■あぶらむ通信
■飛騨だより Vol16
あぶらむの会代表大郷博
○あぶらむ通信16号より抜粋


今年は長い長い夏でした。四ヶ月の雨なしで、敷地内を流れる小川もすっかり干しあがり、おかげでその水を利用して養っていたヤマメも全滅してしまいました。大変な夏でした。あぶらむ通信を手の皆様にはお元気でお過ごしの事と思います。
台風26号の影響で久しぶりの大雨となりました。晴耕雨読の身体となってしまった私です。事務局から通信の原稿の催促が毎日のように来るのですが、雨が降らないと気持ちがしっとりとせず、なかなか机の前に座れないのです。この夏の天気で皆様にご無沙汰している間にもう秋となり、稲の刈り入れの季節となってしまいました。「時の経つのは何と早いのでしょう!」という今や定番となってしまった枕詞しかでてきません。それとも地球の自転が早くなったのでしょうか?とにかく矢の如しです。

今年の稲作指数は107と、一転して大豊作との事です。確かに昨年と比べればよく実っています。「日照り続きに不作なし」という諺があるそうですが、作物には水より太陽なのです。しかし、山すそを拓いてのあぶらむの田、山陰となり日当たりの悪いところは今年も実ってはいませんでした。水よりも肥料よりも、太陽の恵みの大切さを思い知らされます。きっと人間の成長も同じなのでしょうね。
お米の話のついでですが、米不足騒動のさなかどこかの公園にタイ米が捨てられてあったというニュースに接し、どうしようもない悲しさと怒りのようなものがこみあげてきました。タイ米はまずいといわれますが、タイで食べると、こんなにうまい米がこの世にあったのかと驚きます。旅先で口にしたおいしい地酒、こんなにうまいものなら一本みやげにと、家に帰って飲んでも、あの旅先での感動はうまれません。食べ物とはその生まれ育った土地から離れた瞬間に、深いところにある生命力が失われると私は思います。自分の田畑から収穫したものが一番うまいのは、そんな理由からではないでしょうか?

お金さえあれば世界中の食物が自由に手に入る、そんな今の時代、良い時代といえるのかどうか、私には良く分かりません。日本の米買付けにより、米の値段が上がり庶民は苦しんでいる、とタイ在住の友人より便りがありました。それほどまでに周囲に迷惑をかけて手にした米を「まずい」の一言で捨てるなんて、生命に必要な食物をお金で安易に買えるという時代は、人間の心を貧しくすることはあれ、決して豊かなものにはしないでしょう。心の成長に必要な「感謝」ということは、「日々の糧を今日も与えたまえ」という切実な祈りと、それを今日も一日手にする事のできた喜びの中から生まれてくるものなのではないでしょうか。食物が安直にお金で処理され、今日も一日食べれることへの感謝を忘れた民からは真の文化は育たないと思います。そのような意味で、水不足に悩んだ地域の人々には申し訳ないのですが、今夏の水飢饉は、まずいといって米を捨てるような私たち日本人には、天からの最大の恵みだったのかもしれません。




 

あぶらむの会 代表 大郷 博




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