◆◆環境問題学習会たより No.74◆◆

2002.4

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2002年環境問題学習会

河辺 昌子

 

 当学習会は1984年発足、洗剤問題のみならず水問題全般、食・農・プラスティック問題に取り組んできました。80年代終わりごろからごみ問題に入り、一般ごみ産業廃棄物問題、廃棄物処理法などごみ法の勉強から行政への要望書を出したりもしました。90年代後半からはエネルギー問題に移行しはじめ、現在はエネルギー問題と平行して地球温暖化防止の一環である二酸化炭素排出を少なくする手段として、環境家計簿をつける運動に入りつつあります。

 環境問題の解決は遅々としてすすんでおりません。これからの社会を考えてみますと、なんといっても子どもたちの教育が大切、北欧でもドイツでも、教育に大変力を入れています。いま学校の環境教育はどのように取り組まれているのでしょう、現場においでの立石先生に調べていただきました。学校において家庭において、宣伝にだまされないしっかりとした環境教育はどのようにしたらよいのか、これから模索しながら学習していきたいと考えます。

 

 

最近の洗剤事情

河辺 昌子

 

 洗剤不要の洗濯機登場をきっかけに、洗剤について改めて考えようと書き始めた前回は、過去半世紀の洗剤の経過を振り返り、洗剤は化学物質であるということを強調した。 

 さて、実際生活するうえで考えてみよう。

(1)汚れは落ちればそれでよし

 人々は生活上、いろいろなものを使用する。使用すれば、汚れたり壊れたりするので、洗ったり修理したりという維持管理をしなければならない。選択は衣類の維持管理の一つである。そのために、昔の人々は住んでいる環境に応じていろいろと工夫していた。砂漠では砂を利用したり、乾燥地帯ではオイルで汚れを落としたり、水のあるところでも動植物を利用して洗浄力を高めたりと、身近にある者や手足をうまく利用し、また汚れの種類に応じて適したやり方を知っていた。汚れが落ちて人々が健康に暮らせれば、それでよしとしていたのだと思う。 

 近年、合成洗剤とあいまって、洗濯機があっという間に一人一台に迫るほどに普及し、人々は洗濯とは洗濯機に衣類と洗剤を入れ、スイッチを押せばよいと頭を使わずに衣類の洗濯をするようになってしまった。洗剤の消費量が増大した。廃棄量は少量ならば地球も暖かく包み込んでくれるのであるが、大量となると消費しきれず下痢をおこしてしまう。いままさに、地球はこの状態なのである。

(2)汚れの見えない衣類の洗濯

 洗濯機は物理的に衣類に負荷をかけ、汚れを剥離するだけでなく繊維を傷めるので、回数を重ねるにつれ繊維は弱ってしまう。衣類を長持ちさせるには、洗濯回数は少ないほどよい。洗濯機がいっぱいにならないからといって、ほとんど汚れていないものを洗濯する必要があるのだろうか。もう一回手を通してからでもよくはなかろうか。「私は環境に配慮した生活をしたい」と思っている人は考えてほしい。もちろん来シーズンまで着ないというものは洗ってから収納するほうがよい。

(3)衣類の維持管理は購入時から

 衣類の維持管理は、衣類の種類品質により異なるので、普段の生活には手入れの簡単は木綿類をベースにし、手入れの面倒なものは仕事上どうしても必要な人以外はできるだけ少なくしたほうが整理上手になるようだ。衣類は似合う似合わないだけでなく、どのように維持管理するかを頭に入れて購入することを勧めたい。洗剤と関係ないように思われるかもしれないが、衣類の維持管理上関係するのである。

(4)着方 

 半袖は着物本来の襟の汚れを防ぎ、ワイシャツの襟は背広の襟より高くなるように作られている。昔の人の知恵である。このように着方を工夫することも、洗濯物を少なくすることに役立っていることを知ってほしい。

 

(5)終わりに

 超音波や電界水がわずかではあるが洗浄力をもっていることは事実であり、今回の洗剤ゼロ洗濯機がまやかしのものとは思わない。が、いまはまだまだなのである。洗剤使用の場合と同様な洗浄力を期待するほうがよくないと私には思われる。水だけでの洗濯より少し落ちがよいのであり、そのような洗濯機はそれぞれのライフスタイルを考慮して使い方を工夫、使えるようであれば購入すればよいのではなかろうか。

