■あぶらむ通信
■飛騨だより Vol.20
あぶらむの会代表大郷博
○あぶらむ通信20号より抜粋


冬の星座、3つのオリオンが大きく輝く季節となりました。皆様にはお元気でお過ごしのことと思います。1年半ぶりのあぶらむ通信、「オーゴーはまだ生きていたのか」という皆さんの声が聞こえてきそうです。長い長いご無沙汰、お赦しください。

昨年から今年にかけての1年間を、あぶらむで共に過ごした者は、過去最高の8名、私の至らなさと力不足で、この大家族を維持するだけで精一杯でした。

「生活を共にする中から・・・」という理想と現実の中での、それは厳しい葛藤の日々でした。生まれや育ちがちがえば考え方や価値観もちがうのは当然ですが、他者との生活の中で自らの生き方や価値観を深く問い返すこともなく、それらの違いが「綱引き」状態となり、各々の陣営に相手を引っ張り、引っ張られるという状況になれば、集団は最悪の様相をていしていきます。あぶらむの敷地は広いとはいえ、1日24時間顔を付き合わせての生活は、1度歯車の回転が不自然になると、その修復に多大な労力を必要とします。

8人家族(集団)を十分にまとめきれなかったところに、自分の至らなさと力不足をまざまざと見せつけられた1年間でした。

 

最近、私を捕らえる言葉の1つに、「打ち叩く」という言葉があります。新約聖書が書かれている古代ギリシャ語で、「教育」を「パイディア」といいます。今は亡き、林竹二氏はこの言葉を「魂の世話」―やがて自分で自分の魂を世話して行く力―、そんな根源的な働き、人への関わりが教育であると語られたことに、私は深い共感と感動をおぼえました。この教育と訳される「パイディアと言う言葉は、他に薫陶、躾け、懲戒、こらしめ、訓練という内容をもちあわせてます。これらの意味をもった「パイディアオー」は「打つ、叩く」という意味を持った「パイオー」という言葉に連動しています。

児童虐待や学校等での体罰が問題となっている中で、このような事を書けば穏やかではないのですが、私には「教育」(人が育つ)ということを考える時、この「パイオー」(打つ、叩く)という言葉がなぜか私を捕らえて離さないのです。

 先日BS放送で、武田鉄矢さんのご母堂イクさんを追悼してました。戦後の苦しい生活から5人の子ども育てられたその子育て実践論は多くの人々に気づきと感動を与え、逝去される直前まで乞われるままに全国を講演して歩かれたとのことでした。その講演テープの中で、「私はしかりつける時は真剣にしかりつました。時には叩き、なぐりつけました。それはもう半端ではありませんでした。しかしほめる時も真剣にほめました。学校成績の悪い鉄矢がびっくりするような点をとってきた時、神棚にそなえました」という話が心に残りました。武田イクさんは叱る時もほめる時も真剣だったのですね。

私は、「教育」に連動する、この「打つ、叩く」といった意味内容を持つ「パイオー」という語を、「立ちはだかる」とか「立ちはだかり」といった言葉が適訳と思っています。

振り返ってみるに、自分の中にも人間的成長というものがあるとすれば、それは数々の「立ちはだかり」にあったように思うのです。人の道をはずれたようなことを少しでもした時に打ち叩いた父、すさまじい兄弟喧嘩の時に「私を殺してからヤレ」と割って入った母。言語を絶するような困難な中にも、人として凛として生き抜く姿を見せてくれた沖縄のハンセン病を病んだ人々。物質的貧困の中にあっても、いたわり合い、分かち合いながら強く生きるフィリピンやネパールで出会った人々。今静かにふりかえって思うに、それらの人々の「パイオー」―立ちはだかり―は私の心を激しく打ち叩き、「一人の人間としてお前はどう生きようとしているのか、人生における自分の役割は何か」を激しく問うたのです。それは肉体的ビンタよりも打たれて痛いものであり、それ故にその「立ちはだかり」による痛みは自分を大きく育ててくれたと思っている。それは私の人生の「一里塚」であったと思うのです。

 

これまでこのあぶらむの里で、数多くの若者と生活を共にしてきた。その中で私が今強く感じることは、彼らはこれまでの人生の中で、どのような「立ちはだかり」を、誰からどのように与えられ、得てきたのだろうかという素朴な疑問です。「人前にたちはだかることは、恨まれるか殺されるかどちらかだヨ」とある人がいった。一面の真理をついている。今の私にはライ園の人々のような柔和さに裏打ちされた、立ちはだかりはできない。しかし、そのような円熟味を将来の課題としつつ、私は真剣さ故に立ちはだかることを役割としていきたいと思っている。

  

この夏は、あぶらむの里を体験学習の場として、いくつかの学校の課外活動の場として用いてもらいました。植林した木を育てるための下草刈りや田畑の辛い仕事に、若い汗を流してもらいました。都会生活しか知らない彼らにとっては、これらの体験も1つの「パイオー(立ちはだかり)」だったと思います。おかげ様でこの不況の中にありながら、あぶらむは経済的にどうにかいざることができました。ありがたいことです。

私たちのこれからの課題は、この与えられた場をどのように用いていくかということです。私たちもいろいろな働きを考えています。そして皆さんもいろいろなアイディアをお寄せください。そしてこの場を用いて下さい。それがあぶらむへの一番の支援です。よろしくお願いします。

これからはあまりご無沙汰しないよう努めます。どうぞ新しい年、皆様お一人お一人の上に豊かな平安がありますようお祈りいたします。

 

1998年12月

あぶらむの会 代表 大郷 博




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