やさしい嘘

◎概要

タイトル やさしい嘘     原題:Depiis qu'Otar est patrti...
監 督 ジュリー・ベルトゥチェリ (フランス) 
製作年:放映時間 製作年:2003年   放映時間:102分
舞台となる国 グルジア   Georgia
 日本グルジア文化協会
 外務省ホームページ(各国インデックス・グルジア)
空間的移動など 2点型:グルジア・パリ
アクティビティの
ポイント
○グルジアの様子
○旧ソ連からの独立国の経済事情
感想一言 家族の絆を描いた作品というよりも、独立後のグルジアの苦しい経済的状況のなかで、また世代間の著しい意識の違いのなかで、苦い選択をせざるえないグルジア女性の状況を描いたものだ。旧ソ連からの独立国における3世代の女性を対照的に描いていて興味深かった。
配給会社 東芝エンタテイメント
公式サイト やさしい嘘 公式サイト
 注)ストーリーや登場人物などについては、上記の公式サイトなどを参照してください。

◎アクティビティ

Q1: グルジアの位置を地図で確かめよう。

A1: 下の地図に周囲の国の名前や、海洋の名称を記入してみよう。

 

Q2: 面積などをグルジアと日本で比較してみよう。

A2: 比較表を作成してみました。

  グルジア 日 本
面積 70千キロ平米 377千キロ平米
人口 542.6万人(2003) 1億2765万人(2003)
首都 トリビシ(110.4万人、2002年) 東京(区部人口808万人、2003年)
緯度 トリビシ 北緯41度41分
(札幌よりも少し南)
札幌 北緯43度03分
東京 北緯35度41分
那覇 北緯26度12分
月平均気温 トリビシ   1月 1.6度
       7月24.4度
東京 1月 5.8度
   7月25.4度
年間降雨量 トリビシ 495.8mm 東京 1466.7mm
国の周囲 北はロシア、東はアゼルバイジャン、南はアルメニア、トルコと接し、西は黒海に面している。 海に囲まれた島国
国 土 北部のロシア国境付近のカフカス山脈のほか、国土の中央部を南北に山脈が通っている。これを境に西部の河川は黒海に注ぎ、東部の河川はアゼルバイジャンを経てカスピ海に注ぐ。 アジア大陸の東縁の島国
気候は南部が温帯、北部は冷帯
言 語 グルジア語 日本語
宗 教 東方正教(グルジア正教) 仏教、神道、キリスト教

Q3: 祖母、母、娘の家族構成について、既に亡くなっている者も含めて整理しましょう。
A3: 現在は、マンションに祖母、母、娘の3世代の女性のみで暮らしている。

祖父 既に死亡。フランス哲学などを研究していた学者か。彼の影響で家族はみなフランス語に堪能。
祖母エカ 息子オタールの手紙を心待ちにしている。
母マリーナ 未亡人。夫はアフガニスタンで死亡(軍人か?)。就職口がないので、フリーマーケットで家にある骨董品などを切り売りして生活費を得ている。フリーマーケット仲間の男性と付き合っているが、結婚する気はない。
娘アダ 大学生。フランス語を生かして通訳のアルバイトを時々している。グルジアは就職難で、大学を卒業しても就職先がなく悩んでいる。
同級生のボーイフレンドは就職先がないので、トルコを経由してヨーロッパ諸国に不法入国する計画を立てていたが失敗した。
母の弟
オタール
大学の医学部を出て医者の資格を持っているが、グルジアに就職先がないので、フランスに不法入国しパリの建設現場で働き、祖母に送金していた。そこで事故に遭い死亡。パリでは外国人が多く住んでいる古いアパートに住んでいた。

Q4: 彼女たちが住んでいる家はどんな様子でしたか。
A4: 約20階建てくらいの鉄筋コンクリート製のマンションで、築30〜40年程度か。建物のワンフロアに1住居のようで、部屋数は少なくとも4つはあり、日本の感覚だとかなり広い。周囲にも同じ外観のマンションが5〜6棟ほど建っている。外観のデザインはモダニズム風で悪くなく、建設当初は先端的なデザインで華やかな感じだったと思う。しかし現状はメンテナンスが明らかに不足しており、外壁の塗り替えなども全くしていない感じで、朽ち果ててしまったような印象を受ける。
停電は頻発、また水道が止まることも多いようだ。家具は古いものを大切に使っているようで、また冷蔵庫などもレトロな曲線的デザインのもの(相当古い)。
なお、郊外に別荘を持っている。

Q5: 停電が終り、祖母がテレビをつけると、ニュースで白髪の男性が演説をしていました。この人物はどんな人物でしょうか。
A5: シェヴァルナッゼ元大統領。旧ソ連時代はゴルバチョフ政権の外務大臣として、東西冷戦の終結などに貢献し、西側諸国からも高い評価を受けた。また日本にも北方領土問題交渉などで数回来日するなど、なじみが深い。
1991年に旧ソ連が崩壊しグルジアが分離独立を果たしたのち、一時グルジアが内戦状態になると、1992年に国家評議会の議長に就任、1995年には大統領になるなど、政治の中心的存在であった。
しかし国内経済の停滞や政府の腐敗などに効果的な対策がとれず国民から批判が高まり、2003年11月の議会選の結果を不服とする野党勢力が議会及び大統領府を占拠、結果としてシェヴァルナッゼ大統領は辞任に追い込まれた。(映画制作時期は大統領就任中)