 洗剤を使わないことにこだわる人は、半世紀前までよくやられていたように水で手洗いしてみるのもよいと思う。水を何回か替えて揉み洗いをし、脱水して干せばよく、簡単電気いらずである。繰り返すが、長い間着ないときは洗剤を使ったほうがよいことはいうまでもない。

 要するに、衣類の清潔を保ち、衣類を長持ちさせ、化学物質の使用をなるべく少なく、地球の環境を考えながら洗濯をするとなると、洗剤はできるだけ少なくすることにこしたことはない。日々考えながら、生活することが大切である。

 

 

6回水銀国際会議(環境汚染物質としての水銀に関する国際会議)に出席して

関川 智子

 

 2001年10月15日から19日、世界の水銀研究者による水銀国際会議が水俣市で開催されました。40数カ国から500人を越える研究者が集まり、演題は585。同時多発テロの影響で、アメリカ、ノルウェー、デンマークの一部でキャンセルがあったとのことです。

 水銀国際会議は、1990年にスウェーデンのストックホルムにおいて第1回の会議が開催されて以来、今回で6回目になります。第5回は1999年ブラジルのリオ・デジャネイロで開催され、金発掘者(ガリンペイロ)の水銀汚染が問題になりました。今回は「メチル水銀の長期微量汚染が人体に及ぼす影響」が主体的な問題になっていましたが、日本を代表する元鹿児島大学井形学長は、基調報告のなかで長期微量汚染問題には一切触れず、診断基準でも従来の狭い組み合わせ論を強調されました。

 水俣問題に関して、日本の研究が不十分と外国の研究者からいわれているそうです。いろいろやっていても、英語の論文として発表していないためと思われます。また外国では裁判制度の違いからか、「認定」とか「未認定」という言葉が理解されないようです。そのため、ますます日本の水俣問題は難しいと思われているようです。

 私は新潟民医連の被害者の掘り起こし検診について報告しました。新潟から他には、木戸病院の斉藤先生が水俣病患者の合併症について報告されました。熊本民医連は18演題、弁護団から5演題の報告がありました。

 印象的だったのは、オープンセレモニーのとき、隣の席の人が「水俣市の経済界と農業会の代表として『水俣病』という名前を変えてほしいと思っている。明日はこのチラシを外国の人たちに配る」といって、日本語と英語で書かれたチラシを見せてくれました。そこには、水俣市の中学生が修学旅行に行ったとき、どこから来たのかの質問に「水俣から来た」と答えたら、「移るから近寄るな」といわれた話、水俣市で作られている「サラダたまねぎ」がテレビで紹介されたとき、熊本のテレビ局では水俣で獲れることをカットして、近くの川の名前で紹介していたことなどが書かれていました。私は新潟ではちゃんと「水俣産のサラダたまねぎ」と紹介したことを伝えるとともに、水俣の人たちが自信をもって「水俣産」といっていることに感激したと伝えました。この後、水俣市長の講演がありました。市長は水俣のマイナスイメージをプラスに転換していこうと環境都市づくりの構想を話され、少しずつすすんでいることを報告されました。「市長からこういう話を聴いたことがなかった、初めて聴いた」と感無量の顔をしていました。翌日、このチラシは配られませんでした。

 ここではまだ「水俣」ということの風評に怯えている人も多くいることを実感しました。そのなかで、3万余の「小さな市」が、「みなまた」という地名のマイナスイメージをプラスの遺産にしようと懸命に努力している姿を垣間見ることができました。

 

 

環境教育―学校ではどのように取り組まれているか

立石 由美

 

 河辺先生から「学校で環境教育はどんなふうに取り組まれているの」と聞かれてから、だいぶたってしまった。日頃、この研究会で環境問題を勉強させていただいてるのに、本業の授業でどのように取り組まれているか、まことに暗い、というのが本音だ。どのように調べようかと迷った挙句、教師の本音で教育実践を語れる場である、組合の教育研究集会のレポートを見てみることにした。日々、営々と取り組まれる実践はほかにも、「市小研」「郷小研」(小学校の場合)という官製のものがあり、年1回の発表をしている。昨今はどの学校でも「総合」をとりあげ、ここでも環境を扱っている。それにも触れながら、ざっと見ていこうと思う。教員の組合は日教組と全教の2つがあり、私自身は日教組の組合員である。そのレポートは手に入らなかったので、ここでは全教のほうのレポートを参考にした。日教組のほうもまとめが出たら、書いてみたいと思う。

