モーターサイクル・ダイアリーズ

◎概要

タイトル モーターサイクル・ダイアリーズ 原題:The Motorcycle Diaries
監 督 ウォルター・セレス (ブラジル)
製作年:放映時間 製作年:2003年   放映時間:127分
舞台となる国 主にアルゼンチン、チリ、ペルー
 外務省ホームページ(各国インデックス・アルゼンチン)
 外務省ホームページ(各国インデックス・チリ)
 外務省ホームページ(各国インデックス・ペルー)
空間的移動など 移動型:アルゼンチン、チリ、ペルー、(コロンビア)、ベネズエラ
アクティビティの
ポイント
○アルゼンチン・チリ・ペルーの様子
感想一言 チェ・ゲバラが友人のアルベルトと中古のノートン500で行った南米大陸縦断旅行。アンデス山脈、アタカマ砂漠、アマゾン川、マヤ文化、インディオの人たち、各都市の様子、ハンセン病療養施設など見所が多い。反米感情を煽るような映画ではない。この生真面目な喘息もちの若者に、誰もが好意を抱くだろう。
配給会社 日本ヘラルド映画会社
公式サイト モーターサイクル・ダイアリーズ 公式サイト
 注)ストーリーや登場人物などについては、上記の公式サイトなどを参照してください。

◎アクティビティ

Q1: ゲバラたちの行程を地図で確かめよう。
A1: 主な行程

(注)「チェ・ゲバラ モーターサイクル
 南米旅行日記」所収の図



○コロンビア(右下の表から)
1952.06.23 レティシア(アマゾン川沿い町)
空路などでベネズエラへ向かう
(映画では省略されていた)
○ベネズエラ
1952.07.17 カラカス
アルベルトはカラカスの病院に就職。
ゲバラは空路でアメリカ・マイアミへ
(終了)
○アルゼンチン
1951.12月 コルドバ(自宅)
52.01.04 ブエノス・アイレス
アルベルトと合流・出発
01.06 ビジャ・へセール。大西洋を望む
01.12 ミラマール(恋人の家)
平原(パンパ)から夏でも雪が残るアンデス山脈へ
02.11 バリローチェ
船で川や湖を下りチリへ
○チリ
1952.02.14 ペウージャ
03.01 サンティアゴ。オートバイ廃車になり、以降ヒッチハイクなど。
03.07 バルパライソ。太平洋岸の低地と丘陵地を結ぶケーブルカーは建物の中を通るような感じ。
航路でアントファガスタへ
03.11 アントファガスタ
アタカマ砂漠を歩く
03.12 バケダーノ
コミュニストの夫婦と出会う
03.13 チュキカマタ銅山当時チリは世界の銅の約20%を算出
03.22 アリカ。チリ最北の都市。
○ペルー
1952.03.24 タクナ
03.26 プーノ、チチカカ湖
03.31 クスコ。インカ帝国の首都
04.05 マチュピチュ遺跡
05.01 リマ。ペルーの首都
05.24 プカルバ。船でウカヤリ川(アマゾン川の支流)を下る
06.01 イキートス
06.08 サン・パブロ。ハンセン病療養所
06.21 いかだでアマゾン川を下る
(左の表へ)
Q2: 南アメリカの各都市と日本の都市とを比較しなさい。
A2: アルゼンチンの首都ブエノスアイレス、チリの首都サンティアゴ、ペルーの首都リマ、ベネズエラの首都カラカスと東京などを簡単に比較しました。
  南アメリカ大陸 日 本
首都 ブエノスアイレス(277.6万人 2001年)アルゼンチン
サンティアゴ  (478.9万人、2000年)チリ
リマ      (646.5万人、1998年)ペルー
カラカス    (197.6万人、2000年)ベネズエラ
東京(区部808万人、2003年)
緯度 ブエノスアイレス 南緯34度40分
サンティアゴ   南緯33度30分
リマ       南緯12度06分
カラカス     南緯10度35分
札幌 北緯43度03分
東京 北緯35度41分
那覇 北緯26度12分
月平均気温 ブエノスアイレス 1月24.6度 7月11.1度
サンティアゴ   1月20.4度 7月 7.4度
リマ       1月22.2度 7月16.9度
カラカス     1月20.4度 7月22.4度

リマ、カラカスは高山都市であり、赤道に近くても気温は高くない。東京の夏よりも涼しい。
東京 1月 5.8度
   7月25.4度
年間降雨量 ブエノスアイレス  1162.5mm
サンティアゴ     300.3mm
リマ          3.3mm(乾燥地帯)
カラカス       867.5mm
東京 1466.7mm

Q3: アルゼンチンの大平原の中の直線的な道路を、オートバイで行くシーンがあります。この大草原の名称は何でしょうか。
A3: パンパ。アルゼンチン東部のラプラタ川に近い平原は湿潤パンパ、西部・南部の平原は乾燥パンパと呼ばれる。
映画の最初に出てくる平原は、コルドバからブエノスアイレスまでの湿潤パンパで、農地などに利用され農業生産性も高い。ブエノスアイレスからチリに向かう南部の平原は乾燥パンパで、農地には適していないようであった。
ゲバラが、ペルー(チリ?)の豊かな農地と比較して「不毛なアルゼンチン南部のパンパと対照的」と表現していた。

Q4: アルゼンチンとチリの国境地帯は山岳になっており、夏なのに雪が降っていました。この山脈の名称は何でしょうか。
A4: アンデス山脈。南アメリカ大陸の太平洋岸の南北に走る世界最長の山脈、全長7千キロに及ぶ。ゲバラたちが通過した地点は南緯40度付近で、日本では岩手・秋田県に相当する。そこに3000m級の山脈があり山頂部は夏でも雪が残る。ただし、夏に雪が降ることは珍しいようである。