Q6: 祖母がテレビのニュースを見たとき、母は民族音楽を、娘はロックをかけて、それぞれの音が聞こえないようにしていました。このシーンは、3世代の女性の意識の違いなどを象徴的に示したものです。それぞれが育った時代背景などを考えながら。世代間の意識の違いを考えてみよう。
A6: 3世代の女性が特に影響を受けた政治の時期や意識の違いを整理してみました。

  影響を受けた政治の時期 グルジア政府の評価 スターリンの評価 テレビや音楽
祖母 旧ソ連の安定期 旧ソ連のほうが良い。経済が不安定になった。 評価する。
旧ソ連の安定に貢献した。粛清は部下によるもの。
テレビのニュースを見る。旧ソ連時代からの習慣か。
旧ソ連の崩壊期およびグルジア独立後 旧ソ連よりは自由があって良い。しかし経済等については不満。 批判する。
反対者の粛清は許されない。自由の敵という感じ。
民族的な音楽を聴く。民族主義が高揚したグルジア独立時の中心的世代。
グルジア独立後 就職面などから、西側諸国と比較して絶望的な感じ。 評価の対象外。
スターリンは過去の人という感じ。
ロック系の音楽を聴く。西側の情報が解禁になった世代。

Q7: 祖母は「祖父はフランス語の本を収集するのに、ボルシェビキに隠れて本をフランスから送らせた」といっていました。これはどういうことを意味していますか。
A7: 祖父の生きていた頃は、旧ソ連の時代で西洋文化などには厳しい情報統制がしかれていた。フランスの本を密かに収集していたことがばれると、牢屋に入れられたり、最悪の場合は処刑されることも考えられた。
「ボルシェビキ」とは、ロシア革命時にレーニンを支持した革命的左翼。革命後は旧ソ連の共産党として一党独裁で政治の実権を握っていた。旧ソ連政府を「ボルシェビキ」と呼ぶところに祖母の時代が伺える。

Q8: 母は「夫はアフガニスタンで死んだ」と言っていましたが、これはどんな意味でしょうか。
A8: 旧ソ連は1979年に突然アフガニスタンに軍事介入を行った。その後1989年に撤退するまで旧ソ連軍はアフガニスタンに駐留したが、国際的な非難を浴びるとともに、アフガニスタンの人々から激しい抵抗を受け、旧ソ連軍の被害も大きかった。母の夫はこの際に死亡したのだろう。
なお当時の旧ソ連では情報統制が厳しく、イラン戦争のように民間ジャーナリストが多数戦争に随行することはありえない。母の夫は軍人と考えるのが妥当だろう。
また、この時アフガニスタンには世界中からイスラム義勇兵が集まり、旧ソ連軍と闘った。このイスラム義勇兵などにはアメリカも盛んに武器援助や軍事指導を行ったと言われている。このイスラム義勇兵の中にはウサマ・ビン・ラディンもいた。

Q9: 母に不満を募らせる娘に対して、母の男友達は「ぼくらの世代は、信じていたものが壊れた時代を生きてきた。そのため自分に自信が持てないのだ」という内容のことを言っていたが、これにはどんな感情が込められているでしょうか。
A9: 母の世代は、子ども時代は旧ソ連の社会主義を第一とする教育がなされていた(資本主義社会は腐敗・退廃しているなど)。しかし、旧ソ連は崩壊し、グルジアは独立して社会主義体制から資本主義体制へ転換を図った。これが第1回目の「信じていたものが壊れた時代」といえる。
次にグルジアが独立を果たし、資本主義国家として順調に歩むことを期待していたのに、内戦や経済不安により、旧ソ連時代よりも生活が苦しくなってしまった。これが第2回目の「信じていたものが壊れた時代」。
つまり、グルジアは短期間に2回の大きな価値観の転換または挫折をし、この期間を壮年として過ごしてきた世代にとっては、ある種の喪失感があるようだ。

Q10: グルジアの経済事情、就職事情を考えて、ラストシーンで孫娘がとった行動について考えてみよう。
A10: グルジアでは大学を出ても就職口がない。孫娘もこのままでは、母親と同様にフリーマーケットで持ち物を切り売りする生活になってしまう。また同世代の男性も国内には少なくなるだろう。亡くなった叔父のように外国で不法労働するしかないからだ。現に孫娘のボーイフレンドもトルコ経由で出国しようとしたが失敗している。ボーイフレンドが出国できてもできなくても、この経済状態での結婚は幸福なものになるとは考えにくい。孫娘はフランス語も話せる。フランスに入国できる絶好の機会を逃さなかった。
祖母は、息子(孫娘の叔父)に会いに行くという名目で観光ビザをとり、大切にしていたフランス語の本を売って旅行費用を捻出した。そして孫娘がフランスに出国できる機会を作ったのだ。ラストシーンの祖母の毅然とした姿が印象的だ。


■その他

学生のときにグルジアの映画をみたことがある。旧ソ連時代は注目される映画をいくつか出していたはずだ。
この映画の監督はフランス人。スタッフや俳優も大半がグルジア人ではないし、公開を考えてかフランス語が使用されている(ロケ地はグルジアだが)。こうした映画がグルジア人の手で、グルジア語で製作できないところに、旧ソ連から独立した諸国の映画界の窮状がうかがえる。


2004.11.26 シャンテ・シネ3(日比谷)
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