■あぶらむ通信
■飛騨だより Vol.21
あぶらむの会代表大郷博
○あぶらむ通信21号より抜粋

子供のころ、「西暦2000年を自分は生きて迎えれるかなァー」と指を折ってみた。50才台前半なので健康ならば生きて迎えれるだろうなと安堵したことを思い出す。その2000年まであと一ケ月、何か心に一つの区切りと変化がおこり、心新たに新しい一歩が踏み出せると期待している自分がいます。しかし、そんな私を冷笑するかのように、本棚の片隅に連なっている書きさしの日記帳。どれをめくっても白々としたものばかり。きっと大きな節目の2000年を迎えても、このどうしようもなさは変わらないことでしょう。そんな自分なのに、何か新しい変化を期待しているから不思議です。

 あぶらむ通信をお手の皆様にはお元気でお過ごしのことと思います。99年も年一回の通信となってしまいました。お赦し下さい。
 9月16日、飛騨地方は台風15号の影響で大きな水害に見舞われました。ありがたいことにあぶらむの里周辺は大事には至らなかったのですが、裏山の畦畑から河合村、宮川村及び奥美濃地方にかけては激甚災害に指定されるほどの激しいものでした。ここは山里ですので激しい雨には慣れているのですが、今回はあれよあれよという間に水かさが増え、あぶらむの宿からは見えない宇津江川が、一部道路にまであふれ出し、宿に居ながらにて激流が見えるほどの増水でした。
 あぶらむの里から徒歩10分ほどに県立自然公園宇津江四十八滝という名勝がある。そこから流れ出る宇津江川を、より美しく見せようと人間の手で石が配置され、川が庭園のようになっていた。そんなに手を加えなくても、もっと自然のままであった方がよいのにと思っていた私でした。それが今度の増水で全ておし流され、荒々しい川相に一変してしまった。「人間の手であまり俺をいじくりまわすな!」という自然の叫びのように思われた。川は蛇行することにより水量調節をし、水生物を育むといわれます。それを人間側の都合で流れが変えられ、護岸堤防も生命を育むことのないコンクリートにされていくのです(最近は多少見直されてきてはいますが)。増水し、暴れ狂ったような川を見ていたら、川は自然の理にかなった元の状態にもどろう、もどろうとしているように思われた。「自然」ということは、健康な状態にもどろうとする行為、意志であることのように私には思えた。「水が激しく流れる(動く)」ということは、健康への回帰の印なのではないだろうか。


 最近、私を捕えて離さないことの一つに、聖書の「ベテスダの池の物語」がある。神のあわれみの場所という意味を持つベテスダの他の周りに、病や障害を負った人々が沢山集っていた。なぜならば、「彼らは水の動くのを持っていた」のです。それは、「時時、神の御使がこの池に降りてきて水を動かすことがあるが、水が動いた時まっ先に池にはいる者は、どんな病気にかかっても、いやされるからである」。この「水が動く時に癒しがおこる」という言葉に、私はいろいろと考えさせられることがあるのです。
 心のバランスを崩したり、拒食過食、自殺未遂等々、心の問題をかかえてあぶらむを訪れる若者を見て感じることの一つに、「心の動きのなさ」というものがある。動きのなさというよりも、かたく閉ざしているといった方が適切かもしれない。いろんな苦しみや悩みのため、自己防衛として自分の心をかたく閉ざしているのかもしれないが、それにしても「動きのない心」は、本人をさらなる苦悩に追い込むばかりで、そこからは何も生まれないように思う。


 先日、解剖学の第一人者、養老孟司氏の本を読んでいておもしろいと思ったことがある。これまで数えきれないほどの人体解剖をしてきた氏にも、気持の悪いと思うもの、不気味と感じるものがあるとのことなのです。皆さんはどこだと思われますか。それは「第一に手。第ニに顔、特に目」だそうです。内蔵など他の臓器や器管には特別なものは感じないそうですが、手と目には不気味さを感じるのです。それは、「目は顔の中で、一番表情が豊かな部分である。その目が動かないと、奇妙な感じがする。それが、『気味がわるい』という感覚につながるのであろう。手もまた、さまざまな表情をもつ。だからデッサンや彫刻の題材になったのだと思われる。私たちは無意識のうちにその表情を読み、相手とのコミュニケーションをはかるのです。ところが、その手、その目が動かないとすれば、表情の読みようがない。読めない表情は、とても不気味なのである」、そう語るのです。
 私は「こころ」も同じであると思う。いや、こころは手や目以上に躍動感にあふれ、表情そのものです。このこころが動きを失い、かたく閉ざされているとするならば、それは死に近い深刻な状態といわなければならない。だから、私たちが癒され、健康であり続けるということは、私たちの心が常に動き、感じること、ささやかなことへの感動とそれに対する感謝にあると思うのです。


 先日、あぶらむにとって、とっても嬉しいことがありました。ネパールの旅を一緒にしたAさんが、あぶらむの会員になってくれたのです。彼はこの数年、心のバランスを崩し、家にとじこもりがちでした。見知らぬ人達と異国の地を旅することは、彼にとってとっても苦痛を伴うことであったようですが、彼はおもいきって第一歩を踏み出したのです。家族や友人、そしてネパールの大地が彼の心を暖めたのでしょうか。彼の心は動き出し、新しい仕事を得て働き始めたのです。この秋、久しぶりに見たAさんは、別人のように生き生きとした顔をしていた。彼の心が動いた時、そこに癒しがおこったと私は強く思うのです。その彼が、あぶらむの会員になってくれたことは、私たちにとって大きな大きなプレゼントでした。
 もうすぐ訪れてくる西暦2000年、あぶらむも「旅人の宿」ができて10周年の記念の年を迎えます。この与えられた空間が、「人生の良き旅人づくり」の場となり、ここを訪れる人々や生活を共にする若者の「心が動く」場となるよう、一層の精進を重ねていきたく願っています。
 皆様には、どうぞよいクリスマスを、そして、よいお年をお迎え下さいませ。平安をお祈りいたします。



 

1999年12月

あぶらむの会 代表 大郷 博
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