Q5: アルゼンチンからチリへの入国の際は、船で川や湖を下っていました。これはどんな地形的特長によるためでしょうか。
A5: アンデス山脈が南アメリカの分水嶺になっている。つまり、アンデス山脈の東側では河川は大西洋に、西側では太平洋に注ぐ。したがって、アンデス山脈から下っていくには、河川を利用すると楽である(もちろん急流部は陸路になる)。

Q6: チリの港町パラパイソの地形的な特徴と、それを象徴する交通機関をあげなさい。
A6: 太平洋岸までアンデス山脈の裾野が迫っており、海岸部から急な丘陵地になっており、ここに多くの住宅が軒を並べて建っている。この住宅のすぐ横をロープーウェイが通り、海岸部と丘陵地の上部までを結んでいる。

Q7: チュキカマタ銅山を目指して、アタカマ砂漠を歩いていましたが、この砂漠にはどんな特徴がありますか。
A7: 土の塊のような表面の土地(砂地ではない)で、植物が全くない。
世界でも有数の乾燥地域で砂漠になった。かつては海底にあり、その後隆起した土地のため塩分を大量に含む。このため植物の生育には不適当で、農地利用が困難である。

Q8: アタカマ砂漠でコミュニストの夫婦と出会いました。彼らの境遇から当時の社会状況を考えなさい。
A8: コミュニストの夫婦は貧しい小作農であった。おそらく彼らはマルクスやレーニンなどの著作を読んだことはなかっただろうが、共産主義が生産物の平等な分配など貧富の差の解消を掲げていたことから、それに賛同したようである。
ところがコミュニストであるために、警察から追われる身になっていた。共産主義の革命理論が、当時の権力者にとっては脅威となっていたのである。時期的にはアメリカが共産主義の拡大を阻止するため、ベトナム戦争にのめり込んでいった頃である。

Q9: チュキカマタ銅山はどんな様子でしたか。
A9: アンデス山脈は地下資源が豊富で、特に銅についてはチリが当時世界の約20%の産出量を誇っていた。その中でもチュキカマタ銅山が最大の鉱山で、アタカマ砂漠にあるため広大な鉱山の周囲は植物もない風景である。
鉱山の所有者はアメリカ企業で、採掘のほか精製なども当地でやっていたようだ(映画では省略されているが、こうしたアメリカ企業の工場もゲバラたちは見学していた)。
鉱山労働者は、コミュニストの夫婦のように職を失った農民たちである。

Q10: クスコ、マチュペチュなどのインカ帝国の都市遺跡は、どのような場所に立地していましたか。
A10: アンデス山脈なかの山を利用して都市を建設していた。南緯10〜15度と赤道に近いため、高地のほうが住みやすかったため、このような都市がつくられたようだ。
またペルーやチリの太平洋岸は、プレートのぶつかる場所で、しばしば大地震が起こり大津波が発生する場所である。それをさけて高地に都市を建設したのかもしれない。

Q11: サン・パブロのハンセン病療養所は、当時の南アメリカでは最新施設でしたが、ゲバラはどのような点に不満を感じましたか。
A11: ハンセン病は伝染病ではないことが明らかになっているのに、次のような状態になっていた。
1.看護にあたっている修道女からの要請で、看護者や医療関係者は手袋の着用を義務づけられていた。
2.ハンセン病患者の施設はアマゾン川の対岸にあり、人々から隔離されていた。

Q12: ハンセン病療養所で、ゲバラが誕生日を祝ってもらったパーティーのお礼のスピーチで次のようなことを言いました。「・・・見せかけだけの国境によって南アメリカが分けられているのは、全くうわべだけのことだと、この旅の後では前よりももっとはっきりと考えています。私たちはメキシコからマゼラン海峡にかけて・・・1つの混血民族を形成しているのです。ですから心貧しい地方主義の重荷などは打ち捨てて、ペルーと統一された南アメリカのために乾杯します。」(下記の本より抜粋)
これを聞いた出席者は、大きな拍手をして歓迎しました。このことは当時の南アメリカの人々のどのような気持ちを代弁していると想像しますか。

A12: (考えてみてください)

Q13: このような南米縦断旅行が可能であった南アメリカの社会的背景を考えなさい。

A3: 1.南米の政情が比較的安定していた(キューバ革命前で民族運動も少なかった)
 特にアルゼンチンはペロン政権で自由な雰囲気があった。
 (ちなみにペロン大統領のエビータ夫人は、マドンナが主演した映画にもなった)
 旅行者目当ての強盗などもなかったようだ。
2.中南米はスペイン語圏であり、言葉が通じないという心配がなかった。
 アンデスに住むインディオの一部を除く。
3.アルベルトは生化学者、ゲバラは医学生で、ともに医学の心得があった。
 当時医者が不足していたので敬意を払われた。

Q14: その後のゲバラの活動について調べなさい。

A4: その後、ゲバラはキューバ革命に参加して、社会主義国キューバの大臣になったのち、アフリカのコンゴなどで反政府運動などを指導する。さらに南アメリカ二戻りボリビアで活動し、捕らえられて処刑される。
これにはアメリカ合衆国のCIAが関与していたと言われている。(当時のCIAは、南アメリカやアフリカ、アジアの社会主義を標榜する指導者の暗殺の多くに関与していた。)


■その他

地図や内容について、以下の本を参考にしました。
「増補新版チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記」エルネスト・チェ・ゲバラ著、現代企画室(2004)


2004.12.10 恵比寿ガーデンシネマ
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