「日米の大学教育の落差に驚愕」
アメリカの大学で学んだことで、私は、日本の大学教育の現実にはじめて気がついた。私は環境分野の専門職系大学院であるエール大学の林学環境学スクールに1993年から95年の間に学んだが、これまで半ばあきらめていた経済学や疫学、水門学などなど全くの新分野の講義がすいすいと実についていくことに私は驚嘆した。
一方、私が日本で学んだ多くの講義はアメリカのもにと比べあまりに落差があった。先生に教えるという確固たる意志が感じられず、テストの解答も前もって教えられたから、勉強するという動機づけもなかった。一部の分野については本を読んで独学で補完しようとしたが途中でわからなくなってあきらめたものが多く、語学以外では、学び取ったという充実感のあるものがほとんどなかった。講義が理解できないのは「自分の頭が悪いから仕方ない」と私は半ばあきらめていた。だが、原因のほとんどは大学のシステムの問題だったと今では確信している。普通の人間でもシステム次第で実に充実した勉強ができるのである。
アメリカで体験したのは、文科系・理科系を問わない未知の分野への挑戦がとても容易な優れた教育システムだった。このシステムを構成する主なポイントは以下のようなものだ。
@超入門から高度なレベルまでメニューがそろっている講義体系: 講義と講義の間に、必要とされる前提知識の切れ目が無い。一歩一歩着実にやれば落ちこぼれないようにできているのである。
A講義密度の濃さ: 講義には通常10日に1回位は宿題が出され、これをこなすことでしっかりと鍛えられ、急速に力が付いていく。すべて教員が採点するのはたいへんなので、TA(teaching assistant = 教務アシスタント)が担当することが多い。
BTAとオフィスアワーで落ちこぼれが出にくくするバックアップ体制: 授業がよくわからなかったり、宿題の解き方がわからない学生は、TAや先生の面会時間(オフィスアワー)で個別に教えてもらうことができる。
C「学生はお客」という意識: アメリカでは大学はお金を払っただけの知識を得るところという意識が日本よりも明確だ。その講義に払った授業料の分の知識を学べるのが当然という考えである。こうなると教えるほうも無気力な教え方は許されない。だからこそ、学びやすいメニューで、密度の濃い講義を行い、しかも理解が進むバックアップ体制が作られるわけだ。
1年ほど前に私のアメリカでの体験を書いた本を見た先生から、日本の大学で環境・エネルギー問題を教える先生方の集まりでその体験を紹介して欲しいと依頼された。この機会に、これらの先生方に日本の大学の現状を伺った。多くの大学でさまざまの改革の試みが行われているが、私が体験した日本の大学の問題点は多くの大学に普遍的であり、基本的に変わっていないと感じた。学生による教員の評価を行っている大学もあるが、まだ有効に機能しているところは少ないようである。
アメリカから帰国後、私は臨時講師として大学で企業の環境管理について講義を担当したこともあるが、学生は出席すれば単位がもらえるというシステムになっており、100数十人はいる教室で、学生の私語を止めるだけでも大変だった。
『日本経済新聞』1998年9月20日の教育欄に「当世大学生気質−−勉強に元々『興味なし』」というエッセイを大学の先生が寄稿しているが、学生をこういう「気質」にさせる最大の要因は断じて大学生自身の問題ではなく、大学自体のシステムである。同じ教育欄では、大学審議会が今年6月に公表した大学改革に関する中間報告が、教員に「責任ある授業運営と厳格な成績評価」を求めていることを紹介している。だが、ことは教員の意識改革ですむ問題ではない。学生や大学当局による教員に対する評価をきちんと行うこと、また「責任ある授業運営が」できるように学生定員数を押さえること、学生の理解促進や教員の負担軽減のためのTA制度の拡充すること、などのシステムの強化が是非必要だ。
こうした改革が進むまで、まともな大学教育を受けるためには、学生は海外の大学に行くしかないのかも知れない。そのためにも、高校までにおける実用的な英語教育の強化にも期待したい。
(以上は、大修館書店『英語教育』1998年11月号 に「アメリカの風――G」として掲載されましたが、細部は多少異なっています。)
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