高倉寺

 私の家の住所は、大阪府堺市南区高倉台です。 泉北ニュータウンが造成された時に、そこにあった高倉寺の周辺に対してつけられた地名です。
宝積院大門に掲げられた扁額

 高倉寺は、705年に朝廷の勅命により行基が御堂を創建したことに始まり、高倉天皇から「大修恵山天王院高倉寺」の山号寺号を賜りました。 この「修恵」は「スエ」、つまり須恵器に由来します。 5世紀頃に朝鮮半島から伝わった須恵器が日本ではじめて作られたのがこのあたりで、近くの泉北考古資料館には、出土したたくさんの須恵器が展示されています。
 ところで、高倉天皇の中宮は、平清盛の娘の建礼門院徳子。 つまり、高倉天皇は、壇ノ浦で入水した安徳天皇の父親ということになります。
 高倉寺には多くの子院がありましたが、応仁の乱や地震、織田信長の焼き討ちなどに会い、明治の廃仏毀稀釈令では、本坊の宝積院を残すのみとなりました。
 裏のシイ林は、宅地開発で小さな面積になってしまいましたが、それでも堺市指定保存樹林となっており、コジイ(=ツブラジイ)25本、ヤマモモ3本などが記録されています。 境内には、この他、カゴノキ、モミ、ツガなども見られます。

金堂と宝起菩薩堂(奥)    撮影:H17.12.10.

堺市指定保存樹林の看板

宝積院の甍越しに見えるツガの木 カゴノキ
樹皮が鹿の子模様になるところから、「鹿子の木」
横に写っている葉は、この木のものではなく、ビワ

コジイの大木の根元