 なぜ多くの学校で環境が取り上げられるようになったのか。それは、今度の指導要領の目玉である「総合的な学習」の取り組みの目安として、文部科学省のほうから「環境、福祉、国際理解」などがあげられたことによる。環境問題というのが、河辺先生が本研究会を始めるときに大変範囲の広いものとおっしゃったが、何でも「環境」に結びつけたような実践も可能で、指導する側にしっかりした考えがないと、まゆつばものも出現してくる。

 また、教育課程審議答申(98年7月29日)の「環境問題への対応」は各教科及び「総合的な学習の時間」において、「地域の実情を踏まえた環境に対する学習を充実するとともに、問題解決的な学習や体験的な学習をいっそう充実する」としている。京都のレポートの「研究の概要」にはこの答申を受けて、「地域の清掃と空き缶拾いだけでなく、環境行政や環境立法(第1;汚染者責任の原則、被害者救済、環境復元、第2;事前予防の原則、環境ホルモンやダイオキシン対策など、第3;協力と参加の原則、行政・住民・企業・科学者がともに取り組む、資源再利用、リサイクル、分別)を教えていく必要があります。当然、公害の実態や原因追究、対策や公害予測、未然防止策もカリキュラムに入れなければなりません」と述べている。これは環境教育を考えていく大きな指標となる。

 全教(全日本教職員組合)では、生活科・総合学習で1分科会、環境・公害で1分科会にして運営されている。ここでは、生活・総合のほうからも環境を扱ったと考えられるものもみていく。

 さて、レポートをざっと分けると、@栽培・飼育A川B森林C里山DダムE湖沼があった。また、高校では「環境概論」のカリキュラム内容(高知)、自然環境類型という「学科」のような教育課程の中での実践(北海道)のレポートもあった。さすがに全国に出されるだけあって、私の周りで見聞きする「地域の掃除」「空き缶集め」「廃品回収」「分別」は見られない。「ごみ」だけを扱わないで、自然を見ていく中でのごみという観点がいいと思った。

 川が題材の学習は、赤石川(青森)大原川(岐阜)真光寺川(東京)足守川(岡山)天竜川(長野)四万十川(高知)があり、湖沼では津田内湖干拓地(滋賀)があった。どれも川で遊び、川を調べ、川を作り変えていくもので、地域の世論を動かしたり、行政に働きかけたり、地域団体と協力している。

 大原川の実践では、4年生が川から上流の森まで学習し、何人もの専門家の話を聞き、行政に手紙を書いて、とうとう市長(多治見)まで授業にやってきて、学校脇の川が1部分であるがコンクリートをはがして遊べる川にすることになったものだ。川と遊び、生き物を見つけ、調べ、最初の一滴を突き止め、きれいな水は木の葉のろ過と発見し、コンクリート壁に気づき、行動していく。これはほんとにすごい。和光鶴川小の都会地の川を調べて、地域の方と結びついていく実践もすごい。

 高校生による「四万十川」の取り組みもダイナミックだ。これは窪川高校社会問題研究部のもので、宿泊もしながら、流域住民196人(川の長さ196kmにちなみ)にインタビューしたもので、知事の出席のシンポジウム開催、本の出版と実にみごとだ。

 この観点も大切と思ったのが、大阪。総合学習の中でも基礎的な学力をきちんとという趣旨だ。きちんと聞く、正確に見て描くなどの取り組みがされ、光村図書の5年生の教科書「1秒が1年を壊す」(伊藤和明)をもとに学習がすすめられたものだ。地球の歴史を1年とするなら、人類が出現してからは7時間、その中でいまのようになったのは1秒という文だ。簡潔であるが、子どもたちに環境問題の基本を教えている。

 レポートをざっと見て、私の身の回りで「環境」と銘打っている実践は、やはりお茶濁し、と思った。川を例にとれば、生き物探し、水質検査、ごみ拾いでおしまい。ぶつぎれであり、原因追究なし、あってもごく表面だけ。缶を拾って、捨てる人は悪いでおしまい。なぜ館なのか、といった追求にいたらない。現実を変えるものではない。

年間100時間も使えるようになった総合的な学習。3年から6年まで系統的に取り組むとかなりダイナミックな学習になる。すぐれた実践は、先生たち自身が子どもと学び、わかって元気になっている。私自身も多くの人に紹介したいと思った。