■あぶらむ通信
■私の仕事/きのうのボクと今日のボク/宿屋の主人
あぶらむの会代表大郷博
○あぶらむ通信20号より抜粋


岐阜新聞への寄稿

 

地元「岐阜新聞」の素描欄に拙文を寄せることになった。
自分を、あぶらむの会づくりにかりたてていったものは何だったのか、しばし自分のこれまでをふりかえるよき瞑想の一時が与えられたようでした。ご笑読下さい。




●私の仕事

私は10年ほど前まで、大学という場で学生の心に関わる仕事をしていた。入試の時ともなれば、私にまで試験監督が回ってきた。

入試問題を見ればチンプンカンプン、よくもこんな難しい問題が解けるものと、尊敬の念を覚えるほどだった。そんな難関を突破して入学してきた学生たちが、心のバランスを崩し、相談室に姿を見せる。自殺したものもいた。悩みに軽重をつけることは出来ないが、でもあえて「それしきのことで、なぜ!」と叫ぶ私がいた。

 他方学生たちとともによく訪れた沖縄の「ハンセン病(らい)療養所」やフィリピン、ネパールの地に生きる人々の生きる姿。我々の想像を絶する病や貧困のただ中にあっても、自分の人生において負わざるを得ない重荷をしっかり負い、その重荷を人生の糧とでもしているかのように、凛とした生き方を私たちに見せてくれた。どの人もどの人も、「人生の良き旅人であった。

 

物の豊かさの中にあれば、ささやかな人生の重荷の前に深く挫折し、心のバランスを崩してしまう日本の若者と、それと対照的な沖縄やアジアでであって人々の姿。いつしか私の中に1つのコントラストが生まれていた。

「教育」という言葉はギリシャ語で「パイディア」という。それは「魂の世話」・・・やがて自分で自分の魂を世話していく力・・・と訳される。人生は旅、私たちは旅人。予測不能な出来事としての人生に果敢に立ち向かう力(パイディア)を育てていくことが「教育」の基本と思い、私は教師のはしくれとして「人生の良き旅とづくり」を求めることとした。

そして今、この飛彈の山里で、ささやかな試みを開始した。

 

 

●きのうのボクときょうのボク

 「人生の良き旅人づくり」の仕事の一つに、私は「宿屋」を作った。観光客相手の宿ではなく、旅人の宿である。旅人はさまざまであるが、その中で不登校の若者との長期生活もある。

ある時、「卒業させるから、その代わり学校に来ないでほしい」といわれた中学3年生のS君とH君が来た。日本人なのに金髪で、少々元気が良すぎる2人だった。学校の方も2人を持て余したようである。

この2人からいろいろと考えさせられた。ちょうど稲の脱穀の時で、私は2人に稲架の片づけを命じた。手順を説明し、後は2人に任せた。最初は私の指示通りにやっていたが、そのうち彼ら流のやり方であれこれと3度ほど新しい方法を試み、結局は私が指示したやり方に戻っていった。私はそんな二人を見てとてもうれしかった。

夕食後の会話。「きょうはやり方を3度ほど変えたなぁ」「見てたのか?」「ああ、よく見てたよ」。

このことがささやかな信頼感の出発点となった。その夜、彼らは大人や教師に対しての不満をぶつけた。「先生はすぐ決め付けてしまう。それが腹ただしくて、つい粗暴になってしまう。きのうはやりすぎたと反省し、今日は少しは真面目にと思って学校へ行くのに、先生は僕たちを見る目を変えようとしない。決め付けられてしまうと、その分だけかえって乱暴になってしまうんだ。きのうのボクと、きょうのボクは違うんだ!」

相手の中に日々生まれる小さな変化を追うことに疲れ、決め付けという1度押した烙印でしか人を見ようとしないならば、成長(変化)のただなかにある若者の心はすさんでも仕方ない。日々に生まれる小さな変化を受け止めてやることの大切さを、教えられた。

 

 

●旅人の宿

 尋ねられて返答に困ることの1つに、私の職業がある。あれこれ説明するのも大変なので、「宿屋の主人」ということにしている。「ああ、民宿ですか」と人は言う。そうですね、「旅人の宿」なんてキザですものね。疲れた体を少し休め、新たな力を得て再び己が旅路に出て行く。大上段に振りかぶった大きな力ではなく、ささやかなちょっとした力でいい・・・そんな力、気づきを提供できる旅人の宿を私は願っている。

 

先年イギリスを旅していて、ハッと思った。

列車の車内販売はいずこも同じだった。しかし「富山名産ます寿司はいかがですか。飛彈名産朴葉寿司はいかがですか」・・・こんな日本の売り子に対して、彼らのそれは「サム・リフレッシュメント」という言葉1つだった。

直訳すれば「元気回復」といったところ。それは1杯のコーヒーであり、ビスケットのかけらかもしれない。フルコースの食事でないことだけは確かである。しかし、そのささやかなものが旅の疲れを取り払ってくれ、新しい力を注いで、次ぎの旅に押し出してくれるのである。

なぜかこの言葉は、私にとっても新鮮に聞こえた。私が目指している宿も、この「サム・リフレッシュメント」だと思った。

「旅人の宿」はまた、車のニュートラルゾーン(中立)でもあると思う。人生ローがいいのかトップがいいのか。現在のポジションから次に移る時ギアを必ず中立に入れる。そして新しい位置に向かうのである。このひと時たたずむ場所が大切なのである。しかし私たちは立ち止まることを恐れ、駆動してないと社会も評価しない。人生のニュートラルゾーンの認知は、社会の成熟度に比例する。



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