めるにあたって、アメリカ軍も十分な情報収集を行ったはずだが、ベトナム族すらその存在をほとんど知らなかった山岳部の少数民族については全く情報を持っていなかったといわれる。

Q6: 北の工作員のラムの妻は、サイゴン陥落の際に南ベトナム軍大佐の父や母とともにアメリカへ脱出した。なぜか。

A6: 北ベトナムの支配下に入ると、南ベトナムの要人は裁判で刑をうけたり、迫害を受けたりする可能性が高い。南ベトナムはアメリカの傀儡政権であり、アメリカに協力してきた南ベトナムの要人は身の安全を図るため、アメリカ軍の撤退に伴ってベトナムを脱出、アメリカも彼らを政治亡命として受け入れた。
ラムの妻は南ベトナム軍幹部の娘であり、このままベトナムに残るには危険があった。

Q7:

アメリカでは、ベトナム戦争に関わる様々なタイプの映画が作られてきた。ベトナムでの戦闘を中心に描いた「地獄の黙示録」「プラトーン」「フルメタル・ジャケット」などがある。これらのアメリカの映画と、この映画との違いを述べなさい。

A7:

アメリカの映画では、北ベトナムの生活の様子などはほとんど映像にされていない(実際知らないので映像できないのだと思うが)、またベトコン兵士が人間的な悩みを持っているということも表現されていない。表情を持たないベトコン兵士がなぜか執拗に攻撃してくるイメージである。
この映画のフー監督の言葉「今までベトナム戦争の映画は、ハリウッドの見方で作られてきた。だから私たちは、北ベトナムの人たちの立場から描く必要があったんだ。一緒に監督したビンの話を聞くうちに、長い戦争の間には友情も育まれるだろうし、結婚をして子供も産まれる、残してきた家族を思うこともあるだろうと考え、そういったありきたりの人生の細部を描こうとした」

一方の側の情報(映像)のみでは、いつのまにか当事者でない我々も偏ったイメージを持ってしまうことに注意して、バランスを考える必要がある。

Q8: ベトナム戦争終結の理由の1つとして、アメリカ国内の反戦運動の高まりがある。このとき反戦のシンボルとなった歌がいくつかある。これをあげよ。
A8:

ボブ・デュラン「風に吹かれて」、ジョン・レノン「イマジン」など


■映像からみたベトナムの様子

北ベトナムの農村 サイゴン(南ベトナム)
服装 農作業のときには、シャツとズボン、三角の編み笠。
ハノイの大学生は、男は白のワイシャツにネクタイ、女は白のアオザイ。自転車で通学。
男性は洋服(軍人は軍服)。
女性も洋服が多いようだ。
木造 ラムの家は西洋風の2階建て
道路 舗装されていない 車が通るには十分にきれい。橋もコンクリート製。ラムの愛車は外車だった。
風景 平野部は田んぼ。牛が田起こしをしていた。
山岳部・ホーチミンルートは、ジャングルの中といった感じ。崖ばかりで平地がない。
平地で家が連なっている。
中心部は商店などで、にぎわっている様子。

その他

 ストーリーとしても面白いし、色々な角度からベトナム戦争を見直そうという意図があって、いい映画だと思います。
 しかしソ連が崩壊した現在からみると、なぜアメリカがベトナムに介入したのか分らないし、子どもに理解せよといっても無理だと思う。数十年経てば、なぜイラク戦争が起こったのかも分らなくなるのだろう。


2004.09.10 新宿ジョイシネマ3
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